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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田ファンの始まり(21)政治と大衆

「山田ファンの始まり(21)政治と大衆

 

 

「パンとあこがれ」(1969年TBS)は相馬綾と相馬竜蔵の一代記といった内容のテレビ小説です。

時代は太平洋戦争末期で、二人の息子、考次は大学に通っていますが、学校から非合法な政治活動をしているらしいと注意を受けています。政治活動と言っても使い走り程度で、ただ反抗的気分だけをやたらたぎらせているという孝次です。

 

綾(68)と竜蔵(73)は考次の考え方を理解しようとしますが、考次は親の理解など頭からあてにせず、叱るか許すか判断するまで家を出るなという綾の命令をはねつけて、飛び出して行きます。

それから数日して考次はカフェの女給を連れて、裏からこっそり自分の部屋に帰って来ます。物音で気づいた二人は部屋に行きます。

考次は、二人の来る足音に気付き女給を押し入れに隠します。

竜蔵は部屋に入るなり叱ります。

「俺はお前をぶん殴りたい。だがな、ぶん殴るまえにな、俺の気持ちを話す」
考次は平然と「いいです。ぶん殴ったって」と挑発します。
「考次」と綾はたしなめます。

竜蔵は言います。
「お前がただぐれているだけなら、ぶん殴るだけで俺は治す。しかし、お前には信じてるものがあるようだ。革命というものがな。・・お母さんほどじゃないが、2冊ばかり本を(考次の持っていた書物を)読んだ。大体お前の考えは理解したつもりだ」

孝次は冷笑し「なんでも理解できちゃうんですね。でも違いますよ。理解した気になっているだけです」と言います。
「それがどうしてわかる」
考次は「じゃあ、これが理解できますか?」と突然立ち上がり踊り出します。
「カッポレ、カッポレ甘茶でカッポレ」
愕然とする二人。
「それご覧なさい。なんでも理解できるというのは思い上がりです。」と勝ち誇る。

竜蔵はひるまず「お父さんの話を聞け!お前はな、自分の信じとる思想を正しいと思ってる」と言います。
「当たり前じゃありませんか」
「だからそれはいい。正しくないとは言わん。だがな、お父さんはこう思っている。自分のしとることが、ことによったら間違えているのかも知れないという反省のない思想は、思想ではなくて宗教だ」
「そんな考えで徹底した戦いは出来ません。相手は正しいかも知れないと思いながら革命が出来ると思いますか」
「なら、革命なんてしなきゃいい」
「日本はこのままではどうなると思いますか?」

竜蔵は考えて「わからん」と言います。
「なら説教なんてよせばいいんだ」
「革命というものは大きな犠牲を強いるものだということはよく分かっとるんだ」
「犠牲は覚悟の上です」
「お父さんはな、どんな思想でも、人を死に追いやってまで実現する値打ちはないと思うんだ、人間にとって大切なのは、人間であって思想ではない」
「生きてりゃいいってもんじゃないでしょう」
「むろんだ。しかしな、人を犠牲にしてまで自分の誇りを通そうとするのは間違いだ」

孝次は「議論しても無駄ですね」と見放します。
「何故そういう言い方をする」
「甘っちょろくて聞いちゃいられないからだよ」

綾が言います。
「孝次。あたしたちの考えが甘いなら、何処が甘いのかはっきりおっしゃい。まともに話し合おうともしないで、自分だけが正しいと思っているお前は甘くはないんですか」
「自分が正しいと思わなきゃ、なんにもできはしません」
「でもね、もしかしたら、相手の考えにも正しいことがあるんじゃないかと思わなくてもいいの?」
「正しいはずないじゃありませんか!」
「・・母さんはね、一度でいいから、お前が自分の考えを間違ってるんじゃないかって立ち止まってくれたらいいと思う。そうでないとお前が段々に残酷な人間になっていくような気がするの。それがお母さんには怖いの」
「反省なんかしてたら、たちまち押しつぶされてしまうんです」
「相手が人間らしくないから自分も人間らしくなくなるというなら、ただ犠牲が増えていくだけです。何が人間らしいのか、どうすることが人にとっても自分にとっても一番人間らしいことなのか、いつもその反省をすることが大切だと思うんだけど」
「こんなこと言ってる人間は、結局何もしないで押し流されてしまうんです。綺麗ごとじゃすまないんです。大した失敗もしない、酒も飲まない、浮気もしないお父さんと幸せに暮らしてきたお母さんには、現実が修身の教科書くらいにしか見えないんです」
「お前がそう言うのはよく分かるわ」

