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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

夜からの声(後編)

「夜からの声」
   (後編)

 

地人会第95回公演 紀伊国屋ホール 2004.9.2110.2

 演出 木村光一

作   山田太一
     

 

出演 風間杜夫    西山水木 佐古真弓 花王おさむ 倉野章子

      長谷川博巳





 

 

 

 

 

そんな極限状況を遅ればせながら夫は気付き、貯金をはたいて祖父を施設に入れます。

 

女は介護からやっと開放されます。

 

 

 

これでとりあえず一件落着というところだったのでしょう。

 

しかしそんな苦労の果てに、あの施設の火事が起こるのです。

迎えに行く車中で女は逢いたいという想いをつのらせています。

 

 

 

ところが舅は、当然ながらそんな女の期待に応える存在ではなく痴呆の彼方にいてがっかりします。

 

女は、帰りの車中で降りたいと騒ぎ始めた舅を車から降ろすと、平手打ちをしてしまいます。

私が分からないの?私と逢って嬉しくないの?

 

そんな姿を見て夫は本当の意味で妻と父の「歳月のある関係」に気付きます。

虐待よりも深いショックを受けます。

そしてそうさせてしまった自分の器量、自分の責任。

 

 

 

 

 

 

疲れ果て、本当に疲れ果て家に帰り着いた二人は、酒を呑みながら変なことに気付きます。

 

隣室で寝ている舅の鼾がおかしいのです。

でも二人は黙って酒を呑みます。

 

 

女はこれから始まる介護の人生という重い課題に圧倒されており、男は戦後を逞しく生きて来た輝かしい父はもう存在しないのだという無念の思いの中にいます。

 

今の父の状態はこれまでの父も台無しにしてしまう。そんな屈辱の中で生きていることに何の意味があるのかと男は思います。

 

 

 

 

男の記憶では、その時父の枕元に立ってしまっていたそうです。

 

そしてごめんよ父さんと父の顔を両手で覆ったそうです。

一瞬鼾は止まりますがやがて復活します。

 

つまり一瞬にせよ男は父を殺そうとしたのです。

女はそれに気付きながらも何もしなかった。

 

 

 

 

それが二人の、祖父が死んだ夜の息苦しい記憶です。

 

 

 

 

 

やりきれぬ記憶です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その話を聞いた息子はこう言います。

それが何だっていうんです。大げさに過ぎないかな。ひそかな願い通りに祖父が死んだということでしょう。自分を責め過ぎるのは馬鹿げている。それで自殺するなんて。

 

 

 

真司は言います。

自殺は別の話だと。

電話でお父さんは希望を語っていた。妻と父の間にどういう感情が流れていても痴呆の老人と介護する人間の話だ。それはある意味ありがたいことで、めったにない幸せだったのかも知れないと言っていた。

 

 

 

だったらどうして父は死んだんですと息子は聞きます。

 

 

 

 

真司は分からないと答えます。

生きている人間には結局自分で死んで行く人間の気持ちは分からないんだ。傍目には死ぬことはないという理由で人は死ぬんだよと言います。

 

 

 

 

 

 

 

あなたはボランティアでいろんな人の話を聞いているからそんなことが言えるのだろうけどと息子が言うと、真司が言下に否定します。

 

ボランティアで様々な人の悩みを聞いているせいではないと真司は言います。

そこで真司は初めて自分の心情を言います。何故ボランティアなどという柄にもないことを始めたかということを。

 

毎夜電話をかけてくる、そのような人々に死ぬなではなく、自分自身に死ぬなと言いたかったからだよと真司は言います。切なく自分の孤独を吐露します。

 

 

 

驚くのは真司の女房です。

 

「ジョーダンでしょう?あなたにどういう死ぬ理由があるって言うの?B型で能天気な人間が」

 

 

 

 

真司は「ほらね、一笑に付されてしまう。それだけでも死にたくなるってもんだよ」と苦笑します。

「あなたは自殺するなんてタイプじゃ全然ないの。笑うしかないわよそんな話」と言いつのる女房。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、あの。

 

 

またすみません。

 

 

B型の部分は笑えたと思いますが、お読みの皆さん、すっごく深刻な展開のお話のように感じられているのではないでしょうか?

