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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(11)連続ドラマは書かない

 

 

「山田ファンの始まり(11連続ドラマは書かない

 

 

 

 

このブログの中に「日本の面影」(舞台イギリス公演)が入っていますが、

その中にこんな山田さんの言葉があります。

 

「本当は、連続物はもう書くつもりはない、今、連続ドラマを書こうとすると、いろいろとうるさく言われて、書きたいものがなんだったのかわからなくなってしまう、つかいたい俳優さんが地味な人ばかりだと駄目だと言われるし、事件らしい事件を盛り込まないと、また駄目だと言われて、そういうことは、若いときなら、条件を呑んでも打ち勝ってやろう、と思えたけれど、今は、連続物は書かないことに決めました」

 

残念な決心でした。

あれほどテレビドラマの魅力は連続ドラマにあると言っておられたのに、本当に無念だったろうと思います。

 

この発言の数年前ですが、雑誌「月刊ドラマ」で、TBSの若手ディレクターたちが現在のドラマ状況を語るという企画がありました。

ディレクターたちは、巨匠脚本家の原稿を押し頂く境遇を嘆いていました。自分たちは脚本家と血の出るような討論をしてドラマを作りたいんだ。でも巨匠には文句も言えない。そう嘆いていたのです。

 

これは業界で話題となり、巨匠脚本家とは誰のことなのだろうと詮索され、当然、山田太一ではないのかと噂されました。

山田さんは怒りました。

翌月の「月刊ドラマ」に山田さんのインタビューが掲載されました。

 

何が血の出る討論をしたいだ、すればいいじゃないか、巨匠脚本家とは誰のことだ、ちゃんと名前を言え、私じゃないかと噂され迷惑している。そんな弱腰で血の出る討論ができるのか。

 

大変な剣幕のインタビューでした。

もともと反論のためのインタビューではなく、作品インタビューの企画だったと思いますが、そのことに触れないわけにはいかず、触れてしまったら、凄いことになりました。

後日私は山田さんに大変な反論でしたねと言ったら、いや、反論ってわけじゃないんだけど・・と苦笑いされていましたが、山田さんにしては珍しく怒ってしまったエピソードでした。でも私は、怒って当然と思いました。

 

 

テレビドラマが馬鹿にされていた時代から、山田さんは数々の名作、話題作を書き、ドラマの質の向上に尽力したのに、いつのまにかテレビ局に煙たがられる存在になっていたとは。

いつの時代も、下の世代は上の世代を否定するものですが、若いスタッフ達は、先輩たちが作った脚本家の時代のドラマ作りを否定し、トレンディドラマなどの新しいドラマ作りに向かっていたのです。

 

 

作家的に衰えたわけでもないのに山田さんのドラマは減ります。いえ、山田さんだけではなく、倉本聰、市川森一氏らも減ります。つまり脚本家の時代を担ったライターは敬遠されたのです。巨匠になったから原稿料も高くなったでしょう。商売のためのいろんな要求も、新人になら言いやすいけど、「人間を描く」巨匠では頼みづらかったことでしょう。

 

 

こういう事情は一般の視聴者にはほとんど伝わっていなかったと思います。

山田さんは創作意欲を小説や舞台にシフトし、時折り「山田太一スペシャル」として、単発ドラマやNHKのミニ連続ドラマなどを書きます。

ネット上にはたくさんの山田ファンがいましたが、ドラマの評判はよくありませんでした。

「ふぞろいの林檎たち」「早春スケッチブック」「男たちの旅路」などの印象が強かったのでしょう、何故ああいうドラマを書かないのだと不満たらたらでした。多くは連続ドラマのイメージで山田ドラマを語っており、それを書かなくなった山田太一は巨匠になってお高くとまっているのだ、山田太一はダメになったのだと叩きました。それがネット上の山田ファンでした。

 

 

山田ファンとは何か。

そんな疑問が湧いて来ました。

誰しもが山田作品に感銘した体験があるはずです。

それが幾つか重なり、ひとつふたつに感動しているんじゃない、自分は山田ファンなんだと思った瞬間。

「山田ファンの始まり」を自覚した時期が誰しもあるはずです。

山田太一をダメになったと言う人も、そうじゃない人も、それがある。

人々は山田太一の何処に惹かれたのか、それを探ってみたいと思いました。

 

2001年私は「ドラマ・ファン」という掲示板を立ち上げます。

多くの山田ファンと知りあうことになりました。

凄い人たちがたくさんおられました。

読み込みの深さ、蒐集の広さに圧倒されました。

山田太一に薫陶をうけた人々の群れでした。

 

 

巨匠と呼ばれるようになってから、山田さんの作品は益々洗練されていきました。

昔は波があって、今回は不調だなとか、突っ込みどころがありましたが、そんなものはなくなりました。発表される本数が少なくなったこともあり、完成度の高い作品が輩出されました。

 

その頃には、もう改めて「山田ファンです」なんて言う人はいなくなりました。映画ファンが改めて「黒澤明ファンです」と言わないように、山田太一を知っているのは当然で、基礎教養みたいなもので、どれくらい鑑賞しているかということが問われました。

 

山田ファンにとっては嬉しいことと言えたでしょう。

しかし、そのことが山田ファンの内実に大きな変化をもたらしていることに私は気づいていませんでした。

山田さんの巨匠化によって別の力学が働き始めていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンの始まり(12)巨匠化がもたらした弊害」に続く。

 2021.6.4

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