山田ファンの始まり(2)山田太一は作家なのか?
「山田ファンの始まり(2)山田太一は作家なのか?」
私は「パンとあこがれ」(1969年TBSテレビ小説)で山田ドラマの洗礼を受けたわけですが、その感動を仲間に伝えようとしても、上手くいきません。
ビデオもない時代です。再放送もない。いえ再放送はあったのですが、毎日15分のテレビ小説を1時間にまとめたものを平日午後に連日放送して、実は私はそれを見て感動したのですが、ですから、つまり、再放送はもう終わっていて、それ以上の放送はちょっとないだろうという時期だったのです。
仲間は笑い、そんなものは見るまでもないと言います。
しょせんテレビドラマだろうと舐めてるんです。
こう誹謗します。
まずテレビドラマのシステムがなっていない。
映画は監督のものなのに、テレビはディレクターが複数いて、それが交代で演出をする。そのシステムはなんだ?と言います。その映像は誰が責任を持つんだ、そんないい加減なシステムで作品らしい作品が作れるのか?批判はとまりません。
映画の作り方、映画のフォーマットから一歩も抜けられないのです。
私は山田さんから、シナリオ「小寒む」(1967年TBS単発ドラマ)と「ベンチリョード」(自主制作映画短編)を借りて大学ノートに書き写していましたので、それを仲間に読ませますが、ひどい評価です。「なんだこりゃ」です。
こんな古臭い人情話のどこがいいんだ。甘っちょろい。俺も「小寒む」みたいな人情話書いた時期もあったよとあざ笑います。
私は「小寒む」に描かれたお婆さんの孤独に感銘しないのかと言いました。するとお涙頂戴じゃないかと言います。これが例えば、家族みんなが心配しているような顔してるけど、実はそうじゃないんだという話ならいいけどなと言います。
私は、そういう話になってるじゃないかと言うと、何処にそんなことが書いてある?と、びっくりしたような顔で聞き返します。
私は最後にお婆さんが涙を流すところに出ているじゃないかと言いますが、ピンとこないようです。どうやら、家族が心配してくれてありがとうという意味でお婆さんが涙を流していると誤解しているのです。
先入観で舐めてかかっているからちゃんと読めてないのです。映画に比べればという思いに強力に支配されていて、テレビライターがまともなものを書けるわけないと思っているのです。
「ベンチリョード」に関しても「こんなの書いているようじゃ、木下恵介の子分からは抜けらねえな」と言い、「お前は、その山田なんとかってやろうに騙されてんだよ」とあざ笑うのです。
註(「小寒む」に関してはブログに脚本が入っています。直に読むほうが一番分かりやすいので参照していただければと思います。)
そのころ山田さんは仕事場を借りていて、毎朝お弁当を持って出かけ、夕方まで原稿を書くという生活をしていました。
そのこともバカにされました。
書く作品も生活もサラリーマンだなと笑われました。
小市民的世界に安住せず、あらゆる権威から自由であらねばならない。それがもの書きだとみんな思っていました。芸術家とはそういうものだと思っていました。
仲間が思い描いているのは、いわゆる無頼派スタイルのもの書き像でした。
昼夜逆転の生活で原稿を書くのが当たり前で、毎朝定時に起きるなんて堕落とすら思っていました。そういう規則正しさの中で、いつのまにやら飼いならされる人間というものを嫌悪していました。
映画人も同じようなところにいて、ゴールデン街で酒を飲み喧嘩をし、性的には放縦で、家庭なんかは顧みない、そういうことが芸術家であり、ものを作ることに必要なことだと思っているようでした。
当時注目されていたアングラ劇団も、日常性をどう壊すか、小市民性からの脱却を叫び、ありとあらゆる常識を疑えとあおっていました。
しかし若い頃の私は、そういう動きに懐疑的でした。
何故なら、私にとって日常そのものが壊すどころか、化け物のように思えていたからです。
例えば他者とどう付き合えばいいのか考えただけで、大宇宙の谷間を飛び越えるような気持になるのでした。
例えば世間話が出来ませんでした。アルバイト先で休憩時間に雑談ができないのです。そのことを考えると、仕事内容より、それが苦痛でバイトを辞めたりしていたのです。
例えば電車が時間調整をして長々停まっている時に、一人ホームを歩くと、電車の中の乗客が全員私を見ているという強迫観念にとらわれ、苦しくなって歩けなくなるのでした。
