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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

わしも介護をやってみた!(21) 行ってらっしゃいお姫さま。

 

九月二十三日(木)。

その日一番目に迎えに行くのはNさんというお婆さんだった。

この人は必ずと言っていいほどトラブルがある。とにかく車に乗せるまでが一苦労である。ガスの元栓チェックはもちろん、電気のスイッチ、戸締りもチェックする。


 

いつだったか「食器を洗ってるから出かけられない」などと言われ、急遽私が洗い物を済ませてやっと車に乗せたということもあった。息子の嫁が逃げて行ったことを自分のせいだと心配し、自分なんかくたばってしまえばいいんだと言っていた方である。

この人をうまく誘いだせるかどうか、それによって後の送迎の時間表が変わって来る。私と添乗員(馬飼野さん)は気合をいれた。

 

お宅へ伺うとNさんは玄関の前の木箱に腰かけて泣いていた。

馬飼野さんが「どうしたんですか?」と聞くと「昨日息子が私を殺そうとしたんだよお」と凄いことを言い、杖を握りしめて泣いた。

「ひいいい~」というNさんの声が静かな朝の住宅街に響き渡った。「あたしゃあ口惜しくて口惜しくて生きていたくないよお」と嗚咽するNさんに馬飼野さんは「そうですか。では一度車に乗りましょう。車に乗ってからいろいろお話を伺います」と乗車を促した。

 

すると「行かないよ!!もう死んだ方がましさ!!」とNさんは叫んだ。

そして「ありがとうよ。あんたたちは仕事だもんね、突然行かないなんて言ったら迷惑だよね。でもごめんよ。今日は駄目。行く気になれない」と言い再び「ひいいい~」と泣いた。

 


馬飼野さんと私は相談した。このままここで手をこまねいている訳にはいかない。こういう時は他の利用者さんを先に迎えに行き、最後に再びこの人を迎えに来て説得するというのが常道であるが、このままの状態でNさんを放置しておくわけには行かなかった。「殺そう」とした息子さんは、もう仕事に出かけていてNさん一人なのである。

 

私たちは富士見さんに無線をいれた。

富士見さんは「すぐ行きます」と言い、本当にすぐ来た。一番目のお宅だから車で一分なのである。

そしてとりあえず後のことは富士見さんにまかせて私たちは残りの方の送迎に向かった。
富士見さんはかなり説得したそうだが、その日
Nさんはセンターに来なかった。家の中を確認したら一応食べ物はあったので一日家にいても大丈夫だろうと富士見さんは判断し、あとでケアマネに来てもらおうと思ったそうである。

 

Nさんが本当に殺されそうになったのかどうかは分からない。ただ昨夜は息子さんの他にも誰か女性がいて、Nさんにそういう気持ちを持たせるようなことを言ったらしい。もちろん妄想も入っている方なので一方だけの話を聞いて断定するようなことではなく、富士見さんもとりあえず細かい対応はケアマネにまかせるしかないと思ったそうである。

 

老人と家族の問題は決して一筋縄な世界ではない。

たくさんのしこりを抱えている。奇麗事ではない肉親の世界がある。

大抵の家庭はお嫁さんや娘が介護にあたっているが、やはり送り出し方ひとつをみても様々な軋轢を感じさせる。

 

あるお嫁さんはお婆さんに「行ってらっしゃいお姫様」と皮肉っぽく言って送り出した。辟易した表情だった。

そのお婆さんはとても世話焼きで体は健全な方なのだが、かなり痴呆の入った世話焼きはとても危険であると職員一同緊張している。

例えばある人がソファーで昼寝をしていると、突然その足をわしづかみにし、タオルケットの中に足をいれてしまう。
つまり足が出ていて寒いだろうという世話焼きなのである。でも何もその人には言わないで突然そういうことを行うので、やられたほうはビックリする。そのビックリさせたことには何の反省もない。

 

ある時は人の落としたお箸を拾ってあげようと、あっと言う間にテーブルの下にもぐりこみ職員を戦慄させた。
自分の思ったことはどんな失礼なことであろうとポンポン言う。親切で言ってるんだからという気持ちなのである。

そんな調子で誰にでもかまうので、怒り出す利用者さんもいる。しかしこのお婆さんの気持ちの中では水戸黄門の印籠のように「思いやりという免罪符」が輝いている。一点の曇りもない。世話焼きは彼女の「存在意義」なのである。

間違いなくそのパワーは家庭でも発揮されていると思われ、家族の疲労度は相当なものだと思う。「行ってらっしゃいお姫様」という言葉の背後にどれほどのものがあるのか計り知れないという気が私はする。

 

そしてこの人という訳ではないが、その背後に老人虐待という事実が存在する。

 

入浴介助時に利用者さんの体の観察をするのはそういう「跡」を発見するためでもあるのだ。決して健康だけを願ってやっている訳ではない。

痣を発見したと終業ミーティングで発言すると富士見さんは必ず「つねったような痣でした?」と聞く。

私はドキっとしてしまう。そういう視点で痣を見る習慣がないのだ。

愛憎の世界の生臭さは一通りではないと思う。

 

 

 



22) クリアーな人が放っておかれる優先順位 に続く。
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わしも介護をやってみた!(22) クリアーな人が放っておかれる優先順位。

 

十月十二日 (火)。

あるお婆さんが言う。

「私は考えているんです。ここに来ることを。だって、つまんないんです。ただ座っているだけだし。これじゃ家にいて孫と遊んでいるほうがよっぽどましです」

 

