山田ファンの始まり(14)悪しき山田ファンのヒエラルキー
「山田ファンの始まり(14)悪しき山田ファンのヒエラルキー」
原稿を読んでみて驚きました。完結していないのです。連続ドラマの一回目という原稿なのです。そんなものの感想を言うのは難しい。
脚本の持ち込みなんてやったことないから、こういうもので持ち込んでいるのかなと思ったりしました。
私は山田さんが世話をしてくれたから脚本を書いたことがあるのであって、それ以外にテレビ局にアプローチなんてしたことはない。
漫画は持ち込みで連載をかちとるなんてことはあったけど、テレビは全く無経験。まして完結していない原稿なんて、もうテレビ局の関係者に出すしかないものだと思いました。
男とは、そういう思い出があります。
その後ブログを見ると、驚くことに、「山田太一には会ったことはない」と書いており、「山田太一と会うことを好んでおられる方もいらっしゃるようですから、そういう方々にお譲りします」なんて書いています。
山田さんの前で一言も喋れなかった臆病者が、会ったことがないと嘘をつき、会いたい人に譲りますよと、まるで私の思いやりで皆さん会えるんですよと言っているわけです。
この陳腐なお体裁はなんでしょう。
要するに内弁慶ならぬネット弁慶なのです。現実に対してしっぽを巻いて逃げる気の小さい男が、PCに向かった時だけオレ様口調で大口をたたいている。
気の小さいことが問題なのではなく、そういう自分にちゃんと向きあうことなくごまかして、小賢しい知恵で嘘をつき続けていることが問題なのです。
私の頭にはあのチェシャ猫の笑顔が残っていました。
男はよく「山田太一の弟子を自称するあいどん」とブログに書いています。
弟子を自称なんてしたことはないし、そんな徒弟制度はないけど、男は、そう書くことにより、あいどんって奴は頭のおかしな奴なんだと、ネガティブキャンペーンをはっているわけです。
しかしあの笑顔を思い出すと、ひょっとすると本気で思っていたのかも知れないと思えるのです。
この男はかつて通った「シナリオセンター」に苦情を言って、センターと訴訟沙汰になったという過去を持っていますが、ものを書くなんて教えられる世界じゃないと思っている私としてはヒマ人だなあと笑っていました。
しかしこの男は案外ものを書くことは教えられる世界だと思っているのかも知れない。
山田太一の弟子になれるかも知れないと思ったのかも知れない。
あいどんに忖度をすることによって、山田太一に取り入ろうとしたのではないか。
それが上手くいかなかったから、怒り狂ってあいどんのネガティブキャンペーンをはっているのではないか。
この男の根幹にあるのは山田太一という権威です。
その権威の下に山田ファンとしてのヒエラルキーを構築し、そこで優劣を競う世界を展開しようとしている。
「山田太一の本を一冊も読んでない者が、どうして山田ファンと言えるんだ」と男が言った背景には、テレビドラマはほとんど放送がなく、レンタルも限られたものしかなく、中古市場にある山田書籍を追いかけるしかないという現実があります。
後発山田ファンにとっての山田太一というのはほとんど書籍であって、映像ではない。
その哀しい現実がこんな誤った山田ファンを発生させてしまったのだと思えます。
現在、この男は5千円恐喝記事などをブログからこそこそと消しています。
訴訟をおこされるのが怖いのでしょう。
しかしデジタルタトゥーは、消しても拡散して永遠に消えないからデジタルタトゥーなのです。嘘の情報は永遠にネット上を漂い続けます。
未来の山田ファンが、山田太一について検索したら、そういうものがひっかかってきて、真偽には関係なく情報のひとつとして入って来るということです。
私やドラマ・ファン常連は、陰で山田太一の悪口を言う狡猾な奴と思われ、後輩山田ファンを恐喝する犯罪者だと思われ続けるのです。
こういう罪人は法で裁くしかありません。裁いても嘘情報は消えないけど裁くしかない。
山田さんの作家歴は60余年になります。
昔は偶然つけたテレビの中に、なんだかいい人見つけたという感覚が山田体験だったのに、そういう人ばかりではなくなった。
新しい山田ファンは山田太一の評価が固まっている中で、自分の山田体験が始まるわけです。雑音があるのは仕方ないことです。歴史がありますから。
そして各時代ごとの山田ファンが存在していて、更に雑音の数を増やす。無垢な状態では山田作品を鑑賞出来ない悲劇があります。
山田太一の巨匠化はそういう現象を引き起こしていると思います。
ウジ虫みたいな男の出現は、悪しき人間はいつの時代もいるという現象にすぎませんが、山田ファンはそういう状況下にあるということだけは認識しておかなくてはならないと思います。
山田ファンの始まり(15)「山田さんの家庭」に続く。
2021.6.11