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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

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夜からの声(後編)

「夜からの声」
   (後編)

 

地人会第95回公演 紀伊国屋ホール 2004.9.21~10.2

 演出 木村光一

作   山田太一
     

 

出演 風間杜夫    西山水木 佐古真弓 花王おさむ 倉野章子

      長谷川博巳





 

 

 

 

 

そんな極限状況を遅ればせながら夫は気付き、貯金をはたいて祖父を施設に入れます。

 

女は介護からやっと開放されます。

 

 

 

これでとりあえず一件落着というところだったのでしょう。

 

しかしそんな苦労の果てに、あの施設の火事が起こるのです。

迎えに行く車中で女は逢いたいという想いをつのらせています。

 

 

 

ところが舅は、当然ながらそんな女の期待に応える存在ではなく痴呆の彼方にいてがっかりします。

 

女は、帰りの車中で降りたいと騒ぎ始めた舅を車から降ろすと、平手打ちをしてしまいます。

私が分からないの?私と逢って嬉しくないの?

 

そんな姿を見て夫は本当の意味で妻と父の「歳月のある関係」に気付きます。

虐待よりも深いショックを受けます。

そしてそうさせてしまった自分の器量、自分の責任。

 

 

 

 

 

 

疲れ果て、本当に疲れ果て家に帰り着いた二人は、酒を呑みながら変なことに気付きます。

 

隣室で寝ている舅の鼾がおかしいのです。

でも二人は黙って酒を呑みます。

 

 

女はこれから始まる介護の人生という重い課題に圧倒されており、男は戦後を逞しく生きて来た輝かしい父はもう存在しないのだという無念の思いの中にいます。

 

今の父の状態はこれまでの父も台無しにしてしまう。そんな屈辱の中で生きていることに何の意味があるのかと男は思います。

 

 

 

 

男の記憶では、その時父の枕元に立ってしまっていたそうです。

 

そしてごめんよ父さんと父の顔を両手で覆ったそうです。

一瞬鼾は止まりますがやがて復活します。

 

つまり一瞬にせよ男は父を殺そうとしたのです。

女はそれに気付きながらも何もしなかった。

 

 

 

 

それが二人の、祖父が死んだ夜の息苦しい記憶です。

 

 

 

 

 

やりきれぬ記憶です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その話を聞いた息子はこう言います。

それが何だっていうんです。大げさに過ぎないかな。ひそかな願い通りに祖父が死んだということでしょう。自分を責め過ぎるのは馬鹿げている。それで自殺するなんて。

 

 

 

真司は言います。

自殺は別の話だと。

電話でお父さんは希望を語っていた。妻と父の間にどういう感情が流れていても痴呆の老人と介護する人間の話だ。それはある意味ありがたいことで、めったにない幸せだったのかも知れないと言っていた。

 

 

 

だったらどうして父は死んだんですと息子は聞きます。

 

 

 

 

真司は分からないと答えます。

生きている人間には結局自分で死んで行く人間の気持ちは分からないんだ。傍目には死ぬことはないという理由で人は死ぬんだよと言います。

 

 

 

 

 

 

 

あなたはボランティアでいろんな人の話を聞いているからそんなことが言えるのだろうけどと息子が言うと、真司が言下に否定します。

 

ボランティアで様々な人の悩みを聞いているせいではないと真司は言います。

そこで真司は初めて自分の心情を言います。何故ボランティアなどという柄にもないことを始めたかということを。

 

毎夜電話をかけてくる、そのような人々に死ぬなではなく、自分自身に死ぬなと言いたかったからだよと真司は言います。切なく自分の孤独を吐露します。

 

 

 

驚くのは真司の女房です。

 

「ジョーダンでしょう?あなたにどういう死ぬ理由があるって言うの?B型で能天気な人間が」

 

 

 

 

真司は「ほらね、一笑に付されてしまう。それだけでも死にたくなるってもんだよ」と苦笑します。

「あなたは自殺するなんてタイプじゃ全然ないの。笑うしかないわよそんな話」と言いつのる女房。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、あの。

 

 

またすみません。

 

 

B型の部分は笑えたと思いますが、お読みの皆さん、すっごく深刻な展開のお話のように感じられているのではないでしょうか?