これは耳が痛い発言である。

どうしてもフロアの中でポツンとひとりで放っておかれる人は発生する。そういう状態にならないように職員は懸命にやっているのだが、残念ながら限界がある。そのような時は雑誌や本を渡したりテレビを見ることを勧めたりする。でも細かい字が読めない方もいるし、耳が遠い方もいるのでなかなかうまくいかない。

 

フロアの優先順位はまず危険の回避である。

妄想があり立ち上がりが頻繁な方、行動に粗暴性があり他の利用者さんに迷惑をかける方、お茶などを差し上げた時誤嚥むせこみがあり、つきっきりでないといけない方。そういう方々が優先順位のトップになる。

このような方が三人くらいいると、もう職員の対応はアップアップとなる。結果として「さして手がかからない方」は放っておかれることになり、手がかからない方というのは殆どの場合、痴呆のない思考のクリアーな方なので、より一層退屈感を感じることになる。

 

言ってみれば昔の中学や高校で非行に走る子どもに対しては熱心な対応を学校がしたのに、手のかからない「普通の子」は放っておかれたのと一緒で、問題を抱えている人の方が優先するのである。しかし抱えている問題が大きかろうと小さかろうとサービスは平等に提供しなくてはならないと思う。

 

お婆さんは更に言う。

「でもね、変なことを聞いたんです。私がここに来るのは私のためじゃないんですって。私の家族のためなんですって。私がここに来ると家族がホッとするんですって。私って邪魔者なんですかねえ」

これは更に耳の痛い言葉である。返答に困った。

 

 




 

23) 三十三歳。イケメン新人五十嵐氏の介護とは? に続く。

わしも介護をやってみた!(23) 三十三歳。イケメン新人五十嵐氏の介護とは?

 

十月二十七日(月)。

「五十嵐さん」と改まった口調で大先輩の馬飼野さんは言った。

入浴介助が終り利用者もフロアに戻し浴室内の掃除を進めている時のことである。

 

「五十嵐さん、あなたに言っておかなくてはならないんだけど・・」と更に改まって馬飼野さんは言った。

その日馬飼野さんと五十嵐氏は運転手と添乗員というコンビで朝の送迎をやっていたこともあり、馬飼野さんは新人五十嵐氏を見ていて問題点を見つけたらしいのである。フロアに戻ったらそれを言う時間もなくなってしまう。今この時しかないと馬飼野さんは判断したらしい。

 

馬飼野さんは言った。

「五十嵐さん、まず指示には無条件に従っていただかないと困ります」

「はい」と五十嵐さんは神妙に答えた。

「私たちが指示を出す時は、ある局面では危険を回避する場合も多々あります」

「はい」

「私たちがあなたの名を呼び、これこれをやってくれと言う時は命の危険すらある場合があるわけです」

「はい」

「ですからすぐ指示に従っていただかないと困るんです。一瞬でも考えられると間に合わないんです。あなたを今朝から見ていてどうもそこが良くない。自分の判断をいれないで欲しいんです」

 

そう言われて五十嵐さんは少しムッとした表情になった。

まあ言ってみれば無条件に指示に従えということであるから言葉だけストレートに受けとると承服できないものもあるのであろう。

 

五十嵐氏は言われたことに思い当たることがあるらしく「それはあのことですか?」とある具体例を出した。

馬飼野さんは「あれもそうですけど、そうではなく全般的なことです」と言った。でも五十嵐氏は全般的なことではなく、「あのこと」に対する具体的反論を始めた。それは指示にはちゃんと従ったけど何故遅れたのかという理由である。

 

それを聞いて馬飼野さんは「ですからそれはあなたの考え方であって、とにかくすぐに従っていただかないと困ると言ってるんです。今やっていることを放り出してでもやってもらわないと間に合わないんです」と言った。

でも五十嵐氏は更に反論した。すると今度は別の具体例が出てくることになった。

 

将棋好きのご老人がいるのだが、バイタルチェックをやる前に将棋をさせてはならないから将棋板を利用者に渡さないように馬飼野さんは指示した。将棋をすると血圧があがり正しいチェックにならないという配慮である。

 

でも五十嵐氏はテーブルに出してしまった。

そのことを言及されると五十嵐氏は言った。

「渡したわけではないでしょう。利用者さんに『出して』と言われてしまったので将棋を始めやすいようにテーブルに出してあげただけです。それもちゃんと『血圧を測るまではしないで下さいね』と言いました」と。

馬飼野さんは「それがいけないんです。出すなと指示されたら出さないで欲しいんです。目の前に出したらどうしてもしてしまうでしょう。余計な判断を加えないで欲しいんです。そういうことが多すぎるんです」と言った。

 

五十嵐氏は承服できずまた少し意見の応酬があり、かなり煮詰まった感じにはなったのだが、長々と議論をしている時間はなく、とりあえず不和を残しその場は終った。

 

上意下達に無条件に従えないのは分かるし、五十嵐氏の柔軟な対応の何処に問題があるのかも線引きが難しいところである。

何度も書くが、この仕事は優先順位を常に考えていなくてはならないところがあり、利用者さんのふいの立ち上がりによる転倒などは早急に対応しなくてはならないトップ項目である。しかし職員によって微妙に優先順位が違っていることも事実なのである。

それは個々の職員の介護に対する考え方が作用しているせいと思え、様々な人がある志やキャリアを持って介護の世界に入ってきている中で、こだわりのポイントが違っているのである。

では一体五十嵐氏の介護とはどのようなこだわり、理想なのであろう。



 

五十嵐氏は一人ひとりによく対応するし、私などよりはるかに優しく接する。

ある人とは折り紙を、ある人とは将棋を、ある人とは絵を描いたり、その対応の密度は凄いものである。

 

