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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

わしも介護をやってみた!(26) 五十嵐氏は聞いていたか。

 

十一月十五日(月)。

月曜日。一週間の始まりである。

あの駐車場の日以来の五十嵐氏との仕事であるが、その日私と五十嵐氏はまったく会話をするチャンスがなかった。

五十嵐氏は朝も遅刻寸前に来て、フロアの仕事前の雑談にも参加しなかった。私はわざと遅れてきて気まずさを避けようとしたのではないかと勘繰った。

 

何故かその日の五十嵐氏はいつもと違って仕事の動きがよかった。ある程度ではあるが私をイライラさせない程度の機敏さを発揮した。やはり聞いていたからではなかったのか、私の勘繰りは深まった。

しかし伊豆さんは私の勘繰りを簡単に否定した。

「あの時五十嵐さんの車は、エンジンがかかっていた。聞こえてない筈です」と言った。

その辺の記憶はまったくなかった。

 

もちろん聞かれていれば伊豆さんも当事者なのであるから、五十嵐氏は伊豆さんにも不穏なものを発散している筈である。しかし伊豆さんはまったく感じないと言った。まったく普通ですと言い、私の疑念を単なる心の反映という見方をした。

そうなのかも知れない。反映に過ぎないのかも知れない。気が小さすぎる。伊豆さんに「頑張って下さい」と励まされたりした。


 

この二日前の土曜日。

私は黒岩氏に「最近元気がないですね、何かありましたか?」と意外なことを聞かれた。ベテランに仕事振りを評価される程、仕事にのっているところだったので、そういう風に私が見える人もいるのかと意外だった。

確かに利用者さんを楽しく笑わせてはいるが、私自身は心の中で笑っていない。常に危険なことが起きていないかとフロアに目配りをしている。恐らくそのような私の雰囲気が、ある人には「元気がない」という姿に見えるのだろうかと思った。

 

私はこれをチャンスとばかりに黒岩氏に言った。

「いや、五十嵐さんとうまくチームワークが組めなくてね。表面上は笑っているけど一日中ぴりぴりしてます。とにかくヒヤヒヤすることの連続です。つまり元気がないのではなく怒っているんです」と一気に五十嵐氏の流れの読めなさを喋った。

黒岩氏は「五十嵐さんじゃねえ」と苦笑いをし「もうそういう時は(あなたが)命令しちゃって下さい」と意外なことを言った。自分で積極的に言うつもりはないのだ。

「でも言っても自分の考えに固執して彼はいう事聞きませんよ」と私は言った。

 

私は彼の上司ではない。あくまでも同期の人間で、五十嵐氏も私を年上という敬意は表するが、それ以上の上下関係は拒否するであろう。その辺は大して考慮していない黒岩氏で、彼は無条件に五十嵐氏よりあなたが上なんだから指示して当然ですよという言い方をしたのである。

 

そんな会話があったせいか月曜日の朝黒岩氏は一枚のメモを五十嵐氏に渡した。

その日の入浴のメンバーである。つまり利用者さんをどういう順番で入れるかということを自分で決めろという指示を出したのである。

これはいい指示だった。

これこそ仕事の流れを読めなければ出来ないことである。

 

例えば個浴はひとつしかない。個浴を使う人が三人いればどの順番で入れるか。さっと一人で入れる人もいれば、トランスしないと入れない人もいる。

一般浴でも職員の介助をたくさん必要とする人とそうじゃない人のバランス考えて入れないと、多くの利用者さんを短時間に効率よく入れることは出来ない。
入浴後のナースの手当てに長時間かかる人は早めに入れなくてはならないし、利用者さんの
ADLによって着脱の席も決まっているので、その順番も考えねばならない。

黒岩氏は私に「まあ、どういう順番にするか見てみましょう」と皮肉っぽく笑った。

私はそんな黒岩氏の態度がとてもリーダーには思えなかった。何故笑って言えるのか。彼はリーダーとして見事に働く局面もあるが、何処かで所詮管理者は富士見さんなんだから自分は関係ないという態度をとる時があり、どうもリーダーとしての自覚は都合の良い時しか出て来ないようであった。

 

実際入浴が始まってから黒岩氏は、浴室から脱衣所の五十嵐氏の段取り振りを見て「そんなことやってる場合じゃないだろう。早く○○さんを呼んで来ないと終んねえぞ」などと揶揄していた。

やはり黒岩氏は、五十嵐氏の未熟さは利用者への危険という大変な問題をはらんでいるというリーダーとしての自覚が足りないと思える。

 

その日の帰り伊豆さんが話しかけて来た。

Sさんという定年の数年前に大手企業をやめて介護の道に入った男性がいるのだが、その人に五十嵐氏のことをそれとなく聞いたそうである。

すると「よくやっているんじゃないですか」という返事が返って来たそうである。

またえらい人に聞いたもんだと私は思った。

このSさんという人がキャリア数年という人であるにも関わらず困った人なのである。五十嵐氏と同じく流れを読んでいない。

 

なんとなく介護とは利用者さんの話し相手になっていればいいという部分が仄見える。

大手家電メーカーの定年前奨励退職に応じ「巨額の退職金を貰いました」などと利用者さんの前で冗談を言っているが、あながち冗談ではないのだろう。Sさんは週に二日くらいしか働いていない。まさしく年金こそ貰ってはいないが生活にはさして困らない人なのだ。

 

そういう人なので私のような切実感は微塵もない。

なんとなく「ボクはねえ、介護やってるんですよォ」というふんわりとしたイメージで、楽しげにやっている。そのふんわり感は貴重なのだが、利用者さんのふいの立ち上がりなどという危険が発生しても五十嵐氏と同じく気付かないで「楽しいお喋り」に夢中である。

仕事にあるシビアさが欠落している。

 

いつか黒岩氏に「Sさんの仕事も踏み込みが甘いですよね」と言ったことがある。その時黒岩氏は「もうあの人に関しては諦めています」と苦笑した。

私は、それはリーダーとしてないだろうと思ったが、この職場においてS氏は黒岩氏の先輩である。そのことがそういう発言になったのではなかろうかと後で思った。

 

つまりそういう人に伊豆さんは聞いてしまったのである。

私は「いえ、あの人もちょっと問題ありで、あまり流れを読めない人なんですよ」と言ったら、伊豆さんは思い当たるところがあるらしく「あ、それは私も」と言った。

でもまあ、いろんな人の意見を聞いてから最終的には富士見さんに言いましょうということになった。

 

さて五十嵐氏は聞いていたのかいなかったのか。また皆の五十嵐氏の評価はどうなっているのか。

 







 

27) 背後の現実 に続く。

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