山田ファンの始まり(16)結婚式
「山田ファンの始まり(16)結婚式」
山田さんが家庭崩壊劇で注目されているころ、無謀にも私は結婚しようかと思っていました。家庭のダイナミズムを味わってみようと思っていたのです。
いえ、相手は最初にお話した心理学専攻の女子大生ではありません。
二人で「自分が生まれて来て良かったと思えないうちは、子どもなんて産めない」なんて言ってたらお話になりません。むしろそういう観念性からは遠く離れた女性を選びました。
山田さんも喜んでくれました。
選んだ女性は早速とんでもないことを言いました。
「山田さんに仲人をお願いしようよ」
私には考えられない提案でした。
この人は山田さんがどれくらい忙しい人かなんてわかっていないのです。なんだか有名な人くらいの認識しかないのです。
ところが山田さんは「雇われ仲人でいいんだよね」と具体的な返事をします。
「雇われ仲人」ってなんだ?と思われるかも知れませんが、本格的に両家への挨拶、結納、仲立ちを行うのではなく、ほとんど結婚式のみに立ち会うという意味で、山田さんはそれならばと言われたわけです。
もう家庭のダイナミズムどころではない、結婚だけでとんでもないことになりました。
しかも私は九州で結婚式を挙げようとしていたので、忙しい人にご足労ねがうことになるのです。
式に参列する親戚知人は、山田太一って何やってる人?え?シナリオライター?何それ?と、分かる人は少なく、倉本聰の定番ネタで、「昔シナリオライターやってますなんて言ったら、どんなライター売ってるんだ?と言われたもんです」というのがありますが、そんな状態でした。
私の両親は、さすがに私からいろいろ聞いて、それなりに山田情報は入っていました。
何より私が山田太一と言う名前を意識する前から「記念樹」だの「3人家族」だの「女と刀」だのを観ることが出来たのは、両親がテレビのチャンネルを「木下恵介劇場」に合わせてくれていたおかげです。
たくさんの作品の中でどれが山田ドラマかということは分かっていなかったと思いますが、ドラマの雰囲気は分かっていたと思います。素養は十分にあったのです。でも、それはあくまでも石井ふく子の「東芝日曜劇場」を楽しむように「木下恵介劇場」も楽しんだということに過ぎませんでした。
戦時中、山田さんのお父さんが湯河原に別荘を持っていたことは山田ファンならご存知でしょう。
その話を聞いて母は、「ほら、別荘ば持っとらすとよ。金持ちやもん。私らとは身分が違うとよ。それでなきゃ、テレビに名前が出る人にはなれん」と言いました。
山田さんのエッセイでは、別荘と言っても、ミカン畑の中にあった小屋のようなもので、疎開した時に、とりあえずそこに住んだという話だったのに、別荘という言葉だけに反応して、貧乏人とは違う人なんだと言ったのです。
まあ、小屋という表現も山田さんの謙遜だったでしょうし、裸一貫から中華料理店を成功させたお父さんが、別宅を持つというのは、時代の貧しさを被っていたにせよ、確かにお金持ちと言えたでしょう。
山田さんがテレビの仕事が出来るのも、金持ちの特権階級だから出来る、才能の問題も、金持ちの血筋だから備わったのだと両親は思ったのです。
その山田さんが、結婚式前日に私達と両親を「お食事に招待したい」と言われました。
両親は「そんな偉か人と、お食事なんて、とんでもない」と震え上がります。
見たこともない高級レストランでナイフとフォークがずらりと並んだ光景を想像したのかも知れません。失礼なことをしてしまうかも知れないと思ったのかも知れません。
山田さんご夫妻を九州に招くにあたり、当然のことですが、飛行機もホテルも全部こちらで準備しました。貧乏人の必死の頑張りでした。
山田さんは、そんな私たちに、散財させて申し訳ないと思われたのかも知れません。また仲人としての事前打ち合わせという思惑もあったと思います。
しかし両親はそんなことを考えるところまでには至らず、怯えの中に埋もれてしまったのです。
私たちは食事に行きましたが、結局両親は行きませんでした。
ナイフとフォークが並んでいるようなレストランではなく、河豚の高級割烹でした。でもそんなことは行ってみなければわかりません。私たちが河豚のコースを楽しんでいる頃、両親は残り物とお茶漬けで済ましたようでした。
山田太一というのは両親にとって畏怖すべきものでした。「お前は分不相応の人間とつきあっているのだ」と私に対して思っていました。
以前、田宮二郎さんが、山田さんのお宅を訪問し、いろいろと相談をしていたことが週刊誌で話題になったことがありました(田宮さんが自殺した頃だったと思います)。
その時、山田さんが役者はもちろん、スタッフすら家庭に招くことはなかったので珍しいことだったと書かれていました。
山田さんは滅多に他人を招かない人なんだと、その時初めて知りました。
そうすると私は何なんだ?と思いました。私は親戚でもないのに山田家の幼いお子さんや夕餉の風景を体験している珍しい存在のようでした。
確かに私と山田さんは謎の関係だったのです。
山田ファンの始まり(17)「なんの利害もない関係」に続く。
2021.7.9