しかし五十嵐氏は先輩女性に注意をされる。

「ひとりに対している時間が長すぎる。私たちはたくさんの人々を相手にしているのであって、一人だけを相手にしているわけではない」と。

 

五十嵐氏は腐った。

そんな言われ方をされるとは思っていなかったのである。

ひとり一人に密度をもって接するのが悪いことなのか、むしろそんな言い方の中にある「効率主義」こそ批判されるべきではないのか。五十嵐氏が黒岩氏にそのことの愚痴をこぼしていたのを私は目撃している。

 

黒岩氏は自分が批判されていることもあり、非常勤女性のいう事なんて一方的だから気にしないほうがいいよなどと慰め、馬飼野さんの忠告にも、そういう言い方が多いんだよあの人、聞き流すしかないよというアドバイスをしていた。

 

で、馬飼野さんの方からも私は聞いている。

忠告のあと五十嵐氏がフロアに戻ってから馬飼野さんは言った。

「黒岩さんに一番初めに言ったのもこのことなんです。今までどんなキャリアがあったのか知らないけど介護の現場では、一度自分の思い込みを捨ててもらわないと困るんです。危険なんです。基本は基本として覚えてもらわないと」

 

これでは確かに女性たちが言うように黒岩と五十嵐は仲間で、それを批判する馬飼野と女性職員の対立という単純な図式が完成してしまう。

さて、では黒岩氏と五十嵐氏は仲間なのであろうか?

これもまた微妙である。

というのも黒岩氏は五十嵐氏に対しても苛立っているのである。

 

例えば五十嵐氏の入浴介助時の仕事が遅いのである。

それはひとり一人の利用者さんに丁寧に対応するゆえに遅いとも言えるのだが、無駄に丁寧というか必要以上に時間をかけているという側面もあるのである。

 

それを黒岩氏は苛立っている。

「利用者さんにはゆっくりとお風呂に入ってもらいたいけど、それは介助がゆっくりという意味ではない」と斬り捨てる。

いつだったかこういうことがあった。

十名近い入浴者がいるのに五十嵐氏はその人々の入浴が終るまでの間、たった一人しか介助出来なかったのである。一人の脱衣を手伝い、風呂に誘導し、体を洗い、浴槽に誘導し、お湯からあがられた利用者を再び脱衣所に連れて行き、服を着せる。それが終った時には、他の十名近い入浴者の介助は終っていたのである。

 

勿論ADLのレベルによってとても時間のかかる人とそうではない人がいるので一概に早い遅いは言えないのだが、私などが三人四人介助する間にたった一人なのである。

これは明らかに異常なことと言え、その上五十嵐氏はそのことを自覚していなかった。これでは黒岩氏でなくとも苛立つだろう。

 

介助というものはやればいいというものではない。

やらないということも介助なのだ。例えば衣服の着脱。手を出さずに見守るという必要もあるのである。あるところまでは手を貸して、あとは時間が許す限り自分でやってもらい自立を促すことも必要なのである。

それが五十嵐氏には出来ない。

ひとりの人間と対応するとその人だけになってしまう。一から十まで面倒をみてしまう。

ここまで手を貸したら次の人に移り、他の人を介助しながら前の人は見守りだけということが出来ない。

 

ある時など湯上りの利用者の足の爪切りまで始めてしまい、それは足に固定の補助具を装着している人で、フロアに戻って再び補助具を外して爪を切るより今やったほうがいいじゃないかという判断だったらしいが、他にも利用者はおられ、尚且つ介助のあと風呂掃除だの洗濯だのが控えているのに、それはないだろうと馬飼野さんに注意をされた。

その時でも五十嵐氏は不満気だったのである。

この異常とも言える五十嵐氏の集中度は一体なんなのであろう。

 

フロアの中でもそういうことがよくある。

折り紙などの「工作モノ」を利用者と始める。するとそのことだけになってしまい、近くで利用者が立ち上がるという危険なことが発生しているのにまったく気付かない。慌てて遠くの職員が駆けつけて対応するのだが、そういうことが起きていることにも最後まで気付かない。しかも自分自身で折り紙や絵を描くことに熱中してしまい目の前の利用者すらそっちのけのこともある。


 

女性たちは批判する。

「自分が楽しんじゃってるんだよね」

 

ある時非常勤女性の大ベテランが、仕事終了時のミ-ティングで現在の新しい管理体制を批判した。大ベテランとはあの宮口精二の如き剣の達人である。

あ、この際だからこの方の名前は宮口さんとします(今頃なんだ!)。

 

宮口さんはその批判の中で「新人の方でもいくら注意をしても分からない人がいる。こんな職場では利用者さんが可哀想だ」と新人たちにも鉾先が行ったのである。もちろんどの新人とも言わないし、全体のこととしてのニュアンスを強くして宮口さんは言ったのであるが、五十嵐氏は「それは私のことではないかと思うんですけど」と言い始めた。

宮口さんと五十嵐氏はその日運転手と添乗員という送迎コンビだったのだが、馬飼野さんの時と同じく何かあったらしい。宮口さんは「いえ、あなたのことを言っているわけではないんだけど」と対立を避けようとしたが、五十嵐氏は反論を始めた。

 

それはこういうことである。

帰りの時間が来て利用者さんを車に乗せてあげている時のことである。

五十嵐氏はある方を運転助手席に乗せたあと、シートベルトをつけない状態で次の利用者を後部座席に座らせようとしていた。
それを見た宮口さんは五十嵐氏に注意をした。何故ちゃんとシートベルトをつけるところまでやって次の人に移らないのか、運転助手席はただでも一般座席より高い位置にあり、転落の危険性があるじゃないかと。

