[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
劇団民藝公演
作 山田太一
原案 中村登美枝
演出 高橋清祐
ある日75歳の女性に電話がかかってきてこう言います。
「もしもし、久美子ちゃん?久美子ちゃんだね?」
男の声でした。それも年寄りの。
ビックリして女性は電話を切ってしまいます。
それはそうです。
女性の名前は「久美子」ではありません。
「久美」なのです。
いえ「久美」として生きて来たと言うべきかもしれません。
本当の名前は「久美子」でした。
過去を忘れる為にその名前は捨てていたのです。
忌まわしい過去を忘れて、女性は「久美」として昭和を平成をここまで生きて来たのです。
年寄りの声はその忌まわしい過去を平成の現在に噴出させるものでした。
それは忌まわしいだけではなく、皮肉なことにその対極に位置する甘く切ない想い出でもあったのです。
いえ、甘く切ない悲恋の想い出だからこそ忌まわしいことだったのです。
自分を「久美子」と呼ぶ人間がいる。自分を「久美子」と知っている者がいる。しかも老齢の男性が。
それは男女が外で手をつなぐことさえ憚られた時代の、久美子の核心をなす恋物語の相手ということを意味していました。
坂崎真吾。
分隊の少尉坂崎真吾。
大東亜戦争の最中、現在の北朝鮮に位置する場所で芽生えた恋。
久美子十七歳。
明日をも知れぬ命の中で誓った結婚の約束。
絶対生きて日本に帰ろう、そして結婚しようと抱きしめあった日。
あれから58年。
突然の電話にこみあげて来るものがない訳はありません。
電話は再びかかってきます。
真吾は「一度だけ会わないか」と言います。一度だけというところに真吾の気持ちが読み取れます。
老い先短いお互い同志、そのような気持ちになるのは理解出来ます。
しかし久美子は「想い出の姿のままでいい」と会うことを拒みます。
それはこんなお婆ちゃんになった姿を見たら幻滅という意味以上に久美子にとってつらく苦しい体験が恋の想い出に溶け込んでいたからです。
でも意思に反して思い出はどんどん久美子の中に蘇って来ます。
あの終戦を迎えた日。
日本が負けた日。
突然現地人による日本人への報復が始まった日。
思い出したくない思い出が溢れて来ます。
電話を契機として、久美子の夫も家族も秘められた過去に関心を持ちます。
大陸から引き上げて来たことそのものを隠蔽して来た久美子。
佐世保で終戦を迎えたと嘘をついてきた久美子。
戦争体験を語ろうなどという動きがあり、幾度か要請もあったのですがどうしても乗り気になれない久美子がいました。
語ったところで伝わるものではないという深い断念と、思い出したくないという気持ちがありました。
しかしその電話があってから、現在という平和で豊かな時代の家庭に「久美子の戦争」が語られ始めます。
夫は自分と出会う前にそんな強い絆のあった男性がいたのかという複雑な胸中で聞くことになります。
大陸で敗戦を迎え、現地民の敵意に包囲される中、久美子たちは廃墟となった学校で雨露をしのぐ日々。
そこへソ連軍が来ます。
久美子は目撃します。
幾人かの日本人が殺され、略奪され、女性が強姦された姿を。
翌日強姦された女性は自殺しています。
虐殺という不運こそ逃れられたものの、生き残った人々には食べ物もなく寒波とソ連兵の暴行に怯える日々でした。日本に帰りたいのですがあらゆる敵意に包囲されており鉄道に乗ることもできませんでした。
ある時困り果てた人々は大胆なことを考えます。駐留しているソ連軍に窮状を訴え交渉しようというのです。
ソ連軍は交渉に応じ兵隊達の取り締まりと幾度かのジャガイモの供給はしようと約束します。
しかしその交換条件として、女性を斡旋して欲しいと言われます。
そちらの不自由を解消してあげるのだからこちらの不自由も解消して欲しいというのです。
久美子は選ばれませんでしたが何人かの女性が「お相手」をしに行きます。
そうやって手に入れたわずかなジャガイモ。