 

 

いえ深刻は深刻なんですけど違うんですねえ、舞台は終始笑いに満たされています。

 

 

 

いえ、困っています。

あらすじを書いているとこういう事にどうしてもなるんです。

 

 

 

物語の中で展開するふくよかな感情や人々の思いというのは、あらすじだけでは表現できないんですね。

 

 

 

 

この部分にしても義父の「細かなことを聞こうじゃないですか。細かなことで私たちは生きてるんだ」とか「聞かなくちゃいけない!こういうことこそ聞かなくちゃいけない」なんて台詞の時も「お父さんうるさい!」とか「聞いた風なこと言うのやめて」とか女房や娘のツッコミが飛び客席は笑いの渦です。そのニュアンスはもう観ていただく以外にないということになってしまう。

 

 

 

 

 

 

と、言い訳しても始まりませんね。

 

 

 

 

続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな真司との会話が一段落すると、女は「良かったわ」と言います。

いろいろ話せて良かったと女は言うのです。

女はやはりある程度回復しているのでしょう、「事実」を受け止めたようです。

 

 

 

 

真司は「ご主人は妻に感謝している、ありがとうの一言が述べたかったと仰っていました」と言います。

女は「それは嘘ね」と苦笑します。

「嘘じゃありません」と真司は重ねて言いますが、女は「死んだんだもの。ただありがとうな訳ないでしょう」と涙ぐみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

何故死んでしまったのか。

 

それは夜の彼方の出来事。

 

知りえぬ世界。

 

 

 

 

 

 

突然真司が「ああ!」と叫びます。

 

驚く一同の前で更に「ああ!ああ!ああ!」と叫びます。

 

 

 

そして自分の女房が研修のリーダーになってうかれている姿を誹謗し始めます。

女房は何よ急にと言いますが、真司は不満をどんどん言います。

社長はお前の肉体を狙っているんだとか、普通では言えない薄っぺらで滑稽な嫉妬心をどんどん言います。

女房は呆れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり女や息子に恥部を散々さらけ出させておいて、自分たちは聞いているだけでは申し訳ないだろうという真司の気持ちです。

こちらも思いっきり恥ずかしい本音をお見せしなくてはならないのではないかというヘンなバランス感覚。

自分だけではなく女房や娘や義父にも言え言えと、真司は煽ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンなら「それぞれの秋」最終回の「告白大会」を想起されるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ただこの舞台での「告白大会」は爆笑に包まれた「本音大会」です。

 

夫婦のすれ違い、ちょっとした親子の憎悪、義父と真司の家庭での滑稽なぎこちなさ、それぞれの小さな口惜しさ淋しさ、などなどが溢れかえります。

 

 

 

そしてある程度出たところで終りにしようとなります。

 

言いたいことはまだまだ一杯あるが、ほどほどのところで深入りしないほうがいい。「本当のことは怖い」と言います。

 

そう、本当のことは怖い。

 

 

 

 

 

 

 

最後に何故か息子の色男ぶりに執着する女房の熱意が功を奏し、娘と息子のおつきあいが始まるという爆笑のオマケもついてしまい・・・・山田ドラマらしく一同にこやかにお茶など飲んで、解決ではないけれど、ひとときの人間の「和」を見せて幕が下ります。

この色男の息子を演じているのは、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」主演の長谷川博巳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。

 

 

 

作    山田太一

演出  木村光一

 

出演  風間杜夫 (本宮真司)

            

    西山水木 (女房 本宮加代)
       

    佐古真弓 (娘  本宮亜弥)
       

 

    花王おさむ(義父 森沢郁夫)
        

   

    倉野章子 (女  藤井頼子)
        

    長谷川博巳(息子 藤井柾)
        

  

   

地人会第95回公演 紀伊国屋ホール 2004.9.21~10.2

 

 

 

 

 

 

2021.1.16

 

 

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「日本の面影」(前編)

 

 

「日本の面影」舞台版(前編)。

 

 

「日本の面影」は1984年にNHKで4回にわたって放送されたドラマです。

 

小泉八雲(ラフカディオハーン)の一生を描きました。

明治の近代化。西欧化。

その光と影。

当時、そして今でも、日本がどんどん失くしつつあるものへの哀惜。

理屈もあるけど、決して理屈っぽくならず、血肉化された庶民のエピソードの中に描かれていて見事です。

 