 

その時のことだろうと五十嵐氏は言っているのである。

「いえ、そのことはそのこととして私はもっと一般的な傾向を言ってるんです」と宮口さんは言ったが五十嵐氏は反論した。

 

五十嵐氏の言い分はこうである。

利用者さんの車への誘導は職員がひとりずつ連れていくことになっているのだが、その状態であれば五十嵐氏もそうしただろう、ところがその時五十嵐氏の後ろにもう一人ついて来てしまっていたのである。

二人の人間に同時に対応することは出来ない。

そこで仕方なくああいう対応になったと五十嵐氏は主張した。

助手席に乗せた方はある程度足腰のしっかりした方でADLも確かな方だったから、シートベルトをかけない状態でもひととき大丈夫だと判断したという。

 

しかしもう一人はそうではなかったので、とりあえず助手席の方は放っておいてそちらの方を重点的に対応した。ADLを考えた結果そういう対応をしたと主張。

五十嵐氏は「それとももう一回利用者さん二人を出入り口の椅子まで連れ帰り、セオリー通り一人ずつ連れて行けばよかったのですか、それこそ危険じゃありませんか、一人で二人を誘導することになるんですよ」と言い、咄嗟のこととはいえ自分が如何に思慮を重ねた上でそのような行動をとったのかということを力説し語気を荒げた。

 

宮口さんはその言葉を「あなたは自己弁護をしているだけじゃないですか」と一言で斬り捨てた。常勤職員が慌てて険悪さを和らげようと、不測の事態には完璧な対応は有り得ないし、批判はあるだろうけど仕方ないじゃないかととりなした。

宮口さんはその常勤職員に噛み付いた。そもそもどうしてそういう事が起きるのかと言っているのだと。基本がなっていないからだと。いい加減な管理と新人教育体制で利用者さんを危険な状態にさらしているじゃないかと宮口さんは言った。

 

しかし常勤職員は元々ベテラン非常勤職員を煙たがっていることもあり「まあまあ」という対応を示し、その場の扱いはまるで宮口さんのヒステリーというニュアンスとなった。

宮口さんも「もう何を言っても同じね」と捨て台詞を吐いてそっぽを向いてしまい議題は別のところに移った。

 

私はその時具体的な事情がよく呑み込めなかったので一切喋らなかったが、確かに不測の事態を招いた最初の過ちは、ひとりずつ連れて行くことになっているのに、後ろにもうひとりついて来た事にある。

常に回りに注意をする。ひとり一人を的確に誘導するという基本をまっとうしていれば早期にそのことに気付いていた筈である。宮口さんはそのことを言っているのに、その後に発生した不測時の対応を如何にするかという問題にすりかわってしまった。

宮口さんも無念であろう。

 

しかし何よりも問題なのは五十嵐氏にまったくそのことの反省がないということである。

まずその基本をまっとう出来なかった事を詫びてから反論するならともかく、不測の事態に対する自分の判断を自慢とも思える口調で語り、自分は精一杯やっている、一点の曇りもないと主張する姿をどう捉えればいいのか。

 

彼はひとり一人に丁寧に対応するために、周りを見ろと言ってもひとりの人間と向き合うとそれだけになってしまう。それは愛情の深さとも言えるのだが、たくさんの利用者の中でのひとりと対しているのだという視角の広さが残念ながらない。全体を見ることに限界がある。それが危険さを招いている。

 

これは訓練不足のせいなのか?訓練すれば獲得出来るのか?

 

どうも私が思うに無理なのではないかと思い始めている。

五十嵐氏はまるでひとり一人の恋人になろうとでもしているかのごとく接するが、それは彼の「心の闇」が作用しているのではないかと思えるためである。

 

五十嵐氏は「人間に対する距離」が近すぎる。

彼が如何なる理由によって介護の世界に入って来たのかを私は知らないが、彼の異常なほどの人間に対する近さは逆に「愛されたい」という渇望に思える。確かな繋がりを得たいという無意識の熱望があるように思える。

 

そして自分を批判された時に異様なほど細かく反論するあのプライドの高さは明らかに自己愛の大きさを物語り、それは任意の他者にも向かっているはずである。

全体の中のひとりではなく「オンリーワン」の関係を至上とするかのような姿勢は介護と言えるのか。

私は彼を批判する根拠をたくさん持っている。ケアセンターの介護はひとりでなせるものではなくチームワークである。だから様々な不都合が発生している。

黒岩氏どころではなく私もイライラし通しである。

しかしストレートに批判するのは避けている。何故なら彼のようなタイプが間違いなくストーカーのような行為をする病的なタイプに思えるからである。迂闊にプライドを傷つけるのは危険である。

 

人間に対する見当違いの距離の近さ、それを「愛」と思い込んでいる人はごまんといる。彼もそのひとりだと思える。恨みを買うというはっきりとした覚悟がなければ、そして彼の心の核心を打ち砕き、再生させるという覚悟がなければ批判や忠告は出来ないと思っている。

 

先日五十嵐氏と送迎のコンビを組んだ。二回目である。

前回は私が運転で彼が添乗だったのだが、五十嵐氏は少しプライドが傷ついたようだった。五十嵐氏は運転と添乗というと、添乗という役回りを一段低くみているらしく「こんな組み合わせもう二度とないでしょうね」などという発言をした。私は発言の趣旨がその時飲み込めなかったが、後でプライドなんだなあと思った。

