山田ファンの始まり(17)なんの利害もない関係
「山田ファンの始まり(17)なんの利害もない関係」
結婚式のあと披露宴が始まり、山田さんはスピーチ冒頭でこういうことを言われました。
「私と彼とは、なんの利害もない関係です」
私との付き合いをそう表現されたのです。
とても胸をはって言われたという記憶があります。
なんの利害もない関係。
私はその言葉がどういう意味なのか分かりませんでした。
まあ、もともとそういうことに疎い人間でした。
ですから後でこう推理しました。
当時の山田さんは、話題作をどんどん書き、ドラマだけではなく、NHK教育テレビに登場し、学者のように家族問題を語るなんてことが増えていました。
ですから、おびただしい数のオファー、それに伴う関係者の気遣い、結果的に増えるイエスマン、それらに取り囲まれはじめた頃だったのだと思います。
物書きとしてはワンマンを通す環境が整って結構なことのように思えますが、当然健康なことではありません。創作の舵取りに、より一層の覚悟が必要な事態になっていたと思います。
時代を読むなんてことの出来ないボーっとした私は、難しいことは分からない大衆代表として、実感批評を山田さんに言い続けていました。
面白くないものは面白くないとはっきり言いました。イエスマンに囲まれはじめた山田さんにとってはひとつのデータにはなったのではないかと思います。
つまりこいつは優れた人間ではないが、迎合して嘘をつくような人間ではないという信頼があったということです。
私の人間としてのいびつ度を計算して修正していればいいだけで、それはある程度の指針にはなったのではないかと思えます。
当時、信じられないでしょうが、私にすら、どこでどう聞きつけたのか、小さな芸能プロダクションから「山田先生を紹介して欲しい」という要望が来るようになっていました。
山田さんは一介のライターに過ぎず、キャスティング権など持っていないと断っていましたが、私にすらそうですから、利害が絡んだ人間関係があっちにもこっちにもしかけられていたと思います。
そういうことがあっての、なんの利害もない関係発言だったのだと思います。
結婚式というのは厳しいタイムスケジュールで動いています。リハーサルもなく、ぶっつけ本番ということがたくさんあります。
キャンドルサービスの時など、私たちの前に男性スタッフが一人ついて、一挙手一投足を指示するのです。
みんなに聞こえないように、最低限の小声で
「ここでお辞儀です」
「ここで右向いて、頭を下げて」
「左向いて、頭下げて」
「次に前を向いて一礼」という塩梅です。
それが毎日やっているルーティンワークなんでしょう、なんの感情もない。思い入れがない。
結婚式の司会が、感動的に感動的に「人生の最高の日」として演出しているのに対し、真逆とも言える思い入れのなさ。次々と、クールに、ロボットのように指示を出す。
そのギャップが可笑しくて可笑しくて、山田さんも喜んじゃって「ぼく、書くよ、この人書くよ、絶対書くよ」と興奮していました。
ああ、忙しいのにこんなことに巻き込んじゃってと思っていたけど、少しでもネタを拾われたのなら良かったと私は思ったのでした。
そうやって結婚式は終りました。
山田さんご夫妻が送り出してくれた私の家庭。それは当然ですが、独身の人生とはまったく違うものでした。
何より、仲人を提案しててんてこ舞いさせた女房です、更に凄い家庭のダイナミズムが始まりました。予測不可。
1年後には子供も生まれ、プラットフォームも満足に歩けない自意識過剰な若者は、子育てという嵐に突入していったのです。
そう、子どもが生まれました。
生まれて来た責任という問題は解決していませんでしたが、子どもは生まれました。
私は女性を妊娠させるなんて体験はなかったので、「あ、やっぱり出来るんだ」と驚いてるような塩梅でした。
まったくそんなボーっとした父親に誕生させられたんじゃあ、子どももたまったものではありませんが、私はそんな形で親になりました。
私は前もっていろいろ考える観念性を控えるようにしていました。無責任と言われようと、成行きを積極的に受け入れようとしていたのです。
将来「頼みもしないのに何故生んだ!」と追及されたらどうするか。
私には答えはありません。
ただ、覚悟だけはしていました。もしその時が来たら、ただひたすら謝ろう、土下座をしよう、それだけを決心していました。
幸い、こんにちに至るまで、そんなことを言われたことはありません。
でもきっと思ったに違いないと思います。
それほど人生には理不尽なことが多い。
まあ、とは言っても、そんな観念性の対局にいる女房の血が入ってますからね、そんな世界は何処吹く風かも知れません。そこは分かりません。人間はいろいろです。分かりません。
山田さんの「平凡に見える家庭でも、それぞれ何かを秘めている」というドラマを観て、私はそんな意味で共感していたのです。
山田ファンの始まり(18)「大衆に向かってドラマを書く」に続く。