 

 

そして舞台化もされました。

連続ドラマ4回分を2時間ほどの舞台に圧縮されましたが、見事な劇化でした。その手腕に唸りました。

再演を重ね、2001年10月イギリス公演が企画されました。

 

(参考資料。)http://www7b.biglobe.ne.jp/~e-h/chijinkai/plays/81X.htm

 

スタッフ、キャストと共に、限られた人数ですが日本の観客も行くという珍しいツアーでした。

風間杜夫ファンなどに交じって、山田太一ファンとしてただ一人若き女性が参加されました。その方のレポートが「ドラマ・ファン」に4回に分けて連載されました。

 

当時山田さんは「連続ドラマはもう書かない」と宣言され、山田ファンにショックを与えていたころです。そんな会話も出て来ます。イギリス公演がどのような雰囲気で行われたのか、貴重な記録です。お楽しみ下さい。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

ロンドン公演 その1

 

8日に、帰国しました。

 

レポートというほどのものではありませんが、見て来たことを、お伝えします。

 

ロンドンのリッチモンドシアターという、伝統のある劇場での公演でした。

席は3階までありました。

私は、3日間の内、1・2日目の公演を見ました。(ツアーに組み込まれていたのは1日目だけでした。)

みなさん、どのくらいの観客がいたと思いますか?もう、どこかから、情報聞いてますか?・・観客は、3階席までいっぱいでした。

 

 

 

 

 

私は、1日目は、ツアーでチケットも込みだったので、1階の前から15列目の真ん中でした。

 

(太一さんは14列目の右端で、奥様、息子さん、そのお嫁さんと4人で並んで観ていらっしゃいました)

 

 

 

1日目は送り迎えのバスがありましたが2日目は、ひとりで地下鉄に乗って行き、当日券を買いました。

3階の後ろから、3列目でした。

 

 

ツアー以外の日本人のお客さんもたくさんいましたが、イギリス人の方が、たくさんいたのは意外でした。

 

お芝居の最中は、とても良い雰囲気で、笑い声がたびたび聞こえてきました。

 

役者さんたちからも、やりやすかった、との感想がありました。

 

・・つづく。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ロンドン公演 その2

 

ひねった文章が書けなくて、すみません・・。

 

 

 

公演の後、レセプションがあり、リッチモンドシアターのオーナー(?)の方の挨拶がありました。

 

「素晴らしかった」と。

 

日本の会社を招いたのは、初めてだそうです。

 

 

 

次の日、地人会の演出の木村さんがおっしゃっていたのは、次のようなことでした。・・・

 

「どうして、こんなに素晴らしいのに、3日間しかやらないのか?」と聞かれた。

自分はこんなにお客さんが入るとは思っていなかった。

「そんなに入らないよ」

「ロンドンの人は、1年に1度行くか行かないか、というのが劇場だ」

と調査の段階で忠告をする人がいて、

びびって、

日程を短くした。

 

 

イギリスの人に「今まで、触れたことのないものに触れた」という感想を言われた、それは、山田太一さんの『ラヴ』という作品に自分が出逢った時に感じたのと、同じような感覚ではないか。・・・というようなことでした。

 

 

 

 

 

風間杜夫さんは・・・自分はハーンとは違い、幽霊は信じない方で、山田さんに「そういうこともある、と考えた方がいい」といわれているくらいだが、歴史のある劇場で、今まで数多くの人たちがこの舞台に立ったのだと思うと不思議な感覚で、磁場のようなものを感じながら演じている、安心して身を委ねられる。・・・・と言ってました。  

 

言葉が、全て覚えているわけではないので、正確ではないのですが、だいたいこんな感じでした。

 

他の役者さんたちの言葉も、次回覚えている限り、書きます。

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「日本の面影」(後編)に続く。

 

「日本の面影」(後編)

 

 

 

「日本の面影」舞台版(後編)

 

 

 

ロンドン公演 その3

 

 

 

 

役者さんのコメントの続きから でしたよね・・。

 

パソコンに向かう時間がとれなくて、記憶が遠のいていってます。

 

 

 

 