 

 

いえ深刻は深刻なんですけど違うんですねえ、舞台は終始笑いに満たされています。

 

 

 

いえ、困っています。

あらすじを書いているとこういう事にどうしてもなるんです。

 

 

 

物語の中で展開するふくよかな感情や人々の思いというのは、あらすじだけでは表現できないんですね。

 

 

 

 

この部分にしても義父の「細かなことを聞こうじゃないですか。細かなことで私たちは生きてるんだ」とか「聞かなくちゃいけない!こういうことこそ聞かなくちゃいけない」なんて台詞の時も「お父さんうるさい!」とか「聞いた風なこと言うのやめて」とか女房や娘のツッコミが飛び客席は笑いの渦です。そのニュアンスはもう観ていただく以外にないということになってしまう。

 

 

 

 

 

 

と、言い訳しても始まりませんね。

 

 

 

 

続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな真司との会話が一段落すると、女は「良かったわ」と言います。

いろいろ話せて良かったと女は言うのです。

女はやはりある程度回復しているのでしょう、「事実」を受け止めたようです。

 

 

 

 

真司は「ご主人は妻に感謝している、ありがとうの一言が述べたかったと仰っていました」と言います。

女は「それは嘘ね」と苦笑します。

「嘘じゃありません」と真司は重ねて言いますが、女は「死んだんだもの。ただありがとうな訳ないでしょう」と涙ぐみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

何故死んでしまったのか。

 

それは夜の彼方の出来事。

 

知りえぬ世界。

 

 

 

 

 

 

突然真司が「ああ!」と叫びます。

 

驚く一同の前で更に「ああ!ああ!ああ!」と叫びます。

 

 

 

そして自分の女房が研修のリーダーになってうかれている姿を誹謗し始めます。

女房は何よ急にと言いますが、真司は不満をどんどん言います。

社長はお前の肉体を狙っているんだとか、普通では言えない薄っぺらで滑稽な嫉妬心をどんどん言います。

女房は呆れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり女や息子に恥部を散々さらけ出させておいて、自分たちは聞いているだけでは申し訳ないだろうという真司の気持ちです。

こちらも思いっきり恥ずかしい本音をお見せしなくてはならないのではないかというヘンなバランス感覚。

自分だけではなく女房や娘や義父にも言え言えと、真司は煽ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンなら「それぞれの秋」最終回の「告白大会」を想起されるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ただこの舞台での「告白大会」は爆笑に包まれた「本音大会」です。

 

夫婦のすれ違い、ちょっとした親子の憎悪、義父と真司の家庭での滑稽なぎこちなさ、それぞれの小さな口惜しさ淋しさ、などなどが溢れかえります。

 

 

 

そしてある程度出たところで終りにしようとなります。

 

言いたいことはまだまだ一杯あるが、ほどほどのところで深入りしないほうがいい。「本当のことは怖い」と言います。

 

そう、本当のことは怖い。

 

 

 

 

 

 

 

最後に何故か息子の色男ぶりに執着する女房の熱意が功を奏し、娘と息子のおつきあいが始まるという爆笑のオマケもついてしまい・・・・山田ドラマらしく一同にこやかにお茶など飲んで、解決ではないけれど、ひとときの人間の「和」を見せて幕が下ります。

この色男の息子を演じているのは、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」主演の長谷川博巳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。

 

 

 

作    山田太一

演出  木村光一

 

出演  風間杜夫 (本宮真司)

            

    西山水木 (女房 本宮加代)
       

    佐古真弓 (娘  本宮亜弥)
       

 

    花王おさむ(義父 森沢郁夫)
        

   

    倉野章子 (女  藤井頼子)
        

    長谷川博巳(息子 藤井柾)
        

  

   

地人会第95回公演 紀伊国屋ホール 2004.9.2110.2

 

 

 

 

 

 

2021.1.16

 

 

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