「あーあ、なんだってわかっちゃうんだ。でも本当はわかっちゃいないんだ。というのは言ったでしょ。いいですか?お父さんもお母さんもこの部屋にもう一人ひとがいるなんて想像もしないでしょ。」
「この部屋に?」
「息子が女を引き入れているなんて想像もしなかったでしょ」

愕然とする二人の前で押入れを開ける。女、顔を隠す。
「ごめんよ。出ておいでよ。つい、かっとしちゃったんだ、親父もおふくろもあんまり人がいいんでね」

「考次!」と怒る竜蔵。
「なんですか」
「お前と俺とは分かりあえん。出てけ!」
「そうくるだろうと思いましたよ。手に負えない者は追っ払えば思いがけない現実にぶつからずに済みますからね」
「人のことを言うのはよしなさい」と綾が叱ります。
カフェの女給が謝ります。
「奥様、私が悪いんです」
「よけいなこと言わなくていいんだ。どうして君が悪いんだ」と孝次は女給をかばい「さあ行こう」と部屋を出て行きます。
「さよなら母さん」

 

 

これは戦時中の共産主義との相克を描いていますが、発表された1969年は70年安保で騒然としていて、学生運動は世界的なムーブメントとなっていました。そういう政治の季節が反映されたシーンといえたでしょう。

 

 

 

山田ファンの始まり(22)70年代学園紛争」に続く。

 

 

2021.8.21

 

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山田ファンの始まり(22)70年代学園紛争

 

「山田ファンの始まり(2270年代学園紛争

 

 

 

 

 

70年代の学園紛争は、全ての体制に異議申し立てをしていました。大学の解体を叫び、大学教授などは「自己批判しろ!」と衆目を集める場に引きずり出され吊し上げられました。

「自己批判」という言葉はほとんど流行語のようになっており、学生運動に走った我が子と親の対決という局面はあちこちの家庭にありました。

 

 

ご存知のように学生運動はやがて鎮圧され敗れ去ります。

一部の人々は過激派となり潜伏しますが、警察に追い詰められ「浅間山荘事件」へと流れます。逮捕された過激派の自供から「連合赤軍リンチ殺人事件」という痛ましい事件が明るみに出ます。

 

革命のためのエネルギーは、ヒステリックな内部統制に向かい、同志を「自己批判」の名のもとに殺して行ったのです。

政治の季節だったので、一般社会でも理論闘争もどきの討論は頻繁に行われており、殺しはしないけど、こういうリンチまがい対決は結構ありました。こんな言い方はひどいと思われるかも知れませんが「流行り」だったんですね。

 

 

 

 

「パンとあこがれ」の台詞をもう一度書きます。

 

「お父さんはな、どんな思想でも、人を死に追いやってまで実現する値打ちはないと思うんだ、人間にとって大切なのは、人間であって思想ではない」

 

「・・母さんはね、一度でいいから、お前が自分の考えを間違ってるんじゃないかって立ち止まってくれたらいいと思う。そうでないとお前が段々に残酷な人間になっていくような気がするの。それがお母さんには怖いの」

 

「相手が人間らしくないから自分も人間らしくなくなるというなら、ただ犠牲が増えていくだけです。何が人間らしいのか、どうすることが人にとっても自分にとっても一番人間らしいことなのか、いつもその反省をすることが大切だと思うんだけど」

 

 

戦時中の話として書かれた台詞ですが、70年代に対しても書かれたものだと私は感じます。連合赤軍の行き詰まりを予見したかのような台詞です。

「左がかった」人々には反動と思われたでしょうが、これが当時の山田さんのスタンスでした。

 

いえ、そう言ってはいけないのかも知れません。

登場人物が言っているだけで、山田さんのスタンスは別だったのかも知れません。

 