 三田和代さん(妻・小泉セツ)・・客席の雰囲気がとてもよくて、自分達が、サービスしてもらっているみたいだった。

 

このまま、お客さんごと、日本に連れて帰りたい。

 

自分をあまり作らずに、自然に演技できた。

 

 

 

 

加藤土代子さん(セツの養母・稲垣トミ)・・今回のパンフレットを、ずっと大事にとっ

ておいて、いつか、孫に、「おばあちゃんは、ロンドンの舞台に立った」と、見せるつも

り。

 

 

 

内山森彦さん(セツの養父・稲垣金十郎)・・緊張しました。

 

 

加藤佳男さん(佐伯先生と、ハーンの父)・・奥さんもツアーに参加しているので、(今、自己紹介する時)自分をうまくコントロールできません。

 

 

 

 

山本亘さん(西田先生)、松下砂稚子さん(セツの実母)、松熊信義さん(セツの養祖父)、のコメントが、今、思い出せません。

 

 

 

 

あと、若い3人(中村啓士さん、大原和洋さん、藤島琴美さん)は、ティーパーティーには、参加されていませんでした。

 

 

 

 

みなさん、もっといろいろ話して下さったのに、残念なことに一部分ずつしか、思い出せません。

記憶から抜け落ちています。

 

 

 

 

 

 

ここから先は、ティーパーティーで、山田太一さんのお隣りに座ってからのことです。

 

 

私は、質問らしい質問はほとんどしませんでした。

 

隣にいるだけで、満足してしまって、

自分の思っていることを少し話しただけでした。

 

 

今、考えると失礼なことを言ったかもしれません。

 

 

太一さんなら、わかってくれる、と安心して、あまり言葉も選ばずに話しました。

 

 

 

 

 

今までの作品は、映像では見ていないものが多く、ほとんど脚本だけだったこと。

 

インターネットを通して、太一さんのドラマをビデオに保存している方から、幸運にも連絡を頂き、これからもみることのないはずだったドラマを、見ることができたこと。

 

 

 

脚本と、実際に映像になったものとでは、印象も違い、長いこと好きだった作品の順位が変わったこと。

特に「早春スケッチブック」の山崎努さんの迫力がすごかった、こと。

 

 

 

 

 

送って頂いたビデオを、通していっぺんにみたいけれど、

 

そうする時間がなく、

 

逆に全部見てしまうのももったいなくて、

 

少しずつ大事に見ている、

 

これから作るものは数も限られてくるけれど(失礼・・!!)、

 

私は今までの作品でまだ見ていないものがあるので、

楽しみがあって良かった、

 

見ることが出来る可能性が全くないのは困るけれど、

 

ビデオも手元にあって、全部見終わっていなくて、良かった、と思っていること。---

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを話しました。

 

太一さんは、

 

「そうやって、保存してくれているのは、嬉しいですね」

 

「『早春スケッチブック』は山崎さんの演技が良かった、先日山崎さんと食事に行った時に、山崎さんが『早春スケッチブックを最初から見ているけれど、あれ、面白いわ』と人ごとのように言ってました」

 

とおっしゃっていました。

 

 

 

 

 

 

 

次からは、他の方からの質問です。

 

 

 

最近良かった映画は?・・「千と千尋」「愛のエチュード」「ポルノグラフィックな関係」・・今度放送される自分のドラマが、映画の内容と似ているけれど、映画を見る前に書いた物なので、パクッた訳ではありません、同じようなことを同じような時期に考えている人がいるのだ、と不思議に感じました。

「丘の上の向日葵」を書いた時にも、同じようなことがあって、その時にも、不思議に思いました。

 

 

 

 

 

 

「ふぞろいの林檎たち」は、もうやらないのですか?

 

・・僕はもうやりたくないのですが、毎年ある時期になると、テレビ局から「やりませんか」と言われる。

 

 

 

 

本当は、連続物はもう書くつもりはない、今、連続ドラマを書こうとすると、いろいろとうるさく言われて、書きたいものがなんだったのかわからなくなってしまう、つかいたい俳優さんが地味な人ばかりだと駄目だと言われるし、事件らしい事件を盛り込まないと、また駄目だと言われて、そういうことは、若いときなら、条件を呑んでも打ち勝ってやろう、と思えたけれど、今は、連続物は書かないことに決めました。

 

 

 

 

もうすぐ死んじゃうんだから好きなことだけすることにしてます。

 

(私が、NHKとかで、2~3回位とかのは?と質問すると、「それくらいならあるかもしれない」ということでした)でも、「ふぞろいの林檎たち」に関しては、やるかどうかは決めてないけれど、やるとすれば、再来年以降です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ロンドン公演 その4

 

 

 

 

--続きです。

 

 

山田さんは、最近のドラマなんかは見ないのですか?

