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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

わしも介護をやってみた!(10)イメージ。

七月十五日(木)。

歩行のおぼつかないお爺さんの両手を支え、「右、左、いち、にぃ、いち、にぃ」と歩かせ脱衣所から浴室に連れて行く。でもなかなかお爺さんは歩けない。かろうじて一歩が出ても微々たるもの。ぬるぬる滑りがちな床の上を、転倒だけはしないように四苦八苦して誘導する。

 

その入浴が終了したあと黒岩氏に注意をされる。

「ただ、いち、にぃ、いち、にぃと言っているだけではダメです。ちゃんと何処に行こうとしているか、何をしようとしているか伝えないと。例え痴呆の人でもそのことを明確に伝えると人は動いてくれるんです」

 

つまりイメージさせてあげる必要があるのだという。

更に黒岩氏は言った。

「あの○○さんってお婆さんいるでしょう。あの方車椅子で歩けない人ですけど、でもご本人に言わせると、短い距離で、何処までということが分かっていれば歩くことが出来るそうです。そのように、明確に何処に行こうとしている、何をしようとしているということが納得出来ていれば人は動くことが出来るんです」

 

なるほどと私は思った。

人はイメージすれば「可能な存在」なのだ。

 

 

 





11) 男なのに に続く。

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わしも介護をやってみた!(11) 男なのに。

 

七月十六日(金)。

朝、センターに利用者さんを迎え入れたら、うがいと手洗いを促したあと椅子に座って貰いお茶をだす。そして一人ひとり挨拶をして明るい会話。利用者さんの気持ちがリラックスしたところでバイタルチェック(体温、血圧、脈拍)。入浴出来る体調かどうか調べる。


そして
OKの人はどんどん入浴して貰い、あがられたらドライヤーで髪を乾かしてあげる。その合間をぬって湯呑みなどをテーブルから下げ台所で洗う。



するとそれを見ていたお婆さんらがひそひそと「可哀想にねえ。男なのにあんなことさせられて」などと言う。
中には「どうしてこんな事しているの」と同情する人も。
お婆ちゃんの価値観はそう簡単には覆らない。
男にお茶を運んで貰うだけで恐縮する人もいるし、足の爪など切ってあげると「もう、申しわけなくて罰があたるよ」などと言う人も。

 

 

 


12) 五十嵐氏のこと に続く。

わしも介護をやってみた!(12) 五十嵐氏のこと。

七月十七日(土)。


さて私と同じ新人非常勤職員五十嵐氏の話をしたい。

彼は三十三歳。

私などよりはるかに若く、しかもイケメンで、もと営業マンだったこともあってソフトな喋り方の好印象の青年である。ドライヤーなどのかけ方もまるで理容師していたんじゃないの?と言いたくなるほど上手である。

 

私などただガーガー熱風をかけているだけだけど、五十嵐氏は「湯上りでお暑いでしょうから、まず冷たい風からおかけしますねえ」などと細かい配慮をし、ブラシも巧みに使いながら髪を整えていく。いや、まったくかなわないなあと思う。

 

ところが、それがいけないと五十嵐氏は叱責されるのである。

ある非常勤女性に「そんなかけ方じゃダメよ、もっと熱風かけなきゃ」と言われたのである。五十嵐氏は「あ、そうですか、すみません」と謝っていたが、あとでお風呂の脱衣室で一段落した時に私に話しかけて来た。

 

「あの時、キレそうになりましたよ」と五十嵐氏は愚痴る。「あの人の言葉、あれはないですよねえ、ふざけるなですよ」と怒る。「要するに『もっと早くしろ!』って言ってる訳ですよね。でもあの時利用者さんがたてこんでいたのなら分かるけど一人しかいなかったんですよ。なのにどんなかけ方しようといいじゃないですかねえ」と更に愚痴る。

 

私は「丁寧に仕事をしている事が、ある面からはグズグズしているという評価になる事はよくある事だからねえ。気にしない方がいいよ」と答える。でも五十嵐氏はその事だけではないのだと愚痴は続く。

何だか女性たちの風当たりが強いのだと言う。利用者さんと会話をしたり将棋をさしたりしていると「一人に対する時間が長すぎる。たくさんの利用者さんを接待しているということを忘れないように」などと注意されたりする。

 

