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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

わしも介護をやってみた!(17)介護なんて。

 

八月九日(月)。

ある日悪友とスナックで飲みつつ介護の話をしていたら、隣で飲んでいた奥さんが話しかけて来た。

「介護関係の仕事なさってるんですか?」と聞いて来る。「いえ、ご免なさい、少しお話が聞こえたものですから」と言う。

 

私が「ええ、デイサービスに勤めてますけど」と答えると「どんな気持ちでなさってるんですか?やはり介護の理想があって?是非ともお聞きしたいです」と熱っぽく聞いて来る。私は「最近始めたばかりですから、私も模索状態ですけどね」と答える。

 

すると「老人介護って間違ってますよね」と凄いことを言う。かなり酔っているようである。

いきなりの発言にたじろぎながらも「確かにあの上げ膳据え膳状態の介護は何処かヘンな感じがしますね」と答える。

「ですよね」と奥さんは我が意を得たりという顔になり「過保護ですよね」と言う。

 



奥さんの言葉には「要介護度3」とか「ADL」とかかなり専門的なものが入っており、現実に介護老人を抱えてらっしゃるのかなと思って聞いてみた。

すると抱えているわけではなく特養で働いているという。どおりでである。

 

で、その介護にすっかり幻滅しているのだという。もうとてもこれ以上特養で働けないという気持ちで一杯だという。だからあなたがどういう気持ちで働いているのか聞きたいという。

 


酔った口調で奥さんは「若い二十歳の娘より年寄りの方が大事なんてどっかおかしいよ」とまた凄いことを言った。

詳しく聞くと、年寄りのオムツ交換で抵抗されて二十歳の娘が顔をひっかかれたとのこと。それもかなり深く、恐らく傷は残るのではないかと言われているとのこと。

 

「老人をちょっとでも怪我させたら書類にサインさせられて謝らなきゃいけないのに、これから未来が一杯ある娘がそんな目にあっても詫びひとつもらえないんだよ」と奥さんは嘆いた。「若い娘に較べたら老人なんて廃人じゃないか。もう絶対治らないんだよ年寄りなんて。おかしいよ年寄りだけ大事にして」と更に愚痴る。

 

二十歳の娘に較べれば年寄りには価値がないというのは、かなりな問題発言だが、そのことをこの奥さんに説明するためには、人間というものをどう捉えるかという根本的な問題から説明しなくてはならないと思われた。



人間は完全体として存在しているわけではない。


健常者、身障者、老人、様々な違いを持って人は生きている。
健常者でも多くの違いを併せ持って存在しており、その差異が時代を追うごとに細分化している現在である。

 

そのような時代に、廃人、あるいは価値がない人間というものは存在しうるのか。
例えば社会の役に立つとか立たないとか、生産に貢献しているかどうかという価値観で人間を規定するのは昔からの風潮だが、存在していること自体が人に影響を与え、抜き差しならぬ世界を人は与えあっているのであるから、簡単に無価値な人間などという発言は出来ないのではないかと私は思う。

 

そのことを説明するために私はダウン症児の話を持ち出した。ダウン症児を堕胎の対象とする世の価値観からそのことを解き明かそうとしたのだ。

すると「ダウン症児はいいのよ」と奥さんはいう。

「ダウン症児は成長するじゃない。するんだよ。ちょっとだけどね。だからいいの」と言う。そして「でも年寄りは成長しないんだよ。無駄だよ」とやってられないという顔で言う。

 

成長するからいいのか。

ちょっとそれも承服出来かねるが、確かに特養での現実は死に向かってソフトランディングしている末期の人ばかりだろうし、私のようなデイサービスのお年寄りとは事情が違う。
安楽死問題が定義するように、無価値ではないが周りの者が耐えられないという苦渋の選択の保留期間を提供しているという側面もある。

 

私は何か言おうと思いながらも次の例えは思いつかなかった。余りに多くの問題を抱え過ぎていたからである。

奥さんはそれからも酔っ払った勢いで「介護なんて」と言い続け、私への質問の答えなど期待していないかのように嘆き悲しんだのだった。
確かに現在の介護のあり方は諸々の問題を含み、上げ膳据え膳状態のサービス振りだが、これがベストとはとても思えない。模索は続く。

 

 







18) 丸井さん に続く。

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