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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(25)大河ドラマが歴史か?

「山田ファンの始まり(25大河ドラマが歴史か?

 

 

 

 

「獅子の時代」における山田さんの目論見はこうだったと思います。

隣の肉屋の話も描くが王様が殺される世界も描く。

それが明治の政権の中枢にいる藩士(加藤剛=王様が殺される世界)と下級藩士(菅原文太=隣の肉屋の世界)の対比になったのだと思います。

 

明治維新の時代を丸ごと描き出そうする「獅子の時代」でしたが、その野心とは別個にこういう関心が私にはありました。





 

大河ドラマ的切り取りの世界に私たちはいないということ。

波動を発しながら生きている一人一人は、すべて主人公として生きている。脇役として生きている者は一人としていない。

世界人口787500万人全部が主人公という事実。

 


山田さんに出会った頃私は「自分を世界から見るってことが必要です」と言いました。自分の卑小さに思いわずらっていたからの言葉でした。

すると山田さんは「世界から見たら、みんなゴミみたいなもんじゃないの。ぼくも君も」と言いました。

その通りです。だからこそ「僕を重んぜよ」という、詩人の言葉を山田さんはよく引用されたのでしょう。地球にしがみついて生きている人間。明日をも知れぬ私たち。

 

 

星占いに一喜一憂する人々に寺山修司はこう言いました。

はるか彼方の天体と自己との間に一対一対応を求めるナルシズム。

 

山田さんは星占いについてこう言いました。

合理主義に支配された日常に、ほんの少し別の視点を与えてくれるもの。

 


山田さんは寺山修司と違って、ちょっと優しい言葉をかけていますが、寺山修司より冷たい言葉だと私には思えます。

寺山修司はナルシズムと突き放しているけど、山田さんは神秘主義にも合理主義にも肩入れせず、それでいて突き放しもしない。中間の立場です。

優しいといえば、優しいかも知れないけど、山田さんの優しさは恐ろしい冷たさに裏打ちされた優しさと思えます。

 


私自身は神様を信ずる人間ではなく、ある程度科学のなしえた解釈を信じています。

138億年前にビッグバンがおき、一瞬で宇宙に元素が出来たということ。水素が生まれ、ダークマターが引き寄せ、星が生まれたということ。

膨張する宇宙の中で恒星が作られ惑星が作られ、無数の銀河が発生してきたということ。

アフリカで500万年前に人類が発生し、世界に散らばっていったということ。

そんなことを信じています。

 

その人間が、光のスピードでも何百年もかかる距離の星々に、個人的関係を求めているというのはナルシズムと言ってもいいことではないかと思います。

運命も、因果律も、神も、生まれ変わりも、宇宙の意志は私たちを見ているという考えも、人間のナルシズムなのかもしれません。
そういうフィクション抜きに現実を受け止められるほど人間は強くないということなのかも知れません。

 

アウシュビッツでガス室に送られるユダヤ人が、善き行いを神はきっと見ていて、救済してくださるとか、中近東で声もなく虐殺される母子が努力は報われるなどと思っていたら、胸が痛みますが、それでも人はゴミのような人生をナルシズムで彩ることしか出来ないのかもしれません。

 


山田さんの冷たさは、このことを見据えた故のように思えます。

「人間に愛なんてないんだ!エゴなんだ!」と叫ぶ人は多いけど、そんな時でも「愛はないなんて言っちゃうと、ちょっと淋しいよね」というのが、山田さんのスタンスでした。本質はそうかも知れない、愛はないかも知れないけど、それでも人間は生きていくしかないじゃないかというスタンスが山田さんでした。


人間は可哀想な生き物。

だからこそ、なのです。
そこに山田さんがフイクションを語る根拠があるのではないでしょうか。
いえ、山田さんの冷たさと言いましたが、正確には冷静だということです。恐ろしく冷静だということです。冷静さに裏打ちされた土壌に、温もりあるフィクションを山田さんは紡いできたのだと思います。

 

 

人間は原子から出来ており、原子は原子核と電子から出来ており、原子核は陽子と中性子から出来ており、更にそれらは素粒子で出来ている。

人間の遺伝子は発生以来のDNAを脈々と受け継いでおり、787500万人がDNAの伝達者として生存している。

それが個人です。偉大と言えば偉大、ゴミと言えばゴミです。

 

ドラマはそういう個人を反映させなくてはならないと思っています。たかだか数百年のスパンで目立った人間だけに価値があるわけじゃない。

私は大河ドラマ的切り取りに文句をつけていますが、しかし結局ドラマは切り取らないと表現できないということは分かっています。

市井の人々を中心にして、英雄偉人を背景として扱っても、主役と脇役は存在する。それがドラマというものです。

いちどきに人類全員を平等に描写することは不可能です。

つまり、作品ごとに、こんな人もいるよ、こんな人もいるよ、という表現の繰り返しなんだと思います。

その項目が豊富なほどドラマはゆたかだと言えるのだろうと思います。

 

「獅子の時代」(NHK)はその手探りだったと思います。

隣の肉屋の話も描くが王様が殺される世界も描く。

 

「想い出づくり」(TBS1981年)は1人の主人公ではなく、3人の女性(田中裕子、森昌子、古手川裕子)それぞれが主人公であるように作られた。

「真夜中の匂い」(フジテレビ1984年)(紺野美沙子、中村久美、岩崎良美)も続いた。

それは、やがて「ふぞろいの林檎たち」シリーズ(TBS1983年~1997年)(中井貴一 、時任三郎 、柳沢慎吾、 手塚聡美 、石原真理子 、中島唱子 高橋ひとみ 、国広富之.)へと発展した。

 

山田さんは「こういう人もいるよ」という世界を、次々と発表していきます。

「早春スケッチブック」、「シャツの店」、「ながらえば」「今朝の秋」(などの笠智衆三部作)、「春の一族」(などの一族シリーズ)、「飛ぶ夢をしばらく見ない」(などのファンタジー小説三部作)、「丘の上の向日葵」、「ありふれた奇跡」、「空也上人がいた」、3.11を扱ったSPドラマ「時は立ちどまらない」「五年目のひとり」・・数えきれない作品群です。

 

 

 

 

山田ファンの始まり(26)飛ぶ夢をしばらく見ない」に続く。



2021,11,3
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