山田ファンの始まり(5)平凡な人は自信をなくしている?
「山田ファンの始まり(5)平凡な人は自信をなくしている?」
何故山田さんは、私にアルバイトで脚本書いてみないかと言ったのか。
それは「平凡」へのこだわりではなかったかと思います。
NHKのテレビ小説「藍より青く」冒頭のナレーションで山田さんはこう言っています。
「片隅の平凡な人生より、人の目をひく波乱な人生の方が尊いとどうして言えるだろう。わたくしたちは、一人の女の、平凡だがひたすら生き抜いた半生を通して、この世の多くの平凡な人生の尊さを語ろうと思う。平凡な人生の激しさと、その重さを語ろうと思う」
そして、TBSテレビ小説「パンとあこがれ」で、こういう結びの言葉を記しています。
「その日、その日を無事に過ごすだけでも、わたくしたちは、多くのものを耐えなければならない。しかし、無事な日々だけでは満たされぬ人たちに、心にあこがれを抱く人びとに、わたくしたちは、この物語をささげたいと思う」
当時山田さんは新聞のエッセイで「今、平凡な人々は自信を無くしていると思う」と言っています。
引用した「異端の変容」でも主題は永六輔の「芸人・その世界」という芸人の奇抜なエピソード集で、面白エピソードにとらわれ過ぎる時代傾向に警鐘をならしていました。やがて書くことになる「真夜中のあいさつ」(1974年TBS単発ドラマ)でも深夜放送への投稿が、面白エピソードに変換しすぎているという違和感から出発していました。
平凡な人生というものを、世の中はあなどっている。そのことに徹底的に抗ってやろうという決意が山田さんにはあったと思います。
最近では、平凡な人生を描きたいなんて、言わない作家の方が珍しいとも言えて、なんでそんなことをわざわざ山田太一は言ったんだと思われるでしょうが、そういう時代背景があったということです。
平凡を大事にする姿勢なら、私にも負けないものがありました。
でも私の漫画はなかなか日の目を見なかった。地味という評価しかなかった。
山田さんは私のこういう視線が、「テレビに向いてる、テレビに向いてる」と何度も言っていました。そこで少しでも生活の足しになるようにアルバイトで書かないかと言われたようでした。私は漫画を書く前に、まず漫画の脚本を書いてから漫画にしていたので、そのこともあって書けると思われたのでしょう。
書くのは「カリメロ」という黒いヒヨコの話でした。イタリアでは有名なアニメで、日本で言えば「サザエさん」のような誰でも知っているキャラクターとのことでした。
もともと山田さんが全部書くことになっていたのですが、イタリアの原作者が山田さんの構想を許可せず、じゃあ山田さんは書かないということになり、降りようとされたのですがスタッフに懸命に引き留められ、監修という形でかかわることになったようでした。
山田さんは長い長い物語を想定していましたが、原作者との話し合いで、「サザエさん」とか「ドラえもん」のような30分に2本の1話完結方式で行こうということになりました。
そこでライターが必要となり、山田さんは私に声をかけたのでした。私以外には松竹の助監督とかプロデューサーなどに声がかけられたようでした。
びっくりしたのですが、その打ち合わせの席で山田さんは「太一ちゃん」と呼ばれていました。
偉くなる前ですから「山田先生」と言う人はいませんでした。全員「太一ちゃん、太一ちゃん」と愛称で呼んでいました。ちゃん付けの響きが、なんとも温かく、ああ、山田さんは愛されてるなあと思いました。この仕事降りると言った時に懸命に引き留めたスタッフの気持ちがわかりました。
山田さんが席を外している時、プロデューサーたちはこんなことを言いました。
「太一ちゃん、2年先までスケジュール埋まってるらしいよ」
「凄いねー」
「太一ちゃん崩れないよね。深酒しないし、ちゃんと時間になったら帰っちゃうし」
「完璧だよね」
「エンタープライズだ」
山田さんに対する敬服がありました。松竹時代からの付き合いだったのだと思いますが、助監督の頃から「太一ちゃん、太一ちゃん」と愛されていた山田さんの姿を、私は思い浮かべました。単にいい作品を書くだけではなく、職場で愛される存在であること、それがあってこその人気脚本家なのだと思いました。
日本版「カリメロ」は1作品15分足らずですが、1本、1本にかける労力は1時間ものとさして変わりません。どれも、ひとつのテーマをかかげるのですから。
主人公のカリメロは小学校低学年で、ガルという父親、チェシラという母親と暮らす平凡な子。
私は、これはホームドラマだと思いました。ホームドラマを書こう、そう思いました。
低学年も視聴者ターゲットに入っているのに、こんなことを考えました。
子どもはどうやって親を対象化するか。
子どもが秘密を持つとはどういうことか。
親が離婚した時、子どもはどちらを選ぶべきか。
子どもが自分の容姿に絶望したとき親はどうするのか。
などなど。
当時子供アニメでそんなことを書いた人はいませんでした。
山田さんは、私の構想を聞きながら「うん、うん」と嬉しそうにうなずきノートにメモをとりました。それが箱書きになっていて、私に渡してくれました。
私が業界で舐められないように、山田さんは大サービスのサポートをしてくれていたのです。
山田ファンの始まり(6)「家族の秘密」に続く。