 

しかし今回は五十嵐氏が運転、私が添乗という役回りである。ホッとした。

夕刻の送迎が終りセンターに帰る途中二人だけになったので雑談となり、五十嵐氏は今度飲みに行きましょうよなどといい、私もそうだねと気軽に応えた。

そいう話をしながら私は運転席のあることが気になっていた。

運転席のハンドル脇にその日の「送迎表」という小さなメモが貼り付けてあるのだが、それがいつまでも貼ってあることが気になっていたのである。

 

「送迎表」とは利用者を送り届ける順番と座席位置を示したものである。順番は利用者の住所に沿って組まれており、独居老人のお宅では迎えのヘルパーの都合で何時まで到着、あるいは何時以後でなくてはならないといった細かい指示が書いてある。大切なメモである。

 

しかしそれはその日限りのもので送迎が終ると無用のものとなり運転手が破棄するのだが、五十嵐氏はよく貼ったままにしていることが多いのである。「送迎表」には運転手と添乗員の名前が書かれており、誰が外し忘れたかということがすぐ分かる。

だから翌日に乗車した運転手が気付き、それを取り除きその日の「送迎表」を貼ることとなりひと手間増えることとなる。私だけでも四五回そういうことにあったので、また忘れるんじゃないかと気になっていた。

 

いよいよセンターまであと少しというところで私は明るさを装って言った。

「それ、もう外しておいたほうがいいんじゃない。また忘れちゃうよ。五十嵐さんのメモよく貼り付けたままだよ」と。

すると五十嵐氏は「え~~。それは有り得ないなあ」と笑い「それ、私が添乗の時のやつでしょう。私は絶対忘れませんよ」と更に笑った。

「ううん、五十嵐さんが運転手の時のやつだよ。一回二回じゃなくてもう四五回あるよ」と私が言うと五十嵐氏は「絶対そんなことありませんよ」とまた笑った。

そして忘れない理由を言った。

 

以前とり忘れたことがあり、先輩に前日のメモが貼ってあると次に乗車する者が混乱するからと注意をされ、それ以来毎回事務所に返却する運転日報のファイルにメモを貼り付けて戻しているのだと言った。

そうしないと気持ちが悪いのだとも言い、それだけ気をつけているのだから絶対あり得ませんと五十嵐氏は笑った。

 

私は呆れた。

いくら心がけているにせよ、それが達成されていないのではという疑いをなぜ持たないのかと思った。もう何回忘れているんだ、一回や二回じゃないから言ってるんだぞと思った。

メモのとり忘れを見る度に、大した手間ではないが「やる事に一々完成度のないヤツだな」と苛立っている私にしてみれば、そこまで能天気な自信を見せられて二の句が出ない状態になった。でも私は「そうか添乗の時のものかも知れませんねえ」とごまかして笑うしかなかったのである。

 

彼は自分を信じている。ある範囲の中で人を愛している。好青年と言ってよいだろう。

しかし介護者としては人格的に危険だという思いが拭えない。

様々な問題を孕みながら、それでも彼はキャリアをつけていっている。このまま行けば、いつのまにか彼は職場の大先輩になってしまうのである。事実後輩は続々と入って来ており、彼は私同様中堅どころになりつつあるのである。新人は私だけではなく当然五十嵐氏にも教えを乞うて相談している。

彼はどんなことを教えているのか。かなり暗澹たる気持ちに私は成らざるを得ない。

 

 

 





「わしも介護をやってみた!」(24) 五十嵐氏との関係。

わしも介護をやってみた!(24) 五十嵐氏との関係。

 

十一月十二日(金)。

私は運動をかねて出来うる限り自転車通勤をしようと思っている。約二十五分から三十分の行程である。殆どの人が車で来ているので「そんなに遠い所からあ」などと驚嘆されたりする。

しかし今日は午前中雨が降っていたこともあり車で行った。

それがある運命の引き金を引く結果になったかも知れないと、今思っている。

 

 

 

一日の仕事が終り歩いて五分ほどの駐車場に向かう途中のことである。伊豆さんというキャリア五年の古株パートさんと一緒に歩くことになった。あの宮口精二の如き剣の達人よりも古く、馬飼野さんに続く女性最古参である。いつもはセンターの駐輪場前でさようならなので、駐車場まで一緒に歩くなどということは大変珍しいことである。

 

 

伊豆さんは歩きながら「馬飼野さんあなたのこと誉めてますよ」と言い私の仕事ぶりを誉めてくれた。数ヶ月まえの「政変」の時に惜しまれながら辞めた有能な非常勤男性がいたそうなのだが、彼の穴を私が埋めていると馬飼野さんは絶賛しているそうである。

その人は腹話術や手品も出来る器用な人で、利用者さんを楽しませる才能に溢れた方だったそうである。その人の穴を埋めたなどと言われると恐れ多いのだが、それに比して五十嵐氏はという話になり、駐車場についても話は終らず立ち話となった。

 

あの流れを読めない仕事振りと独断振りがとても迷惑ということでは話は一致。大きな交差点の角にある駐車場で車の音に負けないくらいの声で話し、勿論黒岩氏のことも槍玉にあがった。

話に夢中になり駐車場から出ようする車の邪魔をしていることに気付き、慌てて脇までどいて、足が疲れてきたこともあり「私の車に乗って話しましょう」と伊豆さんに言われ更に車の中で話し、なんと二時間も喋ってしまった。

なんとかこの職場をよくしたい、お互いに頑張りましょうということで別れた。

 

