山田ファンの始まり(4)山田さんは励ます人?
「山田ファンの始まり(4)山田さんは励ます人?」
さてさて、山田さんと和気あいあいと交流する日々という風に書いていますが、それほど呑気なものではありませんでした。
何と言っても強迫観念でプラットホームを歩けなくなってしまうような私です。アブナイ若者です。だから山田さんは、会ったはいいけど、困った若者と知り合ったなあと苦慮されているのではという気持ちが強くありました。
でも山田さんは優しい言葉を私にかけてくれます。
本当に山田さんは優しい人でした。思いやり細かな人でした。皆さんもドラマを見ていればお分かりになるでしょうが、この方は励ます人です。特に若者を励ます人です。
ですから、私への言葉を全部鵜呑みにしてはいけないと思いました。あなたには才能があるなんていうけど、半分は励ましで、いや8割以上は社交辞令で、だから社交辞令を言ってもいい程度には才能があるという意味でとらないといけないと思っていました。
夕食をごちそうになり、いろんな話をしながらも、私は山田さんの配慮の中にいるのだということを強く意識していました。ある程度はいいけど、いつまでも喋っていては迷惑だ、早く帰らなきゃと思っていました。
ところが、そういうことを意識すればするほど踏ん切りがつかなくなるのです。プラットホームと一緒で、意識すればするほど動けなくなるのです。
例えば本屋に入って立ち読みをしていて、つい夢中になって、あ、長居しすぎていると意識して、さあ、帰ろうと思うのですが、意識すればするほど帰れなくなり、そうなると、こんな長時間いると万引きと店主が思っているに違いないと思い込み、益々帰れなくなるのです。ですから山田宅でも、意識すればするほど、そのスパイラルにはまってしまうのでした。
それでもなんとかお暇ということになって、玄関でお別れの挨拶をして扉が閉まった後、私は帰ったようなふりをして、しばらく家の近くに立っていました。家の鍵がいつ閉まるかということを確認していたのです。
「ああ、やっと帰ってくれた」という気持ちならば、すぐに鍵がかけられるはずです。そう思ったのです。
でも鍵はなかなかかけられませんでした。
1分近く経ってから鍵は静かにゆっくりと、カチャリとかけられました。ある程度歩き去った時間を見越してかけるという、山田さんの配慮が感じられました。
ああ、書いているだけで、私は面倒くさい若者だったなと思います。そんなことを確認しているなんてどういう奴だ、もうちょっと素直になれよ!と叫びたくなります。でも、若き私はそういう自意識の砦の中でくるくる回っていたのです。
ではおどおどばっかりしている人間だったかというと、とんでもなく横着なところもあるから人間というのは始末におえません。
ある時山田さんが「この前、木下さんにあなたのこと話したら、木下さんが会ってみたいねって言ってたよ」と言います。木下恵介さんがなんで?と思いました。「ぼくが魅力的に喋ったからね」と山田さんは笑います。
わざわざ木下恵介監督にそんなことを言うほどのものが私にあるのか?ということになります。社交辞令にしてはちょっと度が過ぎていると思いました。戸惑いました。
まあ、機会があったら私を木下さんに紹介したいと思っておられたのかも知れません。でも、ここでもアブナイ若者で、空気が読めない私は、こんなことを言ってしまいます。
「木下恵介ってもうだめですよね。衰えちゃってる」
少し前に映画「スリランカの愛と別れ」が公開されていたのですが、これがひどい出来で、ああ、衰えちゃったなあと思っていたのです。それを正直に言っちゃいました。その頃、山田さんと木下さんが密接な師弟関係にあったなんて知りませんでした。仕事の先輩後輩に過ぎないと思っていたのです。
山田さんはどんな気持ちになったことか。
「上野駅周辺」(1978年NHK連続ドラマ)とか、山田ドラマによく出て来る水島涼太という俳優さんがいます。気の弱い三枚目の役が多い人です。
この人の役柄が、特に「上野駅周辺」はそうですが、自分に似ているキャラクターだと思っていました。山田さんは私のことをこういう風にとらえているんだなあと、思っていたのです。
といっても「どうして私を知ってるの?」の主婦と同じような妄想かも知れませんが、そう思えて仕方がない自分がいたのです。
「上野駅周辺」で、何人かの先輩が水島涼太の面倒を見るのですが、でも水島涼太は、親の心子知らずじゃないけど、ちっとも周りの空気を読めず、見当違いのことばかりしていて、先輩の顔をつぶすようなことをします。
そこで先輩が、がらにもなく人の面倒みようと思ったけどガッカリだとぼやくシーンがあって、ああ、私との体験が下敷きになっているのかと思ったりしました。
まあ、ドラマですからかなり誇張されたキャラクターで、ここまで自分はひどくないと思いましたが、それでも、こういうキャラクターを連続ドラマの主人公にしても可能だと山田さんに思わせたものは、私と言う実例があったせいではないかと思ってしまうのです。
もちろん山田さんの中にも水島涼太的なものが色濃くあってのことで、私の存在を過大評価しているわけではないのですが、こういう空想は、リアルタイムで山田作品と伴走してきた者にしか出来ない妄想で、寺山修司が「早春スケッチブック」の山崎努を自分のことだと思っていたのと一緒で、ご苦労なことだと笑っていただきたい。
そして山田さんは私に「アルバイトで脚本書いてみない?」と提案します。
アニメ「カリメロ」という作品でした。
山田ファンの始まり(5)「平凡な人は自信をなくしている?」に続く。
2021.5.3