忍者ブログ

山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

小寒む(5)終

 小寒む(5)終

 

 

 ○店(朝)

 

 店の前にタクシーが停っていて、それから降りる優子、後ろから出る母(58)を助ける。

 孝も前の席を降り、その母をささえる。

 

 母の声「(降りる足だけ見せ)大丈夫大丈夫」

 清二「お帰りお母さん」

 初子「お帰りなさい」

 母「(ニコニコして)はい、ただいま。とんだ目にあったよ」

 清二「おぶおうか」

 母「なに、もうケロリなのさ。二日も気を失ってたなんて嘘みたいだよ(と奥へ)」

 清二「血管がどうかしたんだって?」

 母「コレステローラとか云うんだってさ」

 清二「コレステロールは病名じゃないだろう」

 母「そうかい、まあ、いいさ、治ったんだから」

 

 

○茶の間

 

 母「(清二にささえられながら上がる)よいしょ。あ、すまないけど熱いお茶一杯頂戴な」

 初子「はい、いま(と台所へ)」

 清二「どうしたんだい、心配したよ」

 孝「(来て)お母さん、寝た方がいいんじゃないの」

 母「うん、お茶一杯のんで」

 清二「気を失っちゃったんだって?」

 母「ニュース見ててね、暖房が暑いんだよ」

 清二「へえ、お母さんニュース映画なんか見るの」

 母「そりゃまだ五十八だもの」

 優子「ショールかけてた方がいいわ(と母にかける)」

 母「ありがと」

 清二「ねえ、それで(と炬燵に顔をつけて母をのぞく)」

 母「なんだい、子供が話をせかすみたいに(とその顔を撫でる)」

 清二「(気持ちよさそうに)へへ」

 優子「(その顔をつつき)いい気になるな」

 清二「へっ、やいてやがらあ」

 母「(笑って)バカ。それでね外へ出たらキュンと寒いだろ。急に気持ち悪くなってさ、こりゃいけないと思って、病院さがしたんだよ、人に聞いてさ、坂をゆっくりのぼっていったんだよ。そこでわかんなくなっちゃったんだねえ」

 清二「(孝へ)なにさ、それ」

 孝「つまりな。脳の血管が切れるのが脳溢血だろ。お婆ちゃんのは、血管がつまっちゃったらしいんだ」

 優子「頼りないのよ、兄さん。先生にさんざん説明されたのに」

 孝「あの医者、ドイツ語まぜすぎるんだ」

 初子「お待遠さま(とお茶をおく)」

 母「ありがと。初子さん、心配かけて、ごめんなさいよ」

 初子「いいえ」

 孝「いや、よかったって云っちゃあなんだか、お婆ちゃんが二日いなかった事、俺達、いろいろ考えさせられたよ、ある意味じゃよかったよ」

 

 外から邦雄が帰って来る「あ、お腹すいた。なんかない?」と茶箪笥へ行く。

 

 孝「邦雄、お婆ちゃん帰って来たんだぞ」

 邦雄「あ、お帰り、お婆ちゃん(と事もなげに云って菓子を頬張る)」

 初子「邦雄!どうしてあんたは、もっとあったかくなれないの」

 

 

 

○母の部屋

 

 優子にささえられそっと床につく母

 

 母「やっぱりホッとするよ、お正月だからって出歩くんじゃなかったよ」

 優子「お母さん」

 母「なんだい」

 優子「道玄坂で倒れるなんて、因縁ね」

 母「バカ」

 優子「渋谷なんて遠いのに、わざわざ行くなんて、お母さんも淋しいのね」

 母「お母さんもって、お前もなんかあるんじゃないのかい?」

 優子「わかった?」

 母「なんとなくね」

 優子「でもいいの。本当はお母さんに夫婦喧嘩の愚痴云おうと思って来たの。喧嘩して一日早く来ちゃったのよ、でもやめたわ。恥ずかしくなっちゃった。お母さんの方がずっとずっと大変なのに、お母さんにこにこにこにこ笑ってたんだもんね」

 母「別に大変なことはないさ」

 優子「ごめんね、お母さん」

 母「なに云ってんだい、お前はいい子じゃないか」

 優子「私もう一晩泊めて貰う。お母さんの横へ寝かして貰う」

 母「いいね久しぶりで」

 優子「じゃ、ちょっと旦那に電話かけて来る(立ち上がる)」

 母「―(見送る)」

 優子「こっちからあやまるの癪だけど今度だけはあやまっちゃうわ」

 母「泊まらないで帰って来いって云うよ、きっと」

 優子「そうかしら」

 

クスッと優子、陽気に出ていく。

 見送って、とり残されたようにいる母。

 微笑が消え、涙が光っている。

 

 

           -終―




2021.4.15

 

 

 

 

 

PR