ただの自意識過剰ですが、分かっていても克服出来ず、日常性を壊すなんてことより、日常をどうやって人並みにこなせるかということが途方もない課題だったのです。
日常とはそんなに自明のことじゃない、人によって随分違うものだ、日常というのは簡単にひとくくりに出来るものじゃないと思っていました。
昼夜逆転のもの書き像にしても、それはタイプの問題であって一律に言えるものではないと思っていました。みんな通念にとらわれ過ぎだと思っていました。
さて、山田さんはこのことについてどう言っているのか。
エッセイ「異端の変容」(「街への挨拶」所収)でこう書いています。
「朝から夕方までが、私の仕事時間である。九時からとりかかり、六時ころまで働く。(略)その習慣を聞いてにわかに不信感を示す人がいる。『まるでサラリーマンじゃないか』という人もいる。あてがはずれたような顔をする人もいる。『そんなことはあまり人にいわない方がいい』と忠告してくれる友人もいる。
その反応の理由がよくわかる。
つまりは、もの書きがあまりに普通の生活をしていては面白くないのであろう。本物ではないという気がするのだろうと思う。人々が寝しずまった夜半に苦吟し、せめて昼までは床にいて、女性関係の二つ三つについて悩んだりしていなければ、いいものは書けないのではないか、という漠たる思い込みがあるのだろう、と思う。
私は、そうした思い込みを不当だとは思わない。シナリオ書きも、芸能界のはしくれに生きており、人々はそうした世界に、自分たちとは違う『はめはずし』を意識的にせよ無意識的にせよ、求めているのだろう。だから、その中の一人が自分たちと一向変わらぬ生活時間を持っていると聞くと、その精神内容も自分たちと変わらないのであろうと推測し、そうした人間に自分を楽しませ、感情を開放するようなものはつくれないであろう、と考えるのは無理もないことだと思う」
と、自分に不信感を持つ者に理解を示しながらも、ある時、酔って他の脚本家に絡んだ思い出を語ります。
「ぼくは無頼とかなんとかいって、ふた昔前の破滅型みたいなものを気取っているような人間に、現代をとらえる力はないと思いますね。おかまと寝たり、やくざと喧嘩したって、いまの人間の暗部みたいなものはとらえられないと思います。むしろ、平凡な日常に耐えに耐えてきたというような体験をもった人間の方が、把握力があるのではないでしょうか。
(略)当節のもの書きが、小市民から逸脱しているということで、人々の信用を得ようとするのは、いまだに効果的とはいえ恥ずべきことに思います。逸脱したいなら、こっそり逸脱すればいいので、多少ともそれを『異端者』であることの宣伝の具にすることは、いやしむべきだという気がします」
こう言って同業者に喧嘩をふっかけるのですが、結局、見事にいなされ、相手にもしてもらえなかったという情けない体験を描き、理解されない口惜しさを書いています。
でもこれは山田さんの本音です。今でも有効な意見だと思います。
そして山田さんはエッセイをこう結んでいます。
「体制派があり、反体制派がある。マイホーム主義者がいてアンチマイホーム主義者がいるというような構造は、もはや現実的ではないと私は思う。正常と異端、小市民と無頼といった公式を振りほどけないものか、と考えている」
妥当な分析です。
でも当時は理解されなかった。
小市民性を乗り越えられない哀れな者と思われた。
漫画仲間たちも自分たちが古い通念に支配されているなんて思っていなかったし、まして権威主義者になっているなんて思ってもいなかったでしょう。
でも、古いもの書き像に縛られ、映画は文句なく芸術だという権威主義に陥り、それがために無意識にテレビをバカにして、見るまでもなくつまらないものだと言ってはばからなかった。
仲間たちの中には、後年テレビドラマ化される作品を書いたり、高名な漫画賞を受賞する者もいたりして、それなりに才能のある連中でしたが、その時はそういう情けない状態にあったのです。通念や権威主義から自由であるということは本当に難しいことなのだと思います。
山田さんのエッセイが出版されるのはずっと後のことです。
私の、山田ファンとしての日々は、こういう逆境から始まったのです。
山田ファンの始まり(3)「ライターは出世魚か?」につづく。