 

・・野沢尚さんの「反乱のボヤージュ」、見てくださいと、野沢さんからビデオを送ってもらったのを見ました。

 

面白かったですよ。

 

 

 

 

 

 

 

「再会」見ましたよ、との声に・・・地方局から、好きな俳優さんで、自由にやっていい、と言われてやってみたのですが、面白かった、向こうも面白かったと言ってくれてるので、またやろうかと話してます。

 

 

 

 

 

 

インターネットはされないのですか?・・「インターネットは、悪口ばかり書いてあるし、しかも匿名の世界だから、ものすごいこと書かれているから、見ない方がいいよ」と、言われて、見ないことにしてます。

 

 

 

 

 

 

 

質問コーナー(そんなコーナーはありませんでした、今、作りました。)は、これくらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が「2日目の公演も行きます」というと「そんなにいいですよ」と言われましたが、行きました。

 

1日目より、すごい人数に感じました。

 

 

 

 

太一さんはその日、NHKの取材があるので、早目に劇場に行かなければならない、ということでした。

 

 

 

 

ホテルから劇場へは、地下鉄を乗り換えして、あとは徒歩で行かれるとのことでした。

てっきりタクシーを使われるのかと思っていたのですが。

 

 

 

他の役者さんたちは、どのように劇場まで行かれていたのでしょう!?ツアー参加者の、風間杜夫さんのファンの方達は、3日間劇場に通って、風間さんが出て来るまで、外で待っている、と言ってました。パワフルでした。

 

 

 

 

 

 

2日目、タクシーで一緒にどうかと誘って頂きましたが、私は行きも帰りも一人で地下鉄にしました。

 

 

 

 

 

ひとりで余韻に浸りたかったのもあるし、「好き」の種類の違いを感じたりもしたので。

 

 

 

 

 

 

ティーパーティーの帰り、太一さんが

「じゃあ、もし来て下さることになったら、劇場で会いましょう」

と言ってくださいましたが、

私は3階席で、きっと太一さんは1階席で、

探さなければ見つからないような感じだったので、諦めました。

 

探し出して声を掛けても、ご迷惑だろうと思いました。

 

でも、お芝居が終わって、帰ろうと階段を降りる時、太一さんがちょうど階段を上っていらっしゃって、擦れ違いました。

 

 

 

 

「こんばんわ」

 

「こんばんわ」

 

「じゃあ、わかりましたね(地下鉄で劇場までどのように行ったらいいか、私がティーパーティーの帰りに質問して、教えてもらったので、それに対して)」

 

「はい。私、3階でした。3階も人がいっぱいでした、・・さようなら」

 

「さようなら」

 

と、会話もできました。

 

 

 

 

 

風間さんファンは、<さあ、これから>という感じでしたが、

 

私は「さようなら」と言えたので、

 

思い残すことはなく、

 

嬉しい気持ちで地下鉄に乗り込み、

 

ホテルへ帰りました。

 

 

 

 

 

とっても憧れている人なのに、太一さんと話すとき、アガリ症の私がリラックスしているのが不思議でした。

 

 

 

 

普段は、好きな人と話すとしばらく手の震えが止まらなくて、ペンのキャップもかぶせられないくらいなのに、です。

 

 

 

 

 

 

風間さんも、好きな俳優さんだったのですが、ひとこともお話できませんでした。

ファンの方々が、あまりにも熱烈で・・。

 

 

 

でも、太一さんと思いがけずたくさんお話できて、これ以上の贅沢はありませんよね。

 

                    

 

 

劇場への地下鉄での行き方まで、太一さんに聞いてしまったなんて、

 

ほんと、

 

贅沢な時間を過ごさせていただきました。

 

 

 

 

                  了

 

