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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(19)平凡で幸福な家庭

 

「山田ファンの始まり(19平凡で幸福な家庭

 

 


 

山田さんはこういうことも言います。

「描写には方向性がある」


ドラマは日常をリアルに描写しているだけではなく、向かうべき方向があるからそのシーンがあるというわけです。

私たちのおくっている日常にはテーマも方向性もありません。

後になって、ああ、あの痛みはこの病気の前触れだったのかとか、あの時私は嘘をつかれていたのかとか、子どもはこのことを訴えていたのかとか、いろんなことがごちゃ混ぜになって進んでいるのが日常です。複数のことが一斉に進んでいて、一本の線がない。

 


しかし、ドラマには一本の線が存在する。それが日常と違うところです。

一本の線にそって、伏線があり、人物描写があり、見せ場があり、数々の仕掛けを含んで進んでいく。もちろん群像劇になったら一本どころではなく複数の線が存在しますが、日常ほどではない。

 


例えばドラマで「平凡で幸福な家庭を営んでいた男が、突然事件に巻き込まれ、まったく違う人生が始まってしまう」という一本の線があるとすると、初めに平凡で幸福な家庭を描写しなくてはならない。不幸のどん底に落ちるわけだから、落差を見せるためにも素敵な幸福感を描写しなくてはならない。しかもそれは事件そのものではないから、出来る限り短く的確に描かねばならない。

 

凡百のライターだと、幼い子どもが「パパ大好き」と抱き付いたり、夫婦互いに「愛してる」なんて言いあってキスまでして出勤する風景を描くことになる。それからすぐに事件に向かう。

でも、今でも日本人は「愛してる」とはなかなか言わないから、「愛してる」なんて言いあう夫婦を描いたりすると、わざわざ言わないといけないような不穏な夫婦なのかと疑われる可能性がある。愛妻弁当や、帰宅時に買い物をしてくる約束をする夫なんて描写で書くほうが分かりやすいかなどとライターは迷う。

 

そもそも「平凡で幸福な家庭」なんて一言で言ったって中身は千差万別。

傍から見て幸福に思えても、当人たちは細かな不満の中にいるなんてことはよくある話で、それを描くことにより、なんだかんだ言っても幸せな家族じゃないかと思わせる手法もある。

 


どんな「幸福」を描くか、そしてそれがどう「不幸」になっていくのか、そこがライターの腕の見せ所で「平凡で幸福な家庭」という一言の世界が「事件」より大問題ということでもある。




凡百のライターならパターン通りの描写でさっさとすますでしょうが、ちゃんとしたライターならそうはいかない。視聴者にとって自然でありつつ、任意の方向に向かわなくてはならない。自然は十人十色の迷宮で、そこでウロウロは出来ない。あくまでも魅惑的にフィクションの世界に向かわねばならない。


山田さんもまたそういう課題を数限りなくかいくぐってきた。

 

 



山田ドラマの台詞ってちょっと不自然だよねという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

いわゆる山田台詞というやつです。

それは「3人家族」(1968)とか「二人の世界」(1970)あたりの頃は出て来ないけど、「ふぞろいの林檎たち」(1983)あたりからは顕著に出て来ます。


自然な台詞にあれだけ注意している山田さんが何故不自然と言われるような台詞まわしを始めるようになったのか。それは、数々の作品を描く中で出て来た、ぎりぎりの方法論だったのだと思えます。

 

特に連ドラの序盤などは、山田様式とも呼べる畳みかけが行われます。

ドラマ設定、キャラクター紹介、伏線、何よりもこのドラマは面白いぞと思わせるエピソードがうねるように絡みつき、一言一句無駄なものはない。

ちょっとこんなことは、と思われるシーンがあっても山田ドラマは強引におし進め、次に出て来るシーンでそんな違和感を凌駕する魅力を突きつけます。テンポある展開に視聴者は山田ドラマの魔法の中に入って行くのです。

 



その緩急自在なテクニックは、視聴者という大衆を的確にとらえているから出来ることです。

大衆をどうとらえるか。

その話を山田さんと私はよくしました。

初めて山田さんと会った時、山田さんはこんなことを私に訪ねました。

「私以外に好きなライターっていますか?」

私はこう答えました。

「倉本聰さんです」

山田さんは「倉本さんは大衆を描こうとしてるよね。いいよね。テレビ大賞の授賞式でちょっと挨拶しただけだけど」と言いました。

 


大衆。

当時、大衆のことを話す時、吉本隆明の「共同幻想論」がどうしても出てきました。それまで軽んじられていた大衆を思想の中心にとらえた魅惑的な論考を進めていました。

共産主義も大衆を重要視していましたが、それは革命のためにオルグすべきものとしての大衆でした。つまり啓蒙すべき存在と見ていたのです。吉本隆明はそのことに異論を唱えていました。



 

山田さんが「夏の故郷」(1976年)のシナリオハンティングをした時のエッセイで、村の若者たちがとても怒っていたというエピソードを書いています。

ある小さな劇団が村で公演をするためにやってきたのだけど、その時「村に文化の灯をともしにやってきました」と言って練り歩いたというのです。

その上から目線に、村人、特に若者は激怒したというのです。山田さんが取材した時はそれから随分の月日が経っていたけど、昨日のことにように怒っていたというのです。




 

演劇はある時期までは大抵「左がかって」いたようです。テレビで好々爺役をやって人気のおじいさん役者が、若い頃はバリバリの左翼で、尖った舞台に出ていたなんて話を山田さんに聞いて私は意外に思ったものです。

革命に向かって大衆を覚醒させる。それが演劇(芸術)の使命だと言われた時代もあったようです。「一人の一歩よりみんなの一歩」大衆を覚醒させるんだ。そんな情熱で動いていた。

 

それが革命幻想もすっかり地に堕ちた70年代後半に、そんなことを言っている劇団がまだいるのかと山田さんは呆れたと書いています。



吉本隆明に同調するかどうかは別として、山田さんもまた大衆を中心にとらえていた。それが「王さまが誰に殺されたかを書くより、隣の肉屋の親父はどうしてあの奥さんと結婚したかということの方に関心がある」というチャイエフスキーの言葉に出会い、我が意を得たりと山田さんは思います。

 

 

 

 

 


山田ファンの始まり(20)大衆をどうとらえるか」に続く。

 

2021.8.5
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