国家に異を唱え、インドの革命家を匿い、関東大震災で朝鮮人虐殺に敢然と抵抗した綾と竜蔵だからこそ言える台詞として作られたのでしょう。

しかし、大学教授を引っ張り出して「自己批判しろ!」なんて言っている70年代学生に、とても違和感を感じたと山田さんは後年述懐しておられます。

いつの時代も、自分が正しいものを発見したと思いこんでいる人々というのは怖いものだと思います。

 

もともと政治的開放が人間の全的開放か?という問題はあったわけです。人間の中で政治的側面と言うのは重要だけど一部に過ぎないという考えはあったわけです。

なのに政治の時代では、政治的開放が全てだというニュアンスが濃厚に支配していました。

 

 

さて、私にとって大衆の代表は父と母でした。

70年安保に対しても特別主張せず、黙々と生きている父と母でした。

山田ドラマでは、庶民の暮らしを描くとき、必ずと言っていいほど戦争体験が出て来ましたが、私の父や母は戦争に対しても特別主張はしませんでした。

 

かろうじて米TV番組「コンバット」などを私たち子どもが見ようとすると「戦争じゃなかね!」と母は眉をひそめるなんてことがあるくらいでした。

 

世の中に向かって主張する、声をあげるという方法を持っていなかった。山田さんの小説「見えない暗闇」(1995)で、ただ事象を見詰めているだけの無言の民が大量に出て来ますが、そんな感じでした。

 

 

山田さんは、私の父や母をも視野に入れた庶民のドラマを描き続けます。政治の時代でも流されることなく書き続けます。テレビ界はこの人が単なる人情話を書いている作家ではないと気づきます。

家族崩壊を描いた作家山田太一は次のステージ、更に次のステージと家族問題をグレードアップして行きます。

 

前述したエッセイ「私にとってのテレビドラマ」で、ライターの心構えとして「あまりに鋭すぎる作家の眼が見た極北のなんとかとか」なんて言われるようになったらテレビライターはおしまいだと言っていたのに、自ずとそういう世界に足を踏み入れざるを得なくなります。

 

「沿線地図」(1979TBS)などの頃は家族を描く極北の作家という存在になっていたと思います。

私の父や母の入っていける庶民的世界ではもうありませんでした。もちろん面白い話でしたが、観念の針金細工のような世界だった。これはいた仕方ないことです。いつまでも無垢な大衆の相手ばかりしていられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンの始まり(23)ドラマを書く楽しさ」に続く。


2021.8.21

山田ファンの始まり(23)ドラマを書く楽しさ

 

「山田ファンの始まり(23ドラマを書く楽しさ

 

 

 

 

山田さんとの交流は結婚後変化しました。

山田さんは益々いそがしくなり、私の抱えるものも格段に増えました。

結婚後まもなく妻の父が心不全で亡くなるという不幸が訪れました。

九州での結婚式に参加した際、親戚一同寝台列車に乗り、賑やかな九州ツアーを楽しんだのですが、どうやら旅行中に血圧の薬を飲んでいなかったらしいということが分かりました。それが原因かどうかは今も不明ですが、思わぬ訃報となりました。

 

もう一つ不幸が訪れます。

私の母が、地下室への階段で足を踏み外し、真っ逆さまに落下しました。勤めていた病院の出来事でしたが、その時、頭をかばい腕を骨折しました。それだけでも十分不幸ですが、それは不幸の序章でした。

 

母の入院中に叔父(母の弟)が連帯保証人になって欲しいと申し込んで来ました。

友人と会社をおこすことにしたから、銀行から資金を借りなくてはならない、そのためには担保が必要だ、父と母が連帯保証人になってくれれば、家があるから、それを担保に金を借りることが出来るというのです。

 


会社の内容も分からず母は逡巡します。父も逡巡します。

その時入院騒動で夫婦の連絡がうまくとれていませんでした。そこに二人の間に勘違いが発生します。再三申し込んで来る弟の願いに「どうやら夫は許可したらしい」と母は思い、「どうやら妻は許したらしい」と父は思いました。

お互いに「許可してもいいと思ったらしい」と思い込んでしまったのです。何故そんなことになったのか、これまた謎ですが、混乱の中で二人は保証人のサインをしてしまいます。



 

それから一か月もしないうちに叔父の計画はとん挫します。

共同出資でという約束だった相手の男が裏切ったようでした。ほとんど詐欺のようでした。金は返って来ません。

叔父はヤクザに頼んで資金回収を画策します。しかし相手もヤクザを雇い攻防戦となり結局金は返って来ません。相手の方が何枚も上手のようでした。

 