どうして男は女を欲しがるのか。
女の気持ちを無視して。
「男は世界中何処でも一緒!!」と久美子を嘆かせた男の欲望。
その欲望を引き受けた女性のお陰でやっと手に入れたジャガイモ。
久美子の父がジャガイモを「お相手」をしに行った女性の家族には多めに分けようとすると、何故公平じゃないんだと文句が出ます。
自分を犠牲にする人もいれば、自分たちのことだけを考える人もいる。
久美子は人間の「底辺」を見ます。
そして「あの夜」が来ます。
久美子は学校の廊下でソ連兵に襲われます。
すぐに父が飛び出して来ますが撃ち殺されます。
次に母が飛び出して来ますが同じく撃ち殺されます。
一瞬のことです。
久美子はあらん限りの声をはり上げ泣き叫び抵抗します。
その抵抗が激しかった故か意外にもソ連兵は諦めます。
レイプされそうになった時もソ連兵が立ち去った後も、誰も廊下には現れませんでした。
あれだけ大声で助けを求めていたのにみんな怯えて出て来ないのです。ただ弟だけが飛び出して来ていました。
父と母を殺され日本人の仲間にも失望し、すべてに冷えた気持ちしか持てなくなった久美子と弟はそこを出ようと決心します。
歩いて南下し、38度線まで行けばそこは米国統治だからなんとかなるのではないかと思うのです。
歩いている途中で幾人かの子供たちが合流して来ます。みんな親を失くした子供たちでした。幼い者はまだ4歳でした。
その集団は東京から浜松までの距離に相当する道のりを歩き続けます。食べ物もなく、川の水をすすり、日本人の大人に見放され、虐殺にレイプに怯えながら懸命に歩き続けます。
そしてやっと辿り着き米軍保護下におかれ、パンとスープと豆のみという貧しい食事だったのですが今でも「あんなに美味しいものがあるのかと思うほど美味しかった」と述懐する食事を提供されます。
やっと日本に帰れるのだとホッとして眠った翌朝、弟が死んでしまいます。
子供たちばかりの集団の中で統率をとらねばならず、久美子は身内の弟に少し厳しくしすぎていたのかも知れないという悔恨の思いの中で弟の死を受け入れます。
久美子に、肩を思い切り寄りかからせ死んでいた弟。
「ホッとしたのねえ、可愛い顔をして、たくさんの我慢をして死んだのね。痛さも、だるさも、淋しさも」と久美子は涙を流します。
幾多の悲劇、苦労の果てに久美子は日本に辿り着きます。
人の「底辺」を見た久美子は笑うことを忘れ、冷え切った思いで生きていきます。
でも悲しみの果てにもたった一つ希望がありました。
坂崎真吾。
結婚の誓いをした人。
どんなことがあっても必ず生きて日本に帰れよと言ってくれた人。
真吾が引き上げて来るのを待つ日々。シベリアに抑留されているのは分かっていました。
しかし1年、2年、3年と待ち続けますが真吾は引き上げて来ません。
そして4年、5年、6と年待ちます。
7年待ち、その年、久美子は現在の夫と結婚します。
久美子の新しい生活はスタートしてしまったのです。
8年、9年、10年、更に歳月は流れ、昭和31年最後の引き上げ者名簿に久美子は真吾の名前を発見します。
「ご苦労さまです」
と頭を下げる言葉しか久美子にはありません。既に結婚をし一児の母となった久美子はとても会えないと思います。
だが、真吾と偶然一度だけ再会をします。慎吾は久美子を探していたのです。
久美子は買物帰りの姿で再会します。
「ごめんなさい」と泣いて謝る久美子に真吾は誰だって死んでしまったと思うよねと優しく許してくれます。
久美子は例え一度だけでもと、真吾に身を預けようとしますが真吾はそんなことしちゃいけないと拒否します。
僕のことなんか忘れて幸せにならなきゃいけない。僕もいい人を探すよ。お互いに幸せな家庭を作ろう。たくさんの人が死んだんだ、生き残った人が生きていることを後悔するようなことがあっちゃいけない。ここで会ったことは二人だけの秘密だ。いいね。
そうやって別れた二人でした。
そして幾星霜。
何もかもが風化していく時代にそのような久美子の体験はどのようなものとして家族に伝わったのでしょう。