 

2021.2.19


 

知らない同志

 

「知らない同志」

 

1972年TBS連続ドラマ19回。

出演、田宮二郎、栗原小巻、杉浦直樹、山本陽子、石立鉄男、前田吟、他。

 


随分昔のドラマです。

TBSチャンネルが出来たころに再放送されたんですけれど、その後まったく放送されません。だからあまり見た人いないんじゃないかと思います。

 

 

スーパーの店長・杉浦直樹は、店の営業不振により左遷され、妻・栗原小巻を東京に残して大阪に転勤します。

その代わりに大阪からやって来たのが新店長・田宮二郎。

田宮二郎もまた妻・山本陽子を大阪に残しての単身赴任です。

当時流通革命の先兵と言われたスーパーマーケットを舞台に、コメディテイストの人間模様が繰り広げられます。

ちなみにTBS大山勝美さんと初めて組んだ作品です。

 

         

このドラマを執筆している時、ご自宅で、山田さんから少し構想を話してもらう機会がありました。

私は、次は何書いてるんですか?と遠慮なく聞く人間でした。すると山田さんはこう言いました。

二組の夫婦がね、転勤で大阪と東京に別れちゃって、スワッピングみたいになっちゃうんだよ、フフ、と楽しそうでした。

 

        

当時、平日午後の「○○ワイド」なんていうラジオ番組で、MCが「今日は浮気の虫が騒ぐわあ~~♪っていう奥さま、お電話ください!」なんて呼びかけたら、かなりたくさんの奥さんから電話がかかって、私は呆れちゃって、こんな調子ですよ世の中、と山田さんに言ったら、そんなもんじゃないのと答えていました。

つまり山田さんにとって、不倫願望が大衆に満ち満ちていることは想定内のことで、そのベースの上にどんなドラマを構築するかということが問題だったと思います。

 

 

 

そうやってスタートした「知らない同志」ですが、残念ながら山田さんは、5回目まで書いたところで、別のドラマを書かざるを得なくなります。

 

確か「藍より青く」(テレビ小説)の企画をNHKに出していて、それがOKになったためだったと思います。OKになるかどうかわからない予定で企画書を出していたので、OKが出て慌ててしまった。

 

まあ、当時売れっ子だった花登筐のようなライターなら連続ドラマを同時進行で複数書けたでしょう。この人は大阪東京間の新幹線で何本も原稿を書き、「新幹線作家」と言われ、そのあまりの速さに右手首が原稿にこすれ、血が出たという逸話があります。

でも、山田さんはそんなタイプではなかった。一作一作書き終えないと次には進めなかった。

構想はしっかり固まっていて、5回目まで書いて、さあいよいよこれからだ、という時にバトンタッチしなければならなくなった山田さんは、もう仕方ないないよねと残念そうに言っておられました。

 

 

 

そして助っ人に呼ばれたライターがJ、T、Oの3人。

Jは6回から13回まで書いた。

 

それを見た山田さんはブツブツ言ってました。

あれだけ打ち合わせしたのに、ちっとも分かってないとJに不満たらたらでした。

 

確かにJの脚本は通俗的で、5回目までの緊張、登場人物の心理的つながりが消えていました。単にストーリーがあるのみとしか思えず、下品なキャラクターの饗宴になっていました。安っぽいサスペンスです。それが5、6、7、8、9、10、11、12、13と続きます。

 

 

この頃Jはすでに映画の脚本コンクールで受賞(名作です。映画化されなかったけど)しており、幾つかドラマも書いていたと思います。ですから一介のライター山田太一に唯唯諾諾と従うのはプライドが許せなかったのかも知れません。

だからJは降ろされたのではないかと推測してます。まあ、他の仕事のオファーも来てたみたいですから、スケジュール上の問題かも知れません。

 

次の14回はTが書きます。

これがデビュー作と言っていいTは、Jよりはちゃんと書いていると私は思いました。というか相当に大山勝美、山田太一のサジェッションがあったのではと思います。

 

15回目で山田さん復活します。降ろしたから書かざるを得なくなったのか?

