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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(8)山田太一の伴走者の妄想

 

 

「山田ファンの始まり(8山田太一の伴走者の妄想

 

 

 

 

「血が凄いの。いっぱいだったの。トイレ中、真っ赤よ」と酔ったママは言いました。流産した時の思い出でした。九州の福岡で結婚生活をおくっていたときの思い出で、それ以後子供は出来なかったと言いました。

ある日、夫からからこういうことを言われました。「子供を育てて欲しい」と。

他に女が出来て、その女が妊娠した。あなたと別れるつもりはない、だからあなたに育てて欲しいと。

 

そんな要求を呑めるでしょうか。

裏切ったこともひどいけど、それはこんな体の自分にも責任があると思う。でも「育ててくれ」はないだろう。

ママは離婚します。たっぷりと未練を残して。

 

 

上京して就職しますが、美貌が災いとなり次々と男が言い寄ってきます。ある会社の社長は近くにアパートを借りて手練手管を弄します。

職場を変えざるを得なくなり、転々とします。つらい日々の中で、酒場で酔いしれ、自暴自棄になり「あの頃のことは思い出したくない」という無軌道な時期をママは過ごします。

そんな時にあの男と知り合ったようです。

 

 

男は芸術好きのサラリーマンで、多方面にわたって造詣の深さを感じさせる男でした。

しかし。

ある時、たまたまジャズダンスを志している女の子をまじえて私と飲んだときのことです。

もちろんジャズダンスじゃ食えるわけないから、「8時だよ全員集合!」のバックダンサーのアルバイトをして頑張っていると女の子は言いました。

 

それに対して、男は「なんだそのいい加減な仕事は!」と罵倒しました。

もっとスタンダードなものを目指せと言い、そのスタンダードなものとは紫綬褒章を受章するようなものだと言うのです。誰しもが認めるもの、それを目指さないでどうする、ジャズダンスなんて聞いたこともないし、いい加減なテレビの仕事しているんじゃ、どうしようもないと罵倒するのです。

私はその権威主義に呆れました。蔑視された漫画を描く者として、ジャズダンスを夢見る女の子が気の毒になりました。

 

その見当違いの自信を持った男が、私の部屋に踏み込んで来た時、何故私に対して怯えていたのか?気が小さいこと以上に謎があると思いました。

ここに散々書いているように、私は自信のない、さえない若者でした。

 

しかしこんな体験があります。

高校生の時です。

初めて彼女ができた時(友だちも満足に作れない奴が彼女は作れるという不可思議)彼女の家庭にお邪魔することがありました。

そこで彼女のお姉さんと話すこともあり、お姉さんは婚約をしており、その婚約者も交えてお茶を飲んだりしました。

 

ある時彼女とトラブルがあり、喧嘩別れをしてしまいました。その後、ちゃんと家に帰ったかどうか心配になり彼女の家を訪ねました(携帯電話はない頃で個別に連絡をとることは不可能な時代)。

すると家には彼女のお姉さんと婚約者がおり、挨拶はしたのだけど、婚約者はプイといなくなってしまいました。

私はお姉さんに事情を話しましたが、そのこととは別個にこういうことをお姉さんは言いました。

 

こんなことを言うのはいやなんだけど、と前置きし、私はあなたに迷惑しているのと言いました。

驚きました。

 

何故婚約者はプイといなくなったのか。その理由。

婚約者が私とお姉さんの間を疑っていると言うのでした。

嫉妬していると言うのでした。

私はその時さえない高校生。

それがはるか年上の成人男性に嫉妬されるのか?そんな対象になるのか?了解出来ませんでした。

婚約者の特殊なコンプレックスなのかもしれませんが、そのことは長い間私の心に残りました。

 

 

ですから、私はここでおどおどとした青春模様を書いていますが、それは私の内面からみた自己像であって、実は世の中にあらわれている私というのはまったく別の像かもしれないということです。

こいつモテるんだろうなあ、チクショウ!と思わせるようなものを、事実としてはまったくないのだけど、結果としてそういうものを発散している鼻持ちならないキャラクターとしてあらわれているのかも知れないということです。

 

 

なぜ私の部屋に踏み込んできた男が私におびえたのか。

同じように、カウンターの隅で飲んでいた解体業の男性が、何故私に殺意を見せたのか。

おれは誠実にママを思っているけど、お前は遊びでママに手をつけた。誠実さのないプレイボーイだと空想したのではないか。そう思えば合点がいくのです。

 

生きていくということは自己の内省だけではなく、自分がどう見られているかということも考慮して生きていかねばならない。でも当時の私は内省だけがすべてで、右往左往していました。

 

40過ぎて、結婚もせずつきまとう男。

水商売の女、淫乱、人格破綻者と言われるママ。

何処に真実があるのか。

私はママと男の修羅場に飛び込んで行かざるを得ませんでした。

この数年後に、実はママは亡くなってしまいます。「それぞれの秋」じゃないけど脳の病気でした。

 

 

そのことはこのエッセイの主題から外れるので、これ以上は書きません。

紆余曲折あって一件落着したあと、私は「カリメロ」に復帰しました。本当に山田さんには迷惑をかけました。

 

この半年くらい後から、山田さんのかなり長い連続ドラマが始まりました。その中でこういうところがあります。

主人公の若者には可憐な恋人がおり、それが水商売の子なのです。その子の過去の男性遍歴が問題となるシーンがあります。

可憐な姿に目をくらまされているけど、実は数々の体験を淫乱のようにしているという情報が入り、主人公は悩むのです。

結局性体験なんて自己申告ですから、真実は何処にあるのかと悩むのです。主人公の母親が結婚に反対していることもあり、彼女を好きな自分に自信を持てるのかと悩むのです。

 

これを見て驚きました。

まったくの偶然なのかも知れません。この構想はずっと前からあったのかも知れません。

しかし、と思うのです。

こういう考え方はよくないのかもしれないけど、私はホッとしたのです。もし、あの大迷惑な出来事が、少しでも山田さんのインスピレーションの役にたったのなら良かったなと。

 

以前引用した「上野駅周辺」でも水島涼太演ずるさえない青年は、最後に学生時代から恋い焦がれていたマドンナとデートし、淡い夢をみます。しかし、裏に暴力男がいてひどい目にあうという顛末があります。

 

もちろんどれもこれも勝手な想像です。伴走してきた山田ファンの、伴走者だからこそ持つことのできる勝手な妄想です。

 

 

 

 

 

 

山田ファンの始まり(9)「軽蔑もいっぱい」に続く。

 

 

2021.5.17
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