父と母は、骨折であたふたしている間に連帯保証人として巨額の借金を抱えたのです。

「同じ家をもう一度買うことになった」と父は激怒しました。やっとローンを終えたところでした。尚且つ私たちの結婚式で大変な出費をしたところでした。どれほどの怒りだったことでしょう。

 

 

私たちも結婚式で、すっからかんになっていましたが、この事態に、貯金する金があったら援助しようと思い、少ないけれど月々送金することにしました。

一方で妻の方の法事が続きます。

結婚式は一回で済むけど、葬式の後は初七日、四十九日、一周忌、三回忌と次々と続きます。これは結構出費で、貧乏夫婦はへとへとになってしまいます。

そして、そんな時に子どもが生まれるのです。

これは久しぶりのお祝いごとで、みんな祝ってくれました。

山田さんも祝福してくれました。



 

当然と言えば当然ですが、私は抱えるものが格段に増えて山田さんとの付き合いも変化しました。独身時代の身軽さで、ご自宅に伺って夕食をご馳走になるなんてことはなくなりました。会うとしても何か山田イベントがあった時に出向いて、イベント後にほんの少し喋るという形になりました。あののんびり語りあえた至福の時間はもうなくなったのです。

 

のんびりとした時間とは、こんな感じでした。

「そこで、お爺さんが包丁を持ち出してくるんだよ、ふふ」とリビングのソファーに座った山田さんが笑いながら語ります。

「若者は布団に横になっててね、そこにお爺ちゃんが包丁を突き付けるんだよ。それで、お前出ててけって言うんだよ。お前がいると俺が首になっちまう、出てけっていうんだよ、ふふふ」

 

もし脚本をお持ちの方がいらしたら「上野駅周辺」(1978NHK)第6話を見て下さい。

お爺ちゃんとは藤原釜足、若者は水島涼太です。

 

不器用な若者水島涼太は東京での就職を失敗し続け、やっとのことで小料理屋の皿洗いの仕事を紹介してもらいます。

その職場の先輩が藤原釜足演ずる老人です。

愛想のいい藤原釜足ですが、夜になってみんなが寝しずまった頃、豹変します。水島涼太に包丁を突き付け「出て行け」というのです。

年寄りだってやっと仕事にありついているのに、若い奴が入ってくれば、そっちがいいと思うに決まっている、オレは首になる、だから出て行けと藤原釜足は脅すのです。世知辛い東京で、雇用問題に老人問題も絡めたシーンですが、それを、ちょっと喜劇的シーンとして展開する山田さん。

まるで悪戯を思いついた子どものように楽しそうに私に語られるのです。

 

「緑の夢を見ませんか」でも倍賞美津子と北村和夫が一夜を共にした翌朝の話を楽しそうに語ってくれました。

 

あのシーンは倍賞美津子が中年サラリーマン北村和夫に同情して、慰めてあげようという気持ちで寝てあげるんだけど、生真面目な北村和夫は、翌朝枕元にお金を置いていきます。それで倍賞美津子が寝ている間にそっとペンションを出て行ってしまう。

 

後で目が覚めた倍賞美津子は驚いて「私は売春婦じゃない!」と怒るわけです。せっかくいいことしたって気分でいたのに、台無しになったと怒るわけです。

そのシーンを山田さんはクスクス笑いながら「お金を置いてくんだよ、それで女が怒っちゃうわけ、私は売春婦じゃないって、ふふ」と楽しそうに語ってくれました。北村和夫と倍賞美津子がどんな芝居をするか、ありありと目に浮かぶようで、本当に楽しそうでした。

 

夕食後と言えば一日の執筆が終わって一息ついた時です。そういう開放感だったのでしょう山田さんのその姿は、ドラマを作るってことはとても楽しいことなんだと思わせてくれました。

でも、その後巨匠になってから、私はもう伺うことはなくなったから分からないけど、あんな楽しい感じで書いておられたのだろうかと思いました。内容がどんどんハードになって行きました。クスクス笑って語れるようなシーンは減っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山田ファンの始まり(24)歴史とは何か」に続く。

2021,11,3

山田ファンの始まり(24)歴史とは何か

 

