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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

わしも介護をやってみた!(6) 評判と不評。

七月六日(火)

橘氏の退職が今朝正式に通達された。

七月二日の入浴介助時に黒岩氏に叱責され、納得出来ない橘氏はそのままセンターの所長に抗議。「ここまで言われてはやってられない」と辞意を表明していた。当然所長らのひきとめ策が講じられたと思うがこの結果となった。残念だねと他の新人と話す。

 

ここでこのセンターの管理体制を説明しなくては話しが了解しにくいと思えるのでざっと概略を。

 

所長(男性)の下に富士見という女性責任者がいて、久保田という女性常勤職員、黒岩という男性常勤職員が配置され非常勤職員を管理している。

三人とも三ヶ月ほど前にその大任についた二十代から三十代になりたての若者である。

管理者が何故三ヶ月前に新人になってしまったのかというと、三ヶ月前にそれまでの管理者が複数同時に辞めたからである。

何か「政変」のようなものが起きたらしい。

おそらく非常勤職員も大量に辞めたと思われる。だから私のような非常勤職員が何名も雇われたのであろう。

 

さて問題はスタートした職場における新人管理者と古株非常勤職員の軋轢である。介護の「やり方」、あるいはもっと深く言えば「あり方」を巡って細々対立しているらしく、これまでの方法を踏襲したいベテラン非常勤職員と新しいことをやりたい新人管理者という図式があるらしい。

 

中でも同性介護を基本とするこのセンターでは、黒岩氏は男性チームのリーダーでもあるのだが二十五歳という若輩にも関わらず態度が大きいと不評である。いくら上司といっても年上の非常勤男性職員に対する態度が傲慢であるとパート女性の不満は留まらない。

 

今回、おそらく六十代前半と思える橘氏とのトラブルも「またか」という印象で捉えられている。以前にもさる年輩男性がいびられて辞めていったらしいのである。私もおそらくいびられているのではないかとパート女性の同情を受けているのだが、今のところそういう事はない。

 

まあ、若さ特有の思い込みと、私を叱責したあの女性(久保田)のように「正しいことは言ってかまわない」という狭量さの問題はあるが、私は様々な職場体験でそういうのは慣れっこなので我慢できる。橘氏は慣れていなかったのかも知れない。

 

で、その黒岩氏が何故橘氏を叱責したかと言うと、直接のきっかけは私である。

入浴介助時、私は衣服の着脱の役をしていたが、車椅子に座った利用者さんのパンツとズボンを上げる際、自力で立てる人なのかどうか分からなかったので橘氏に聞いたのである。利用者さんに聞いても明確な返事が得られなかったので先輩に聞くしかなかった。

 

しかし橘氏もよく分からなかったらしく、浴室で利用者さんの体を洗っている黒岩氏に聞いた。黒岩氏は忙しくてとても脱衣所には出て来られない風だったが、なんとか浴室から出てきて対応してくれた。

 

しかし入浴終了後黒岩氏は橘氏に言った。言ったというより殆ど怒鳴っていた。

 

「橘さん!あなたは介護というものをどう捉えているんですか?あなたは寺尾さんの大先輩なんですよ?ああいうことを一々私に聞くということはどういうことですか?そういうの僕、はっきり言って一番嫌いなんですよ!」

橘氏は「いや、私も咄嗟のことで、分からなくて思わず黒岩さんに聞いたんです」と言った。

すると黒岩氏は「いや、事情は分かりますよ。でもね、私が聞いているのは橘さんがどういう気持ちで介護をやろうとしているかということなんですよ」

とそこまでは聞こえたが、私は浴室の掃除をしていたため後は口論のようなものが切れ切れに聞こえるだけで明確な論旨は聞こえて来なかった。

 

掃除が終って出ると黒岩氏はもうフロアに戻っており、橘氏だけが憮然とした顔で脱衣所の掃除をしていた。

「私のことで迷惑かけてすみませんね」と私は謝った。

更に「でも介護のやり方を間違えて、万が一取り返しのつかないことになったら困りますからね。利用者さんが怪我をするとか・・『失敗しましたスミマセン』じゃ済まない仕事ですからね」と言うと橘氏は「そうなんですよ。私も分からなくて咄嗟に聞いちゃったんですよ」と言った。

 

橘氏は「私はもう」と言い腕でバツ印をジェスチャーし、「こんなこと言われてまでやる気はないです。もう辞めます」と言った。そのあと所長とお昼御飯も食べないで話をしていた。

 

 

また苛めて辞めさせたというのが非常勤職員の一致した見かたであるが、その時もう一人新人男性(三十三歳)が脱衣所にいて一部始終を目撃しており、彼は苛めとは思わなかったという。一応論旨の通った主張を黒岩氏はしていたということである。ただ、いくら正しい論旨でもあの剣幕はないだろうと私は思う。あれじゃあ傷ついちゃう。

 

段々と職場になれて来たが、なれると同時にどちらの勢力につくかということが今後問われてきそうである。事実どちらの勢力からも秋波が送られてきている。

黒岩氏は古株の言うことなんて聞き流しておけばいいんですよと私に笑いかけてくるし、パート女性からは黒岩のいう事なんて気にしないでなんでも相談して下さいねなんて言われる。

三十三歳の新人男性もそうなのかと思ったら、彼は黒岩氏が贔屓してあまり叱らない新人と見えているようで「あいつは黒岩の仲間だ」という判定になっているらしい。

 

人間が生きるということは生臭いことだ。








7) 七夕の願い に続く。

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