山田ファンの始まり(3)ライターは出世魚か?
「山田ファンの始まり(3)ライターは出世魚か?」
山田さんと出会ってから51年になります。
長い時間です。
1970年、山田さんのお宅の最寄り駅だった元住吉の喫茶店で、山田さんと初めて会いました。
その頃私は貸本漫画の世界で短編を描いてデビューしており、その単行本と描きかけの原稿を持参しました。「パンとあこがれ」への賛辞とともに読んでもらいました。
山田さんは開口一番「あなた徹底してますね」と言いました。
クラスになじめない少年が、内省に内省を重ねる中で、ささやかな勇気をふるうが、現実から残酷なしっぺ返しを受ける物語。
思春期の少年が妹の成長に戸惑うという、たったそれだけの物語。
その2本でした。
山田さんはさらに言いました。
「スキャンダラスな世界を狙わないところがいい」
ちょっと興奮しておられたのかなとも思います。山田さんは突然「うちに来ない?」と言われました。私は「パンとあこがれ」の感想を述べればそれでおしまいだろうと思っていたので、驚きました。
ご自宅で脚本を何本か貸してくれました。
前述したように「小寒む」「ベンチ・リョード」と「泣いてたまるか ああ軍歌」でした。
何故貸してくれたかというと、あなたの描く漫画と似たようなものをぼくも書いているよという意味で貸したんだと後日言われました。
読んだ私は驚きました。当たり前ですが、どれも上手く書けており、励みになりました。
こうして、私は脚本を貸してもらえば、当然返しにいきます。そしてまた借りるという繰り返しで訪問を重ね、「ついでに晩ご飯どう?」ということになり、思いがけなく長い交際の始まりとなったのです。
私は日常というものがひとくくりできない複雑さがあると思っていました。そこに漫画を描く根拠を持っていました。
例えば、学校というものを考えた時、非行少年というのは誰しもが注目しますし、優等生というのも耳目を集めます。ところがそうではない、どちらでもない中間層は圧倒的多数であるにも関わらず注目されません。
何か問題を起こさない限り、特別な対策は必要ないし、生徒から文句が出てないならそれでよしということで終わります。
ところがそこに問題がないかと言ったら、とんでもない話で、くっきりとは見えないけど様々な問題があるのは生きている限り当然で、私はそういうことを一つ一つ掘り起こしていくべきだと思っていたのです。
しかし漫画で取り上げられる物語は、白血病で苦しむ少女とか、実は本当の両親じゃないとか、不良になって喧嘩三昧とか、そういうことばかり。
ただ平々凡々と生きている中にこそ、これまで拾われなかったドラマがあり、他者を殺したいほど憎んでも自分はきっと殺すところまでいかないだろう、だけど、殺しはしないけど、その情念を描けば、それはとてもドラマチックな物語になると思っていました。
漫画を描こうと思った時、石森章太郎の「サイボーグ009」なんかが好きだったのに、自分が描くとなるとまるで違うものを描こうとしていました。ステレオタイプのSFだって描いたこともあったけど、最終的にはそういう世界を描こうとするのでした。
まったくものをかくいうのは不思議なことです。
そういう私の傾向に山田さんは反応されたようでした。
そこが「あなた徹底してますね」「スキャンダラスなことを狙わないのがいい」ということだったんだと思います。
当時私はこんな話を考えました。
ある団地の外れに煙草屋があって、耳の遠いお婆ちゃんが一日中店番をしている。
その時代は携帯電話もなく、各家庭に電話機がやっと1台普及した頃です。
煙草屋には赤電話があり、何故か団地の住人が、わざわざ赤電話をかけにきます。家庭に電話があるのにです。
それは家族に聞かれたくない秘密を持った人々がやってくるからです。
店番をしているのは耳の遠いお婆ちゃん。
親に内緒で彼氏に電話する女子高校生、愛人に連絡する亭主、おじいちゃんに内緒で遺産の分け方の打ち合わせをする嫁、などなど。
でもじつは、お婆ちゃんの耳が遠いというのは嘘で、お婆ちゃんは全部話を聞いている。ニコニコして聞いている。
そんな話。
山田さんは「いいなあ、いいなあ、書こう、書こう」と嬉しそうに言います。
私は時代を読むとかいうような才能はないけど、どこかしら、山田さんと似たようなところをつつく傾向があったようです。そういう意味では同士でした。
もう一つ、私と山田さんには同士と思えることがありました。
それはテレビ業界が蔑視されているということでした。
シナリオライターというのは男子一生の仕事とは思われていなかったようでした。
井上ひさしなんかがそうですけど、脚本家はやがて小説家や舞台の作家になって一丁あがりと思われていました。
山田さんも、褒め言葉として脚本家には惜しいよなんて言われたりしていました。
でも山田さんはテレビドラマが好きなわけです。倉本聰も言ってたけど、テレビドラマのライターでありたいんです。小説も書くけど、ドラマはドラマで別の楽しみだし、別の可能性を追求するメディアなのです。でも世の中はそうは思ってくれない。出世魚の途中段階としてしか脚本家を見ていない。
同じように漫画業界もまた蔑視されていました。
手塚治虫ですらPTAから悪書追放運動で槍玉にあげられていたころです。
悪ふざけをひたすらしている下品なもの、それが漫画と思われていました。私たちは芸術だと思っていましたが、認められていませんでした。
つげ義春とか萩尾望都とか新しい波は発生していましたが、認める人は少なく、認めていても「漫画は文学を越えた」などと力み過ぎた評価でした。
違うメディア同士をどうして比較が出来るのか。優劣を言えるのか。
脚本家にはもったいないという言い分と一緒で、わけのわからない評価の中で私たちは口惜しい思いをしていたのです。
私も山田さんも、いつかちゃんと認められるぞと固く誓っていたのです。
山田さんと出会ってから51年。
長い歳月です。その間、私と山田さんの間にはため口がありません。私がため口をきかないのは当たり前ですが、山田さんも私にため口をきかないのです。敬語です。
よくドラマで同じ歳だと分かると、「なんだ、ためじゃんか」と言ってため口関係になるというシーンがあります。それが人間関係として一歩近づいたというシーンとなります。
でも、そうでしょうか?
人間関係はそんなに見晴らしがいいものなんでしょうか?
私はため口がきけません。ため口をきけるような人間が一人もいません、他者は畏怖すべきものとしていつまでもあるからです。
同じ歳だからといって、たちまち水平線のような関係になるなんて、私には出来ません。笑われるかも知れませんが、小学生にすら「おはようございます」と敬語です。
山田さんもまた、ずっと敬語です。私のような理由かどうかは分かりませんが、51年間ずっと。
ある時期から、山田さんはどんどん注目され、巨匠への階段を上っていかれました。社会現象を巻き起こすような状態で、山田先生、山田先生と誰しもが言うようになりました。私は、ふと不安になりました。山田さん、山田さんと私は言ってるけど、そういう時期は終わったのではないかと。
ある時、また訪問して雑談しようと思って電話した時、つい「お話をうかがわせて下さい」と言ってしまいました。
すると山田さんは怒りました。
「何を言ってるんですか!」と。
51年間で唯一怒られたエピソードです。
山田ファンの始まり(4)「山田さんは励ます人?」に続く。