わしも介護をやってみた!(27) 背後の現実
十一月十六日(火)。
五十嵐氏の仕事ぶりは元に戻った。
まったくなっていない。
やはり聞いていなかったのだろう。
それとも居直ったのか?
この日も五十嵐氏は決定的ミスをした。
朝の送迎で車椅子を二台乗せて出なければいけなかったのに、一台忘れて行ったのである。
車椅子は前日に常勤職員が車に乗せることになっており、そこでミスをしてしまった。
そういうことは当然ある。
そして翌日そのミスが起きたのを発見出来ないまま出発した。
しかし送迎に行く者は必ず車椅子が何台必要か、座布団は幾つ必要かなどということをチェックしてから出かけるのが当然である。ベテランならそんなミスは犯さない。
その日五十嵐氏は運転ではなく添乗であった。運転は新人女性で、ベテラン職員が添乗して送迎のいろはを教えるという段取りであった。その時にミスを犯しているのである。
つまり先輩ではあろうがベテランではないという証明をしてしまったのである。
でも管理者はそういう見方をしているのであろうか。
疑問である。
終業のミーティング時に興味深いことがあった。
必ずミーティングの最後に「今日ヒヤリハットは何かありましたか?」と聞かれるのだが、つまり「ひやり」としたこと「はっと」したことはありましたかと聞かれるだが、その時私はこういうことを言った。
「前にも言ったし今日もあったのですが、運転助手席側のロックがされていない時があるんですね。利用者さんの御宅に着いて、さて助手席側のロックを解除しようとしたらロックされていなくてハッとしたんです。で、皆さんちゃんとロックの作業をされているのは私自身も見ているし、皆さんなさっていると思うんです。でもロックをかける時って、ドアの取っ手部分を引き上げたままで閉めないといけませんよね。ひょっとしてそういうことを知らない人もいるんじゃないのかなあって思うんです。なにか作業としては皆さんなさっているのだろうけど、それが結果として実ってないというようなことがおきているのではないかと・・・だから一度レクチュアのようなものした方がよいのではないかと」
すると常勤女性の久保田さんがこういった。
「それは乗車時に運転手がチェックすればいいんじゃないの。それに運転席には総てのドアの鍵をロック出来るボタンもあるし、それを押せばいいんじゃないのかなあ」と。
それに対して新人女性がこう言った。
「あ、それわたしやったことあるんです。でも全部のロックがかかると添乗員が一々降りる時も、後部ドアから車椅子を降ろす時も、カチャカチャやらなきゃいけなくなっちゃって、かえって面倒でしたね」と。
それはその通りである。
すると久保田さんは「そうよねえ」と新人女性と笑った。
そしてその話はナシとなった。つまり流れとしては私の提言は無視というか却下されたのである。
これはあくまでも印象であり、私の心の反映なのかも知れないのだが、この久保田さんの発言に敵意のようなものを感じた。何か私にイチャモンつけたくて言ったという感じがした。言葉遣いも常勤、非常勤という「身分差」はあるにせよ微妙なタメ口も気になった。
事実、私は「ロックをかけるという作業を個々がやっているにも関わらず、それが実っていなかったらどうするのだ」と言っているのに「運転手がチェックすればいい」という反論は完全に論点がずれている。
チェックは当然必要だろうが、正しいロック作業のマスターがまずなされなければならないのは自明である。なのに何故こういうことを言うのか。彼女の思考力の限界か。
いや、私は黒岩氏が富士見、久保田両氏に何か言ったのではないかと思った。
例えば私が五十嵐氏を批判しているとかなんとか、彼なりのアレンジでいったのではないかと思った。
こういう言い方は卑怯だが久保田さんは独身女性である。イケメン五十嵐氏にかなりの好感を持っていると思える。もちろんベテラン介護者としての厳しい批評眼をもって五十嵐氏を見ているだろうが、男性入浴介助の実態などは知らない。
そういう気持ちが微妙に反映していたら、生意気にも同期の職員を批判している私を「自分だって何よ」という気持ちを生じさせてもおかしくはない。それとも、もしかして五十嵐氏は先手を打って彼女らに「直訴」したのか。それゆえの反応か。
もうこれはあくまでも私の勝手な印象をもとに想像を広げている。
ある種の被害妄想なのかも知れない。
多分そうだろう。
伊豆さんに「頑張って下さい」と言われる筈である。
私ははっきり覚悟を決めた。
五十嵐氏に対してはっきり指示を出そう。むっとするかも知れないが、心の中でイライラしているのは限界である。
富士見さんへの「直訴」は他の職員との流れで対応しよう。
とにかく私は行くしかない。
ちなみに久保田さんは私の初添乗時「言葉遣いがなってない」と叱責した女性である。五十嵐氏だけではない、私に対する批判も多々あろうと思う。抜け抜けと他人を批判している場合ではないのだとも思う。自分の後ろで「立ち上がり」が起きても自分は気付いていない可能性は当然あるのだ。
結果として、誰かのフォローによって大事に至っていないだけなのだという「背後の現実」が誰しもあるのだと思う。
そのことを認識した上で進むしかない。
「わしも介護をやってみた!」(28) 欠席裁判。