久し振りにお喋りし過ぎた興奮と、ベテランに評価されている自分という高揚感の中で私は帰路についたのであるが、嫌なことに気付いた。

 

暗くて分かりにくかったが、あの話の途中で出て行った車は五十嵐氏の車だった。

ということはあるところまでは私たちの話は聞かれた可能性がある。

車の音が激しかったが信号の状態によっては静かになる時もある。もし車の窓を開けていてエンジンをかけてなかったら聞こえた筈である。

 

自分の陰口を叩かれているのを偶然聞くという、血が逆流するような瞬間を彼は体験したのかも知れない。そういえば彼の車は私たちが邪魔だったこともありなかなかスタートしなかった。それは聞き耳をたててしまい出るに出られなくなったせいではなかったか。

 

 

忠告をするなら細心の注意をしなくてはならないと思っていたのに、これは失敗だったと後悔している。

さて来週からどうなるか。

もし聞かれたことが分かるような態度で出てきたら、もう憎まれ役を買うしかないだろう。腹を決めねばならない。

 

 

 




「わしも介護をやってみた!」(25) 管理者は五十嵐氏をどう見ているか。

わしも介護をやってみた!(25) 管理者は五十嵐氏をどう見ているか。

 

十一月十三日(土)。

さて管理者富士見さんは五十嵐氏をどう見ているのであろう。
もちろん富士見さんの上には男性所長がいるが現場にはタッチしない。富士見さんを頂点とし、その下に黒岩、久保田という常勤職員が現場をとりしきっている。

富士見さんは五十嵐氏をどう見ているか。私は富士見さんとそういう話をしたことはないが、あるエピソードが富士見さんの五十嵐観を証明している。

 

一週間ほど前にとんでもないメンバーで入浴介助をすることになった。

私、五十嵐、まったくの新人というたったの三人で八名の利用者を介助することになったのである。馬飼野さんも黒岩氏もいない。ベテランはひとりもいず、私はどういう段取りで入浴させるか悩んだ。

仕事の流れの読めない五十嵐氏、やっと体を洗うことが出来るようになった程度の新人、どうすればよいのか。

あとでこの日のことを知った馬飼野さんが「それじゃ、あなた一人で介助しているようなもんじゃないですか」と呆れていたが、その通りだった。

 

時間をかけるしかない。あせらず時間をかけてやるしかない。そう思った。

しかし最後に入浴するFさんという下半身マヒの人が問題だった。痴呆はまったくないが不慮の事故で歩けなくなった方で、いつも電動車椅子でセンターまでご自分で十一時過ぎ来訪される。この人の介助がベテランでないと難しかった。

 

まず体が大きいのでトランス(体の移動介助)に高度な技術が要求された。

また頭のクリアーな方なので、体の拭き方、衣服の着せ方、足への保湿オイルの塗り方、電動車椅子の手すりの外し方などに細かい要求があった。

私だって、やっと頭でやり方は理解できたかなというレベルなのである。この人をどう介助するか。ベテランですらうまくやれないと情け容赦なく叱責されているシーンをよく目撃していた。

 

大問題が最後に控えている中で入浴はスタートした。

幾つかの問題は発生したが、新人は懸命に動いているし五十嵐氏もトンチンカンは相変わらずだが、まあなんとか動いている。

でも案の定時間は押してしまい、Fさんが入浴する頃には十二時を回ろうとしていて、昼食の時間が来ようとしていた。利用者さんが全員入浴を終らないと食事を始められない決まりになっていて、いよいよ私は焦り始めた。

 

Fさんの体は私が洗うことにした、五十嵐氏では手が遅過ぎると判断したのである。とにかく時間が押している。新人には浴槽掃除を指示し、五十嵐さんには脱衣所の着衣を担当してもらった。

 

私はFさんに「今日はベテランがいなくて入浴が遅くなってしまいました。どうもすみません」と謝りながら体を洗い始めた。

背後で新人が懸命に大浴槽の掃除をしている。Fさんは「個浴」というひとりだけで入るお風呂を使う人で、まあ言ってみれば普通の家庭用の小さなお風呂に入るので、大浴槽は掃除を始めてよいのだった。

 

その時脱衣所の扉が少し開くけはいがした。

見ると五十嵐氏が扉を少し開けてこちらを覗いている。そして私と視線が合うと小声で信じられないことを言った。

 

「シャワーを浴びてフロアに戻っていましょうか、わたし」と。

 

心の中で激怒した。

これから一番難しく危険なトランスがあるのである。

何を言っている。この状態が見えないのか。

 

五十嵐氏の思惑は分かる。おそらく脱衣所の利用者はすべてフロアに出てしまったのである。つまり脱衣所担当の彼のやることはなくなった。彼は手持ち無沙汰になったのである。

Fさんは私が洗っている。掃除も新人がやっている。彼はボサーッと脱衣所に立っているよりフロアに出たほうがいいと判断したのだ。

しかし二人がかりでやるトランスと細々とした衣服の着脱がある。これからが一番難しいところなのである。

それを「シャワーを浴びてフロアに戻っていましょうか」とは何事か。自分の役目は終ったとでもいうのか。先の読めない間抜けぶりに怒鳴る寸前までいったが、もちろん利用者の前では怒鳴れない。

 

そしてもうひとつ厄介な事情を思い出した。朝のミーティングで五十嵐氏は十二時半から休憩に入る予定を組まれていたのである。だから確かに時間的にもうフロアに戻り、食事を早急に済まさなくてはいけない時間が来ていた。そういうこともあって五十嵐氏は言っているのだ。しかしその予定は入浴が滞りなく終っていればの話である。どうせフロアに出てもFさんが終らない限り食事は始められないのだ。

