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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

二人の長い影(後編)

二人の長い影(後編)




8年、9年、10年、更に歳月は流れ、昭和31年最後の引き上げ者名簿に久美子は真吾の名前を発見します。

 

「ご苦労さまです」

と頭を下げる言葉しか久美子にはありません。既に結婚をし一児の母となった久美子はとても会えないと思います。

 

 

 

だが、真吾と偶然一度だけ再会をします。慎吾は久美子を探していたのです。

久美子は買物帰りの姿で再会します。

 

 

 

「ごめんなさい」と泣いて謝る久美子に真吾は誰だって死んでしまったと思うよねと優しく許してくれます。

久美子は例え一度だけでもと、真吾に身を預けようとしますが真吾はそんなことしちゃいけないと拒否します。

 

 

 

 

僕のことなんか忘れて幸せにならなきゃいけない。僕もいい人を探すよ。お互いに幸せな家庭を作ろう。たくさんの人が死んだんだ、生き残った人が生きていることを後悔するようなことがあっちゃいけない。ここで会ったことは二人だけの秘密だ。いいね。

 

 

そうやって別れた二人でした。

 

 

 

 

 

そして幾星霜。

 

 

 

 

何もかもが風化していく時代にそのような久美子の体験はどのようなものとして家族に伝わったのでしょう。

孫娘は映画みたいだねと言い、親にたしなめられました。

テレビからは「モーニング娘。」が元気な声を出し、久美子たちもそのような極限体験とは無縁となった現在。

 

 

真吾もすっかりお爺さんとなり、つれあいに先立たれ、嫁に行った娘に細々とやもめ生活のいたらなさを言われる日々。

来てくれた若い男性ホームヘルパーに「ゆっくり休んでなよ。ここでは働かなくていいよ」と昼寝を促すようなとぼけたお爺さんとして生きる日々。

 

 

戦争という、どんな平凡な人々にも極限体験をさせた時代は遠い昔。

 

 

 

しかしそのような体験を聞いた久美子の夫はその人に会わなきゃいけないと言います。

戦争をくぐり抜けここまで生きて来たんだ、会わなきゃいけないと言います。

 

 

真吾の家族、久美子の家族、思いは様々ですが、ホームヘルパーの若い男性の「お節介」もあって二人は会うことになります。

 

 

 

しかしちっともロマンチックではありません。

何故か二人きりではなく、お互いの家族を交えてのことになっています。

それぞれの身内がそれぞれのスタンスで二人のことを考えていました。

 

 

 

例えば真吾の娘は深いところで真吾に憎しみを持っています。

結局結婚をしても心の中に一人の女性を棲まわせ、母を哀しませた真吾という父を。

 

 

 

歳月は簡単に人を切り替えさせてはくれない。

人間は簡単ではない。

 

 

 

真吾と久美子。

 

 

年老いた二人はそうやってこの時代まで生きてきた。そして様々な逡巡の果てに真吾の家で会うことになった。

 

 

昔の映画などの懐かしい話で盛り上がりますが、さして深い会話はありません。平和な時代の会話があるのみです。

 

おまけに真吾は前日からギックリ腰でちゃんと座るのもおぼつかない滑稽な姿。

戦時下における若い軍人と娘の恋などという、ある意味では格好よいと思えるスノビズムの部分も今は昔という有様。

 

 

極限の時代、底辺を舐めさせた時代、二人の熱き時代は過去のこと。

 

まるで親戚の集まりごとのように会話は進みお別れの時が来ます。

「またこれから時折り会いましょうよ」と久美子の夫は言いますが真吾は「もう二度と会うことはありません」と言います。

 

 

 

そう。

簡単に会える二人ではない。

 

 

 

ああ、たくさん喋ったのにちっとも喋った気がしないという真吾の気持ちの中で一同立ち上がります。

「よく生きてここまで来たねえ」というお互いの感慨があるだけです。

 

 

 

型どおりの挨拶をし58年振りの再会は終了となります。

 

 

 

ギックリ腰だから立ち上がらなくてもいいというみんなの気遣いの中で真吾は立ち上がり、

「さようなら」

「さようなら」

と挨拶を交します。

 

久美子は深く頭を下げ夫と玄関に向かいます。

 

 

 

 

 

 

その別れに耐えられないかのように、突然真吾が素っ頓狂な声で「久美さん!」と叫びます。

娘が久美子が夫が突然の大声に驚きます。

娘が「どうしたのお父さん?」と叫びます。大丈夫?という一同の視線。

 

真吾は今にも倒れそうによろけながら「久美子さん!!」と言い直し、更に言葉を重ねます。

まったく意外な言葉を。 

 

 

 

 

「アイ・ラブ・ユー」

 

 

まったく爺さんにそぐわない言葉。

 

愕然とする一同の中で、真吾の娘が叫びます。

「なんてこと言うのお父さん!!よその奥さんに!!」

 

 

しかし真吾はもう一度絞るように言います。

 

「アイ・ラブ・ユー」

 

 

 

言われた久美子は声にならぬ声をあげます。

真吾は低く静にかすれるように「アイ・ラブ・ユー」とまた言います。

 

 

 

真吾の娘は父に驚愕し「お父さん!!」と叱責しながらも感ずるものがあります。

アイ・ラブ・ユー。

まったく似合わない言葉にこめた想い。娘は真吾の胸に顔を埋め泣きます。

 

 

 

久美子も立っていられないほどの気持ちの中で夫の胸にすがりつきます。

 

 

一同の驚きと戸惑い。

部屋の右と左で抱き合って泣く二組の男女。

 

二人が出会うために仲介役をやったホームヘルパーの若い男性が目を白黒させ、この成り行きに「こんな・・こんなのどうしたらいいんです?」と観客に聞いてしまいます。

 

 

 

その戸惑いと哀しさと滑稽さに観客は笑い、涙し・・・・・幕がおります。

 

 

 

                      ―終-




2022.4.20

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