孫娘は映画みたいだねと言い、親にたしなめられました。
テレビからは「モーニング娘。」が元気な声を出し、久美子たちもそのような極限体験とは無縁となった現在。
真吾もすっかりお爺さんとなり、つれあいに先立たれ、嫁に行った娘に細々とやもめ生活のいたらなさを言われる日々。
来てくれた若い男性ホームヘルパーに「ゆっくり休んでなよ。ここでは働かなくていいよ」と昼寝を促すようなとぼけたお爺さんとして生きる日々。
戦争という、どんな平凡な人々にも極限体験をさせた時代は遠い昔。
しかしそのような体験を聞いた久美子の夫はその人に会わなきゃいけないと言います。
戦争をくぐり抜けここまで生きて来たんだ、会わなきゃいけないと言います。
真吾の家族、久美子の家族、思いは様々ですが、ホームヘルパーの若い男性の「お節介」もあって二人は会うことになります。
しかしちっともロマンチックではありません。
何故か二人きりではなく、お互いの家族を交えてのことになっています。
それぞれの身内がそれぞれのスタンスで二人のことを考えていました。
例えば真吾の娘は深いところで真吾に憎しみを持っています。
結局結婚をしても心の中に一人の女性を棲まわせ、母を哀しませた真吾という父を。
歳月は簡単に人を切り替えさせてはくれない。
人間は簡単ではない。
真吾と久美子。
年老いた二人はそうやってこの時代まで生きてきた。そして様々な逡巡の果てに真吾の家で会うことになった。
昔の映画などの懐かしい話で盛り上がりますが、さして深い会話はありません。平和な時代の会話があるのみです。
おまけに真吾は前日からギックリ腰でちゃんと座るのもおぼつかない滑稽な姿。
戦時下における若い軍人と娘の恋などという、ある意味では格好よいと思えるスノビズムの部分も今は昔という有様。
極限の時代、底辺を舐めさせた時代、二人の熱き時代は過去のこと。
まるで親戚の集まりごとのように会話は進みお別れの時が来ます。
「またこれから時折り会いましょうよ」と久美子の夫は言いますが真吾は「もう二度と会うことはありません」と言います。
そう。
簡単に会える二人ではない。
ああ、たくさん喋ったのにちっとも喋った気がしないという真吾の気持ちの中で一同立ち上がります。
「よく生きてここまで来たねえ」というお互いの感慨があるだけです。
型どおりの挨拶をし58年振りの再会は終了となります。
ギックリ腰だから立ち上がらなくてもいいというみんなの気遣いの中で真吾は立ち上がり、
「さようなら」
「さようなら」
と挨拶を交します。
久美子は深く頭を下げ夫と玄関に向かいます。
その別れに耐えられないかのように、突然真吾が素っ頓狂な声で「久美さん!」と叫びます。
娘が久美子が夫が突然の大声に驚きます。
娘が「どうしたのお父さん?」と叫びます。大丈夫?という一同の視線。
真吾は今にも倒れそうによろけながら「久美子さん!!」と言い直し、更に言葉を重ねます。
まったく意外な言葉を。
「アイ・ラブ・ユー」
まったく爺さんにそぐわない言葉。
愕然とする一同の中で、真吾の娘が叫びます。
「なんてこと言うのお父さん!!よその奥さんに!!」
しかし真吾はもう一度絞るように言います。
「アイ・ラブ・ユー」
言われた久美子は声にならぬ声をあげます。
真吾は低く静にかすれるように「アイ・ラブ・ユー」とまた言います。
真吾の娘は父に驚愕し「お父さん!!」と叱責しながらも感ずるものがあります。
アイ・ラブ・ユー。
まったく似合わない言葉にこめた想い。娘は真吾の胸に顔を埋め泣きます。
久美子も立っていられないほどの気持ちの中で夫の胸にすがりつきます。
一同の驚きと戸惑い。
部屋の右と左で抱き合って泣く二組の男女。
二人が出会うために仲介役をやったホームヘルパーの若い男性が目を白黒させ、この成り行きに「こんな・・こんなのどうしたらいいんです?」と観客に聞いてしまいます。
その戸惑いと哀しさと滑稽さに観客は笑い、涙し・・・・・幕がおります。
―終-
2022.4.20