彼の思考能力の限界に怒りを覚えながらも私はこう言った。

「シャワーを浴びて乾いた服に着替えて待っていて下さい。脱衣所でのトランスがあります」

言葉は普通だが、私は相当陰険なイントネーションで言ったように思う。それを彼がどんな表情で聞いたか、まったく見る気もなかった。

 

私は「ふざけるな!」と心の中で怒鳴りながらFさんの体を洗った。

すると背後で新人がボーッと立っている。どうやら浴槽掃除の順番を思い出せないらしい。私はこれまた言葉は丁寧だが陰険に次の段取りを指示した。新人は「ああ、そうでしたね」と呑気な苦笑いをして動き始めた。

 

しまったと私は思った。

トランスは脱衣所だけではなくお風呂の中でもあるのだ。

「個浴」に入ってもらう時当然二人がかりのトランスがあるのである。五十嵐氏が服を着替えてしまったら、当然お湯に体をつけてのトランスは出来ない。しかしそれに気付いた時には五十嵐氏はシャワーを浴びて着替えにはいっていた。

 

この未熟な新人とトランスをやるしかないのだと私は悟らざるを得なかった。新人がどれ位トランスの技術を身につけているのかまったく分からなかった。

しかしもう遅い。新人とやるしかないのである。

トランスは体側を抱える人と足側を抱える人とに分かれ、当然体側を抱える人に高度な技術が要求される。当然体側は私がやり新人には足を抱えてもらう。体側さえしっかりしていれば、Fさんを落っことしたりは絶対しない。それで行くしかない。

体の洗いが終りトランスの時が来た。

新人を呼んで足を抱えさせ、まずどういう動き方でトランスをするか言葉で説明した。それは利用者さんへの説明でもあり、新人相手でなくとも毎回必ず行うものである。

 

「いいですか、まず最初にFさんに横移動をしていただきます。車椅子から浴槽のこの位置まで移動します。お尻をこの位置に乗せ腰掛けるような感じになります。それから縦移動で浴槽の中に入っていただきます。分かりますか。タイミングは体を持っている私の方が指示します。足はちゃんと抱えられましたか?準備はOKですか?では行きますよ」

 

そしてトランスを行った。

新人は失敗した。

足を抱えたはいいが、一気に浴槽の中まで運び込むことは出来なかった。浴槽のふちに引っ掛かってしまい、体はちゃんと横移動をし浴槽に腰掛けられはしたが足は入りきれなかったのである。

Fさんは怒った。

「それじゃ駄目じゃないか。もっと高く持ち上げなきゃ。何やってるんだ」

新人はすみませんと謝りながら再度挑戦しなんとか足を入れることに成功した。そして次の縦移動はうまくいった。

なんとか大きな事故にならずに一回目のトランスは終った。

しかしお風呂から上がる時に再びトランスである。今度はお風呂から車椅子ではなくストレッチャーに乗せなくてはならない。これもまた要領のいる難しい仕事なのである。

 

やっぱり五十嵐氏を着替えさせたのは失敗だった。流れの読めない五十嵐氏だが多少のトランスのキャリアはある。ただ彼はたとえ足を抱えていても自分勝手なタイミングをとろうとする。タイミングは体を抱えている人がとると決められているのに、いざトランスとなると、そのことのみに懸命になってしまい、足を抱えているのに自分のタイミングで「いいですか?せーの」などと動くのである。

 

これは何回言っても直らない。あげくは「ああ、そちらでタイミングとって下さい」などという「俺はひいてやったぜ」的な発言もする。つまり主導権を握られるのがイヤという気持ちなのだ。だったら体を抱えればよいのだが何故かそちらの技術には余り関わろうとしない。


でもそんな人間でも、この場合にはキャリアのある程度ある奴のほうが良かった。ストレッチャーへの移動で新人が失敗し、足を床に転落させたら私も引っぱられる可能性がある。そのことを考えたら後悔の気持ちが溢れた。

 

何しろFさんは体が大きい。普通のご老人なら痩せているので、ある程度腕力でなんとかなるが、Fさんの体重は腕力だけではなく要領が要求された。

短い時間だがトランスの要領を再度新人に説明し、また緊張しすぎて失敗しないようにも配慮して言葉をかけた。

 

そしてそれが功を奏したのか、二回目のトランス、ストレッチャーへの移動は奇跡的にうまくいった。

さあいよいよ脱衣所での着衣とトランスである。ストレッチャーに横になったままで体を拭き、ある程度のところまで着衣を行う。紙おむつやズボンもあるところまでは穿かせる。

そしてFさんの足をひとりが高く持ち上げ、お尻がある程度上がったところでズボンと紙おむつを正しい位置にもう一人が引っぱる作業が始まった。この紙おむつの位置が微妙で難しかった。当然その難しい引っぱる方を私がやった。

 

ところがいくら五十嵐氏が持ち上げても紙おむつとズボンは正しい位置に引っぱれなかった。つまり持ち上げ方が足りないのである。体重がある為に通常より今一歩の力がいるのである。とはいえ五十嵐氏より体が小さく、おそらく力もないであろう馬飼野さんはちゃんと持ち上げている。技術の問題と言えた。

Fさんがじれて五十嵐氏に怒った。

「それじゃ駄目だよ。全然お尻が持ち上がってないじゃないか、ちゃんと持ち上げろよ」

五十嵐氏は再度挑戦したが上がらなかった。Fさんは「だからそれじゃ駄目なんだよ。上がってないじゃないか」と怒鳴った。

 