「山田ファンの始まり(24歴史とは何か

 

 

 

 

話が前後しますが、1980年山田さんは大河ドラマ「獅子の時代」(NHK)を発表します。

大河ドラマと言うのは、役者だけではなく、脚本家にとっても檜舞台といえ、ライターとしてトップの座についた証と言えたでしょう。作家として大きく羽を広げるチャンスでした。

 

しかし大河のオファーがあった山田さんに、私はこんな変なことを言いました。

「山田さんが大河ドラマを書くなんてピンと来ません」

山田さんは「君と似たようなもの書いているからね」と苦笑しました。

 

当時私は大河ドラマが嫌いでした。

 

ドラマというのはある程度の単純化を前提とするものですが、大河ドラマの単純化が私にはどうしても気にいりませんでした。

 

英雄や大人物が歴史のポイントポイントで判断を下し、世の中が動いて行く。

政治の中枢は権謀術数で彩られており、清濁併せ呑むという器量が問われる。下層庶民はその流れの中で右往左往する存在でしかない。

それが気に入らなかった。

 

 

 

学園ドラマで、非行少年はドラマの対象となるし、優等生やスポーツマンもなる。しかし、その中間にいる普通で平凡な生徒、とりたてて何もない生徒は、取り上げられることはない。

だが、そこにドラマがないかというと、そんなことはない。生きることは思いがけないエピソードで彩られており、派手なエピソードばかりがドラマではない。

学園ドラマだけではなく一般のドラマもそういう狭さの中にいる。

 

大河ドラマのような切り取り方が、ドラマなのだという観念がドラマを狭くしている。実はとるに足りない人々、普通の人々の中にはドラマの鉱脈が山のようにあるし、歴史はそういう人々によっても裏打ちされてきた。

そう思っていました。

そして「王様が誰に殺されたなどという話より隣の肉屋はどうして奥さんと結婚したという話に興味がある」というチャイエフスキーの言葉に共感した山田さんも同じだと思っていました。だからこそピンと来なかったのです。

 

 




昔「ミステリーゾーン」だったか「アウターリミッツ」だったか、米TVドラマでこういう話がありました。

 

世界を核戦争で破滅させてしまう独裁者のいる未来から、タイムマシンで兵士がやって来ます。

兵士はやがて独裁者を生むことになる女性の結婚を阻止しようとします。兵士は核戦争で醜い容姿(ケロイド)になっており、女性はモンスターの出現に怯え、逃げ回ります。

それでも兵士はなんとか女性を説得し、結婚式場から連れ出し、タイムマシンに乗せて未来に向かいます。

 


異次元空間を移動中に、兵士はハッと気付きます。しまった、未来は変わったんだ。だから私は生まれていないんだ。そう言った瞬間に兵士は消えてしまいます。

タイムマシンの中には女性がひとり取り残され、いつまでも異次元空間をさまよい、泣き声だけが響いているというラストです。

 



これを友人に話したら、どうしてそんなことになるんだ?と聞いてきます。分からないと言います。未来が変わる、独裁者が生まれなくなるということは分かる。でもどうして一兵士までいなくなるんだ?と言うのです。

意外な問いでした。

 

そのことを、更に別の友人に話しました。「困った、どうしても分かってくれない奴がいるんだ」と。

すると友人はそのドラマを見ていて、「お前のような話し方をすれば、そりゃあ分かんなくなるよ」と言うのです。

「その兵士は独裁者の息子だったんだよ、だから消えたんだ」というのです。そんな経緯あったっけ?と思いました。私は納得がいきませんでした。

 

後日そのドラマを見る機会があり、確かめるとそんなエピソードはありませんでした。息子ではなく、一兵士に過ぎなかったのです。

 




ここで友人たちは、私とまったく違う歴史観を持っているのだと思いました。つまり考えが大河ドラマなんです。歴史は徳川家康や織田信長や豊臣秀吉が動かしていて、その他大勢は関係ないと思っているのです。

彼らの疑問は、言ってみれば、徳川家康が生まれないように細工したのに、何故下っ端の足軽まで消えてしまうんだという疑問でした。

それはそうだと思われる方も一杯いらっしゃるでしょう。

家康がいなくなれば家康の血筋のみが影響を受けるだけだと思う方はたくさんいらっしゃるでしょう。

しかし歴史とはそういうものでしょうか。現実とはそういうものでしょうか。

 