さっき洗濯した足拭きマットを干している時だって、まず一本のロープに何枚かけられるか二つ折りでざっとかけていたら、「それじゃ乾きがおそいでしょ」と女性に注意されてカチンときたと言う。

「二つ折りで干すわけないじゃないですか、ただバランスをみていただけなのにそんなこと言われて、あたま来ちゃいますよ。寺尾さんもこんな風に言われます?」と五十嵐氏は言う。

 



私も女性に注意はされるが、そういう雰囲気ではなかった。
もっとも私はニブイところがあるから感じるべきところを感じてないのかもしれないが、でも五十嵐氏にそれを言うわけにはいかないので「いや、私もグサッと来るようなこと言われますよ」と嘘をついた。

 

「何かヘンなんだな。最初はそんな感じじゃなかったのに、二週間くらい前からこんな感じなんですよ」と五十嵐氏は言う。

私はそれを聞いてピンと来るものがあった。二週間前と言えば、その頃五十嵐氏は「黒岩の仲間だ」と女性たちに「認定」されたのだった。


あの「七夕事件」の時でも添乗の一人だったのだが、黒岩氏に苦情を言った女性に言わせると「橘さんにはあれだけ酷い言い方してたくせに、五十嵐さんにはなあんにも言わないのよ。信じられない」と、まるで黒岩氏は五十嵐氏を贔屓している確信を益々得たかの如き言い方だったのである。

 

もしそのような気持ちの反映が女性たちの注意指導という行動に表れてきているのなら難しい問題である。もちろん意図的なものではないだろうが、定まった評価を基準に人の行動は規定されてしまうのだから無自覚なものが出るのは致し方ないと思う。

 

私は「気にしないほうがいいよ、仕事のマニュアルも教える人によってバラバラなんだから、Aさんの言われた通りにやってたらBさんに叱られるし、かといって教えた人の名前をだしたら気まずいことになるし、どうしろって言うんだってことが一杯ある。でもこういう指示系等に乱れのある職場というのはよくあることだよ、暫くは我慢するしかない」と言ったが、五十嵐氏は「いざとなったらケツまくるだけですよ」などとおだやかではない。



さてさて、どうなっていくのか。

 

 






13)ホステスの世界 に続く。

わしも介護をやってみた!(13)ホステスの世界。

 

七月十九日(月)

ケアセンターに勤めはじめて最初に感じたのは「これは、まるっきりホステスじゃないか」という事であった。

毎日毎日利用者さんを車でお迎えし、入浴、髭剃り、爪切り、昼食、話し相手、体操、レクリエーションなどのサービスを午後三時頃まで提供し、再び各家庭に車で送り届ける。その一連の接待の繰り返しは徹底した顧客の状況に対する気配りと、退屈させない効果的サービスである。

 

利用者さんの状態は千差万別であるが、それに対する配慮のトップは利用者の安全である。

フロアで椅子から突然立ち上がり転倒しないか、トイレまでの誘導は勿論、危険なく円滑に排尿排便が出来るか、尚且つパンツ紙おむつをちゃんと着用出来るか、食事の時に誤嚥しないか、むせこみはしないか等々、やることはたくさんあり、しかもひとり一人勘所が違っていて、その気配りの範囲は留まることを知らない。

 

しかし職員の態度は終始一貫にこやかで優しくフロアの雰囲気は限りなく楽しい会話と冗談の連続である。
ところが楽しい雰囲気の中で突然危険が発生するや、まるで大統領警護のシークレットサービスのように職員は利用者のもとへ駆けつける。
もし自分の近くで危険が発生していたのに遠くの職員が先に駆けつけたりすると、すみません気がつきませんでという心情になり至らなさを痛感する。

 

もうまるで酔客が煙草を出したら素早くライターを出すホステスの世界で、その早さを競っているような部分も無きにしも非ずである。

まして利用者さんへの接待はトークが中心であり、ホステスと同じく話題がどれ位豊富か、また利用者の心を如何に掴んでいるかということが問われてくる。

 

すると、これはまったくもって相手が酔客と老人の違いだけであって、仕事の内実は限りなくホステスに近いのではないか。私の場合は男なのでホストということになるのだろうが、この職場はホステスとホストがいり乱れて何処まで深い気くばりが出来るかということを競っている感じがする。

 