 

16回が再びTです。

17回がベテランO。

18回T。

 

19回(最終回)は全員のライターの連名です。

ま、たぶん山田さんが書いたと思うけど、この混乱の収集は出来なかったと思えました。

この頃山田さんは、「藍より青く」を書きつつ、小説版の「藍より青く」も進め、映画化も同時進行。クレジットされていないけど、映画脚本への関わりもあった。当時の朝ドラは1年間の長丁場で大変なスケジュール。そんな状態。

 

 

山本陽子の人物像は結局焦点が合わないまま。

杉浦直樹は大阪で、山本陽子を田宮二郎の妻とは知らずに岡惚れしているのだけど、山本陽子は気があるのかないのか、じらしているだけなのか、どう生きていきたいのか、まるでわからない状態で最終回まで行きます。

 

 

 

二組の夫婦がね、転勤で大阪と東京に別れちゃって、スワッピングみたいになっちゃうんだよ、フフ、と楽しそうに語っていた山田さんの思惑は何処まで達成されたのか。

 

揺れる二組の夫婦なら面白いけど、後半は杉浦直樹が悪役っぽくなるので、拮抗がとれていない。しかも山本陽子が田宮二郎の妻と分かるのは最終回という構成は全然良くないと思いました。

終わってみると、田宮二郎と栗原小巻が不倫するかしないかというハラハラどきどきがウリだったのか?と思いました。

 

スーパーの経営をめぐって外国資本のスーパーとの争いがくりひろげられ、これからの小売業の合理化が語られます。田宮二郎(外国勢)と杉浦直樹(日本勢)の対立はどうなるのかと焦点を絞っておいて、最後に双方の会社が合併するなんてオチになってしまう。これはあんまりです。

 

 

でも、このドラマは「高原へいらっしゃい」への良い布石になったと思います。

田宮二郎が妻とうまくいっていなくて失意であるという設定。

従業員の前では明快に理想を語る姿と、逐一それに異論を唱える前田吟というコンビネーション。

肉の目利きが出来る人間として常田富士男が出て来ますが、「高原へいらっしゃい」では仕入れの目利きが出来る人間として出て来る。同じイメージです。

田宮二郎の「高原へいらっしゃい」における支配人のイメージはここで決定づけられたと思います。実に魅力的です。

 

ところが、「高原へいらっしゃい」でも、山田さんのスケジュールはぶつかってしまい、途中を他のライターに頼まざるを得なくなります。

田宮二郎とのコンビはそういう運命だったのかと思ってしまいます(笑)。

 

 

私は「知らない同志」に難癖をつけるためにこの文章を書いているわけではありません。

「山田ドラマ」と一言でくくられるドラマ群も、一つ一つ細かな経緯で出来上がっており、その一例としてご紹介したということです。

このドラマを見ておられない方が、見るチャンスに恵まれれば、JもTもOも良く書いてると思われるかも知れません。JもTも今や大御所になっておられます。是非とも皆様の目でご確認出来る日がくることを願ってやみません。

 

 

2021/3/18

 

小寒む(1)

 

 

 

「小寒む」(1)

 

 放送・1967年(昭和42年)1月5日(木)21:00~21:30

 TBS「おかあさん」第412話

 

「おかあさん」という一話完結シリーズの中の1本です。

21:00~21:30のゴールデンタイム。30分枠。1時間ドラマなんてなかった頃。

 

このドラマを私は観たことがありません。

山田さんが脚本を貸してくれて、この作品を知りました。

 

コピーもなかった頃で、私は大学ノートに書き写しました。

 

山田さんはある時この脚本を紛失されていて、私のノートだけが現存する唯一の脚本となっています。そういう意味で貴重な資料になってしまいました。山田さんの許可を得てここにアップいたします。

 

         

昭和42年の正月3日から始まる話です。

コンビニも、24時間営業もなく、大体の商店は休みで、三ヶ日はおせち料理を食べて過ごすのが当たり前だった頃です。

そんな中で、切手や葉書を売るためにかろうじて開けている店があり、そこから話は始まります。

 

 

 

○大川乾物店、店と茶の間

 

  孝(35)が店に出ている。

        

 孝「(葉書を数えながら)はい葉書十枚(と女の子に渡し)毎度ありい(傍に立っている中年の女に)え、奥さんは?」

 女「七円切手、三枚頂戴」

 孝「はい切手三枚(と引き返す)」

 女「まったく年賀状って来ないと思うと来て出した所から来ないんだもの」

 孝「うちなんか毎年三ヶ日は葉書と切手で商売繁盛でね」

 