五十嵐氏はFさんにではなく私に向かって「これは無理ですよ、車椅子に移動してからやりましょう」と言った。

それを聞いたFさんが怒った。

「ここでやるんだよ。これで出来るんだから」

 

怒って当然である。

利用者さんの指示に不平を言い、自分のアイデアを出しているのである。どうしてそんなことを言うのか。余程利用者さんが理不尽な要求をしているならともかく、このやり方で今までやってきたことはこれまで見てきた筈である。ベテランたちも総てこのやり方だったし、実際理に叶ったやり方なのである。

 

しかもFさんにではなく私に言ったということも問題だった。

彼はFさんを痴呆者だと一瞬にせよ勘違いしたのではないか。或いは利用者というのはある局面からは無視していいとでも思っているのか。

彼の利用者さんへの対応は「愛」に溢れているのだが、でもそれは「赤ちゃん言葉」が主流を占めていた。まるで幼子の相手をするように彼は「愛情をこめて」接するのである。

これは完全にスタンスを踏み外していたし、二級のヘルパー講座でもそれは教えられている。「赤ちゃん言葉」がどれ位利用者を傷つけるか。

でも彼はそういう講座に行っていない。「二級のヘルパー講座って受ける必要あるんですか?」と私に聞いたくらいである。

 

黒岩氏だって馬鹿にして受けてはいない。あんなものは受講料だけ払えば誰でもとれる資格とも言えない資格だと五十嵐氏に言っていたのを私は聞いている。

残念ながら確かにそういうレベルのものである。金を出してある一定の講習を受ければ誰でも資格を取得できるものである。

しかしだからといって無駄なものではない。そこには確実にある知恵が披瀝されている。

それを金さえ出して一定の講義さえ受ければ簡単に取得出来るライセンスなのだなどと揶揄すべきものではないと私は思う。

知っている知らない。レクチュアを受けているいない。その差はあれど肝心なことは自分が体験の中で獲得できるかである。レクチュアを受けていても獲得できない人はたくさんいる。

 

だからそれはいい。

 

彼は利用者を無意識のうちに下位のものとみなしているのではないか?

彼の愛情溢れる個々への対応は彼なりの「一方的慈悲」ではないのか?

まあとにかくそれはいい。そんなことを詮索している時間はない。現実は目の前にある。

私は「もう一回持ち上げて下さい」と怒りをこらえて言った。五十嵐氏は渋々ではあったが再び持ち上げた。自棄といった感じだった。今度はうまくいった。

「そうだ、それでいいんだ」とFさんは言った。次にシャツを着せてストレッチャーから電動車椅子へのトランス。一つひとつ細かい指示をFさんに貰いながら進める。

でも五十嵐氏にFさんの怒声がとぶ。

「違うだろう!靴下はズボンの上に被せるんだよ、いつになったら覚えるんだ。足の固定ベルトをこのあと足にかけるんだ。皺になってたら駄目なんだよ。何回も見ているだろう」

 

怒って当然である。

五十嵐氏は私とまったく同じ回数Fさんに会い、先輩のやることを見、そしていくつかは手伝っている。でもまったく五十嵐氏は覚えていない。そして自分のやり方が否定された不満を笑顔ではあるが滲ませる。

 

とにかく叱責を受け続けながらもFさんの着衣は終りフロアに戻ってもらった。

五十嵐氏も同時にフロアに戻し、私は掃除の手伝いに入った。急がねばならない。私と新人も食事の時間が大幅に遅れてしまう。

やっと掃除が終り、私たち二人もシャワーを浴びて服を着替えた時には一時近くになっていた。

すると五十嵐氏が苦笑いをしながら脱衣所に入って来た。

「言いたい放題ですよ、Fさん」と言う。

どうやら食事の席がFさんの隣になってしまい、食事の間中五十嵐氏は説教されたらしい。「思いついた文句は全部言ってる感じですよ」と笑い、フロアに出たら私もFさんに叱責されると思ったのだろうか「気にしないほうがいいですよ。聞き流して下さい」と言った。そして「遅れたけど、これから休憩に入ります」という報告をして脱衣所を出て行った。

 

私は、おいおい、まったく読めない奴というのは本当に読めないのだなという徒労感に襲われた。

 

とにかくなんとも大変な一日だったのだが、そのことを今思う時、管理者はどうしてこのメンバーで入浴介助が出来ると判断したのかという疑問が残った。

私と五十嵐氏は数日違いのほぼ同期である。ひょっとすると管理者にとってこのメンバーというのは、ベテラン二人と新人一人という構成のつもりだったのではないか。五十嵐氏を私と共に、すでにベテラン扱いしているのではないか。

 

女性管理者富士見さんは男性の入浴の実態を把握できていないのではないか。同性介護の原則では富士見さんがこのような実態を体験することは不可能である。だから男性リーダーの黒岩氏がある程度報告していると私は思っていたが、それは行われていないのではないか。だからこのメンバーで可能という判断を下したのではないか。

 

伊豆さんは昨日車の中で話し聞きながら、あまりの酷さに呆れ果て「お忙しくなかったら、今からセンターに戻って富士見さんに話しをしませんか」と管理者に抗議しましょうというニュアンスの発言をした。

しかし私はその時センターに戻れば黒岩氏もいるので「頭越し」の抗議はまずいと思った。それに五十嵐氏の危ない人格も考え合わせると、もう少し様子を見てからにしましょうと言った。

他の男性職員の意見も聞いて対応しましょうということになった。

 

 





 

「わしも介護をやってみた!」(26) 五十嵐氏は聞いていたか。