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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(15)山田さんの家庭

 

「山田ファンの始まり(15山田さんの家庭

 

 

 

若い時の話に戻ります。


 

「自分が生まれて来て良かったと思えないうちは、子どもなんて産めない」そう女子大生は言いました。心理学専攻で、私と話の合う女性でした。


私もまた子供を作るなんてとんでもない話で、生まれてきたけど本格的に人生に参画していいかどうか戸惑っていました。生まれてきた責任という言葉がありますが、私もそのことにこだわっている若者でした。




 

自分の意思で生まれてきた者は一人もいない。



そのことは、深いところで親を憎む気持ちを育てていました。平凡で善良な両親でしたが、そんな気持ちを醸成していたのです。

自分がもし子供を作るなら、そのことの答えを見つけ出さない限り無理だと思っていました。家を出て一人暮らしをする動機もそこにあり、悶々と原稿を描く動機もそこにありました。

 

「もし人生が苦悩に満ちているものなら、子どもを作ることは苦悩の再生産ではないか」(井上ひさし「道元の冒険」)「家庭の幸福は諸悪の本」(太宰治「家庭の幸福)そんな言葉に惹かれていました。

 


でも友人たちはなんとなく結婚し、「ガキがガキ作ってどうすんだよ」なんて笑いながらなんとなく子持ちになっていました。私は、それでいいのかと、怒りすら覚えていました。

 

 


ところが、山田さんとの交流で、私は家庭と言うものが「いいもの」だと思い始めていたのです。

山田さんの家庭で、お子さんとの交流を見ていると、そんなこだわりが随分観念的な考えだと思えてきたのです。






独身生活をおくる私にとって、時折り訪れる山田さんの家は、唯一の家庭でした。

幼いお子さんの縦横無尽の活動ぶりにびっくりしていました。山田さんはその活動をゆったりとした目で見ているのです。

 



例えば私と山田さんがソファーに座って話をしていると、幼稚園のお子さんが山田さんの隣でリコーダーを吹き始めるのです。もう、やかましくて会話が出来ないほど。でも山田さんは特別怒りもしません。ゆったりと私と会話を続けます。

 


勘の鈍い私は後で分かったのですが、お子さんは「ほら、こんなに上手く吹けるようになったんだよ」と私に自慢していたのだと思います。私は上手だねえと褒めなければいけなかったのです。まったく気の利かない若者です。山田さんはお子さんの気持ちを分かっていたのか、叱りもしなかった。

 


しかし九州の私の父だったらどうだろうと思いました。子供の気持ちはわかるけど、お客さんの前だ、静かにしなさいと叱責したと思います。そういうお体裁を優先したと思います。山田さんはそこが違いました。

 





こんなこともありました。


小学生のお子さんが、「大きくなって彼氏ができたら、あそこでデートするんだあ」なんて夢を語っていました。すると山田さんが「その時は、パパが行って邪魔してやる」と笑いました。

するとお子さんは、なんて馬鹿なことを言うんだ、という顔で「パパはその時死んでるんだよ!!」と言いました。

私はびっくりしました。いくらなんでもそれは言い過ぎだろうと思いました。

 

さすがに山田さんも言葉に詰まりましたが、かろうじて「じゃあ、幽霊になって邪魔してやる」と返しました。

でも山田さんの劣勢は返せませんでした。

お子さんの言葉に深い意味はなく、大人は自分たちが大きくなった頃はみんな死んじゃってるんだ、くらいの気持ちだったのだと思います。

 




子どもって凄いなあと思いました。



子どもは観念をぶち壊してくれる。私は家庭のダイナミズムとも言うべきものに触れ、それは「いいもの」だと思い始めていたのです。

 



それからこんなことも。

確か「男たちの旅路」とか「岸辺のアルバム」なんかを書かれていた頃だったと思います。夕食が終わって、しばらくリビングに山田さんがいないということがありました。

ご家族も自室に戻っていて、誰もいなくて、ポツンと私だけでした。山田さん何処だ?と思ったら、かしゃかしゃと台所から音が聞こえ、見てみると、山田さんは台所でお茶椀を洗っていました。

 

当番なのかなと思いました。筆一本で家族を養っているのに家事も分担している。九州の私の父には絶対ないことで、新しい家庭を見た思いでした。今でこそそういう男性はたくさんいますが70年代のことです。






それが山田さんの実践していた家庭でした。

 

 



そんな時に山田さんは家庭崩壊劇「それぞれの秋」や「岸辺のアルバム」を書きます。


マスコミは家族崩壊現象をセンセーショナルに書きたてます。今後の家族はどうなると煽ります。


別に山田さんは家族無意味説を唱えているわけではないのだけど、家族崩壊というワードは一人歩きを始めます。

 

山田さんは、自宅では微笑ましい家庭を営み、十分にその栄養を吸収しているのですから、マスコミが言うほど悲観的に家族を見ているわけではないと私は思っていました。



むしろそういう哀しいドラマを描きながら、一人一人の、ふくよかな人間描写に注目すべきだと思っていました。




権謀術数に重きをおかない展開、小さなこだわり、哀惜、おっちょこちょい、出した言葉と自分の乖離、生存の曖昧さ、そのジレンマ。

 



今でも山田ドラマと言えば、家族崩壊を描いた辛口ホームドラマという括りがありますが、それは一面しかとらえていないと思っています。


巨匠になった山田太一には、おびただしい通念が蔦のようにはびこってしまっているということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンの始まり(16)結婚式」に続く。



2021.7.9

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