だから女性をはじめとする職員のにこやかな笑顔が怖い。

その笑顔の下のピリピリを感じ、突然女性職員に注意をされたりすると、綺麗な職員さんだなあなんて甘い気持ちが一遍に吹き飛んでしまう。

 

 









14)血尿 に続く。

わしも介護をやってみた!(14)血尿。

七月三十日(金)

そのお爺さんの血尿を最初に発見したのは私だった。

トイレ誘導をしてもなかなか応じてくれない利用者さんが多いのだが、その人もそういう一人で四苦八苦してトイレに連れて行き座らせた。出ないだろうなあと半ば諦めていたのに、意外にも座ってすぐちょろちょろと音が聞こえてホッとした。

 

「出たじゃないですかあ。良かったですねえ」と立たせて紙おむつをあげている途中で愕然とした。便器の中が真っ赤である。

 

看護師さんを呼んだ。

看護師さんも「こんな凄いの初めて」と驚きながら「○○さんは痛がってましたか?」と私に聞いた。

当然結石を疑ったのだろう。しかしまったく痛みはなさそうだった。普通にちょろちょろとされていたので、その余りの自然さと便器の中の異常さという落差に驚いている私である。

 



センターから家族に電話連絡をすると、元々以前から血尿はあったという話であった。

そして薬も服用中なのだが、なかなか合う薬がなく処方しては効果を確かめているという段階とのこと。

 

その二日後私は再びその人の血尿に遭遇する。

トイレではなかった。

お風呂で体を洗っている途中にその人はイスに座ったまま失禁したのである。赤い液体が私のかけるシャワーのお湯と共に排水溝に流れて行った。

 




さてそのことを糸口として別の話を始めたい。それが今回のテーマである。

 

翌日の仕事終了時におけるミーティングで黒岩氏がこういう発言をした。

ある利用者さんの尿が一度も出ず、紙おむつも濡らしていなかった、一日の水分摂取量も少なかった。一度医師に報告した方がよいかも、と。

排尿排便があったかなかったかという確認はこの仕事の大きなウエイトを占める。食事の摂取も含めて健康というもの、そしてその健康さがもたらす精神的安定は利用者さんにとって重要である。



黒岩氏の発言はいつも通りの発言であったが、私は血尿のことからある疑問を生じさせていたのでこういう事を言った。

「あまりこんな事を考えてはいけないのでしょうが、お風呂に入っている時に失禁をされている可能性はありますよね。そのことを抜きに一日に出た尿の量を考えるというのはちょっとまずいのではないかと思います。先日○○さんが血尿を出された時に感じたのは、血尿だから私は気付いたけど通常の尿だったら気付かなかったろうということでした。だから洗っている時ですらそうなのですから、浴槽に入られてからと言うのはまったくチェックのしようがないわけです。ですからそういう可能性も考慮した上で尿の回数や量というのを考えるべきではないでしょうか」

 

その発言にミーティングの議長をやっていた久保田さんは同意したが、黒岩氏は自信をもってこういった。

「失禁の可能性があるなしに関わらず尿がなかったと言っているんです」と。

 

私はお風呂でどれ位の量を失禁したか確認がとれないのに、一日中尿が出なかったという断定は出来ないのではないかと言っているのだが、にも関わらずそういうことを言う黒岩氏の自信はどこから来るのかと訝しく感じた。

 

ミーティングの時間は通常15分くらいしかなくもう予定の時刻をオーバーしていた。だから更なる発言は控えたが、妙に黒岩氏が「言い張った」という印象が私の中に残った。それが私の最初に感じた黒岩氏の「幼児性」ということになるのだろうかなどと思いながらその日のミーティングは終了したのである。

 

そしてその数日後のミーティングでは、やはり尿の問題が出て「失禁の可能性は?」と聞かれた黒岩氏はハッキリと「ありません」と答えたりしている。それはどうやって確認とれるの?などと私は思ってしまう。

やはり「幼児性」なのかな?

 

 

ちなみに血尿のお爺さんの原因は膀胱に腫瘍が出来ていることだそうである。高齢であることもあり手術は断念せざるを得ないとのこと。腫瘍が悪性なのか良性なのかは我々には知らされていない。かなり遅めの歩行もとうとう出来なくなり車椅子の現在である。トイレ誘導した時だけ立ってもらっている。

 

 









15)脱落 に続く。