「パンとあこがれ」(1969TBS)に、相馬綾のこういう台詞があります。

 

「どうして人の命が一人のものだと言えるだろう。兄の声、母の働く姿、そのひとつひとつが私の生きる支えになっていないとどうして言えるだろう。そしてとりわけあの機の音。あの機の音が私の生きる支えになっていないとどうして言えるだろう。そのすべてのことが今の私を作った。自分はひとりぽっちだとか、自分は人にとっていないも同然だとかいう考えを私は憎みます。帰ってくる哲夫に見せたいのは、諦めた私達ではないはずです。74歳と69歳の老人がそれでも尚あこがれを持ったという姿を刻みたいのです」

 




私たちは生きている限り、互いに影響を与え合っている。それは親兄弟だけではない。

自分の波紋と他者の波紋が複合し、更なる波紋が発生するダイナミズムの中にいる。

歴史的にキーポイントとなる偉人の判断も、そこにいたるまでには無数の名もなき先人の影響の果てにある。
誰一人欠けても私たちが知っている歴史にはならない。
血筋だけの問題ではない。
徳川家康が生まれなくても足軽はいるかもしれないが、それはパラレルワールドであり、私たちの歴史の足軽ではない。
徳川家康が「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」という境地になるまでには先人や周りの人々の影響が多々あったはずです。それは英雄伝説には出て来ない無数の人々の何百年にわたる習性の影響だったかもしれない。

 

言ってみれば壮大なドミノ倒しのようなもので、どのピースが抜けてもドミノ倒しは達成されない。
徳川家康や毛沢東やナポレオンというピースだけで歴史が構成されているわけではない。名前すら定かでない無数の人々があってこそドミノ倒しは完成する。
どんなに無名の人も、波紋というか、波動を発して生きており、それは影響を与え合い、波動の集積が世界というものになっていく。
だから核戦争を起こす独裁者の誕生を阻止したら一兵士も消えてしまうのです。

 

 

山田ファンの始まり(25)大河ドラマが歴史か?」に続く。



2021,11,3

山田ファンの始まり(25)大河ドラマが歴史か?

「山田ファンの始まり(25大河ドラマが歴史か?

 

 

 

 

「獅子の時代」における山田さんの目論見はこうだったと思います。

隣の肉屋の話も描くが王様が殺される世界も描く。

それが明治の政権の中枢にいる藩士(加藤剛=王様が殺される世界)と下級藩士(菅原文太=隣の肉屋の世界)の対比になったのだと思います。

 

明治維新の時代を丸ごと描き出そうする「獅子の時代」でしたが、その野心とは別個にこういう関心が私にはありました。





 

大河ドラマ的切り取りの世界に私たちはいないということ。

波動を発しながら生きている一人一人は、すべて主人公として生きている。脇役として生きている者は一人としていない。

世界人口787500万人全部が主人公という事実。

 


山田さんに出会った頃私は「自分を世界から見るってことが必要です」と言いました。自分の卑小さに思いわずらっていたからの言葉でした。

すると山田さんは「世界から見たら、みんなゴミみたいなもんじゃないの。ぼくも君も」と言いました。

その通りです。だからこそ「僕を重んぜよ」という、詩人の言葉を山田さんはよく引用されたのでしょう。地球にしがみついて生きている人間。明日をも知れぬ私たち。

 

 

星占いに一喜一憂する人々に寺山修司はこう言いました。

はるか彼方の天体と自己との間に一対一対応を求めるナルシズム。

 

山田さんは星占いについてこう言いました。

合理主義に支配された日常に、ほんの少し別の視点を与えてくれるもの。

 


山田さんは寺山修司と違って、ちょっと優しい言葉をかけていますが、寺山修司より冷たい言葉だと私には思えます。

寺山修司はナルシズムと突き放しているけど、山田さんは神秘主義にも合理主義にも肩入れせず、それでいて突き放しもしない。中間の立場です。

優しいといえば、優しいかも知れないけど、山田さんの優しさは恐ろしい冷たさに裏打ちされた優しさと思えます。

 