  「今日わ」と妹優子(25)が他所行きを着て、スーツケースを持って入って来る。

                      

 孝「なんだ明日じゃなかったのか」

 優子「そのつもりだったけど(女へ)おめでとうございます」

 女「おめでとう、早いお里帰りね」

 優子「えヽ」

 女「大変ね、静岡からじゃあ」

 優子「えヽ、混んで混んで(と奥へ)」

 孝「サラリーマンもいいけど、転勤ってのがあるから」

 女「じゃ二十一円ね」

 孝「はいどうも」

 女「なかなかいヽ、奥さんぶりじゃない」

 孝「いや、なにやってんだか、毎度どうも」

 優子「(靴を脱ぎながら)なにやってんだか、とは何よ」

 孝「バカ。挨拶ってもんだよ」

 優子「旦那、今日から勤めになっちゃったのよ」

 孝「三日から仕事か、きついんだな」

 優子「支店出したばっかりでしょう、夜は遅いし。来ちゃった、だから」

  「あら、いらっしゃい」と義姉の初子(31)が二階から降りて来る。


       

 優子「今日わ、おめでとうございます」

 初子「おめでとう。今年もよろしく」

  「おめでとう。おばさん」と小学校二年の邦雄(7)が階段を駆け降りて来る。

 




優子「あら、おばさんは、ないでしょう」

 邦雄「お年玉くれれば、お姉さんだけどさ」

 優子「そう来るだろうと思って(と、ハンドバックから小袋をだし)はい、これ」

 邦雄「サンキュー。じゃ、ちょっと行って来るよ(と裏へ出て行く)」

 初子「ありがとうございますって言うの」

 邦雄の声「毎度ありいッ」

 初子「ごめんなさい来るなり」

 孝「ま、手でも洗えよ」

 優子「お母さんは?」

 孝「そういやあ、いないな」

 初子「お昼すぎに、ちょっとって出たのよ」

 孝「お正月だ、何処か浮かれて歩いてるんだろ」

 優子「お兄さんじゃあるまいし」

 初子「さあさあとにかく、そこじゃあ。こっち来て炬燵へ入って頂戴」

 優子「はい」

 

 

 

―WIPE―

 

 

 

 ○茶の間(夜)

 

四人で炬燵を囲んで夕食を食べている。孝は晩酌である。テレビが歌謡曲をやっている。

 

 初子「(手を出し)優子さん、お替り」

 優子「ううん、お茶、すいません」

 初子「一膳?」

 優子「おかずおいしかったから、おかずでお腹いっぱい」

 初子「そう(とお茶を注ぎながら)だけど、こんな事、ほんとにはじめてなのよ」

 孝「映画でも見てんのさ」

 初子「お正月は混んでるもの。足の弱いお婆ちゃんが入るかしら」

 孝「他に時間のつぶしようがないじゃないか」

 初子「(お茶を優子に差し出しながら)だから気になるのよ。もう七時半よ」

 優子「ほら、池上の高松さんへ寄ってるんじゃないかしら」

 初子「私もそう思ったけどそれなら電話くれるわ、お婆ちゃん」

 孝「高松さんは、死んじゃったろ」

 邦雄「御飯」

 孝「今年の、いや去年か、ほら」

 初子「(飯をよそいながら)そうだ。去年の十月になくなったんだわ」

 優子「そう」

 初子「一人だけの音染みだって、お婆ちゃん、がっかりしてたわそう言えば」

 優子「じゃ他に何処へ寄るとこあるかしら」

 孝「どこだってあるさ。東京は広いんだ。お婆ちゃんだってたまには、あてもなく歩きたいさ。俺だって歩きたいよ」

 初子「歩けばいヽじゃないの。私がいつ止めました?」

 優子「でも、お母さんあてもなく歩くかしら」

 孝「ふん。そこが問題だ。明治の女は、果してあてもなく歩くか、どうかだ」

 初子「呑気な声出して。あなたのお母さんですよ。心配じゃないんですか、ほんとに」

 

 

 

  ―WIPE―



小寒む-2-に続く。