私自身は神様を信ずる人間ではなく、ある程度科学のなしえた解釈を信じています。

138億年前にビッグバンがおき、一瞬で宇宙に元素が出来たということ。水素が生まれ、ダークマターが引き寄せ、星が生まれたということ。

膨張する宇宙の中で恒星が作られ惑星が作られ、無数の銀河が発生してきたということ。

アフリカで500万年前に人類が発生し、世界に散らばっていったということ。

そんなことを信じています。

 

その人間が、光のスピードでも何百年もかかる距離の星々に、個人的関係を求めているというのはナルシズムと言ってもいいことではないかと思います。

運命も、因果律も、神も、生まれ変わりも、宇宙の意志は私たちを見ているという考えも、人間のナルシズムなのかもしれません。
そういうフィクション抜きに現実を受け止められるほど人間は強くないということなのかも知れません。

 

アウシュビッツでガス室に送られるユダヤ人が、善き行いを神はきっと見ていて、救済してくださるとか、中近東で声もなく虐殺される母子が努力は報われるなどと思っていたら、胸が痛みますが、それでも人はゴミのような人生をナルシズムで彩ることしか出来ないのかもしれません。

 


山田さんの冷たさは、このことを見据えた故のように思えます。

「人間に愛なんてないんだ!エゴなんだ!」と叫ぶ人は多いけど、そんな時でも「愛はないなんて言っちゃうと、ちょっと淋しいよね」というのが、山田さんのスタンスでした。本質はそうかも知れない、愛はないかも知れないけど、それでも人間は生きていくしかないじゃないかというスタンスが山田さんでした。


人間は可哀想な生き物。

だからこそ、なのです。
そこに山田さんがフイクションを語る根拠があるのではないでしょうか。
いえ、山田さんの冷たさと言いましたが、正確には冷静だということです。恐ろしく冷静だということです。冷静さに裏打ちされた土壌に、温もりあるフィクションを山田さんは紡いできたのだと思います。

 

 

人間は原子から出来ており、原子は原子核と電子から出来ており、原子核は陽子と中性子から出来ており、更にそれらは素粒子で出来ている。

人間の遺伝子は発生以来のDNAを脈々と受け継いでおり、787500万人がDNAの伝達者として生存している。

それが個人です。偉大と言えば偉大、ゴミと言えばゴミです。

 

ドラマはそういう個人を反映させなくてはならないと思っています。たかだか数百年のスパンで目立った人間だけに価値があるわけじゃない。

私は大河ドラマ的切り取りに文句をつけていますが、しかし結局ドラマは切り取らないと表現できないということは分かっています。

市井の人々を中心にして、英雄偉人を背景として扱っても、主役と脇役は存在する。それがドラマというものです。

いちどきに人類全員を平等に描写することは不可能です。

つまり、作品ごとに、こんな人もいるよ、こんな人もいるよ、という表現の繰り返しなんだと思います。

その項目が豊富なほどドラマはゆたかだと言えるのだろうと思います。

 

「獅子の時代」(NHK)はその手探りだったと思います。

隣の肉屋の話も描くが王様が殺される世界も描く。

 

「想い出づくり」(TBS1981年)は1人の主人公ではなく、3人の女性(田中裕子、森昌子、古手川裕子)それぞれが主人公であるように作られた。

「真夜中の匂い」(フジテレビ1984年)(紺野美沙子、中村久美、岩崎良美)も続いた。

それは、やがて「ふぞろいの林檎たち」シリーズ(TBS1983年~1997年)(中井貴一 、時任三郎 、柳沢慎吾、 手塚聡美 、石原真理子 、中島唱子 高橋ひとみ 、国広富之.)へと発展した。

 

山田さんは「こういう人もいるよ」という世界を、次々と発表していきます。

「早春スケッチブック」、「シャツの店」、「ながらえば」「今朝の秋」(などの笠智衆三部作)、「春の一族」(などの一族シリーズ)、「飛ぶ夢をしばらく見ない」(などのファンタジー小説三部作)、「丘の上の向日葵」、「ありふれた奇跡」、「空也上人がいた」、3.11を扱ったSPドラマ「時は立ちどまらない」「五年目のひとり」・・数えきれない作品群です。

 

 

 

 

山田ファンの始まり(26)飛ぶ夢をしばらく見ない」に続く。



2021,11,3