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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

山田太一2013年講演

「脚本・台本とは―」山田太一2013214日講演

 

「脚本アーカイブス・シンポジウム」

脚本アーカイブスは「誰のため」「何のため」?

―『記録』を『記憶』し、構想する

文部科学省3階講堂

          
     


             








本の魅力はみんな知っている。死んだ人(本を書いた人)の知恵というものはありがたい。そういう蓄積を踏み台にして私たちは生きている。

 

ところがテレビ。

それを残すという発想が私も含めてなかった。

とにかく同時刻に全国に伝わっていることだけでも驚きだった。

遺すなんてことは考えていなかった。ビデオテープが高価で貴重で、使いまわすことしかできず、そのことも遺さないと言うことを助長した。

 

ある時テレビのカラー化が始まり、テレビ局から、白黒ドラマの再放送機会はないので「消します」と連絡が来た。そのとき脚本が欲しければあげますと言われた。

 

 

 

フィルムで撮影したドラマは残っているが、ビデオテープで撮ったドラマは30年分くらいごそっと無くなっている。

それは文化的には珍しいことである。

 

 

そこで市川森一氏らが動いた。映像が残っていなければ脚本はどうか。

でも、脚本を集めると言ったって何処に置くんだということになった。

現在、集まった半分は国会図書館に所蔵することになり、あと半分もなんとか目処がつきはじめたところ。

 

テクノロジーの問題で遺せなかった映像が、80年代からは不完全だけど残り始めた。遺そうと言う機運が出てきた。

でも連続ドラマ全話を遺すわけではなく、「1回目を遺しますか、最終回を遺しますか?」という選択肢だった。それは切ない。

 

脚本アーカイブスと言っても、各スタッフの総合的な力で作られるテレビ作品の中で脚本だけを特化して遺そうということではない。

 

 

先日「マダムと女房」(昭和6年)が放送された。日本初の本格的トーキー映画で、外国だとトーキーを生かしたミュージカルなんてのを作るのに、そうじゃない普通のホームドラマを作ったところがいい。

勿論ギャグもテンポも古いのだけど、それはこの映画を踏み台にして更に新しいものが出てきており、それに我々が慣れているからである。

 

この中で、トーキーを生かした、ちょっと過剰なほど音声を生かした、現在ではまったく想像のつかないシーンがある。

 

天井をネズミが走り回って眠れないというシーンで、これは当時よくあったこと。そういう生活だった。

そういうところが、今見ると、とても面白い。

 

 

だから遺すと言っても、遺そうとした時の価値観で遺したら問題がある。何が後世になると貴重になるか分からない。

 

 

「マダムと女房」が作られて80年以上ですか、大分経ちますが、結構今と変わらない感じがします。でも、この長い時間には戦争を経験しています。それは考えなければならない。

 

 

 

スタジオジブリが「熱風」という小冊子を出していて落合博満監督の連載がある。

これがいい文章で、元スポーツマンの余技ではない。

 

選手、監督として数々の功績を残した落合氏は、特に監督になってからの斬新なやり方を実践したと評される自分のことをこう言っている。

今の人達は1から作ろうとしている。過去を見ないでいる。私は、過去やった人の中から、自分に合うものをやっているだけだと。

 

 

勿論ただ過去にあったものを単純に持ち出しているだけではなく、そのチョイスであったり、再構成といったものが必要でしょうが、過去にいろんなものを生み出してくれた先人がいたからこそ私たちは新しくなれるということを言っておられる。だから、その財産を楽に参照できるシステムを作る必要がある。

やはり先人が何をしたかということを知らずしては何もできないと思う。

 

 

米のテレビ脚本家バディチャイエフスキーの脚本集の序文に、王様の苦悩を描くのではなく、隣の肉屋さんはどうしてあの奥さんと結婚したんだろうということを描くのがテレビ向きだと書いている。

私はこの言葉に大いに感銘し影響を受けた。

 

 

チャイエフスキーに会いたかったけど、英語が出来ないので脚本集の翻訳者江上照彦氏に会った。

その頃、江上照彦氏はテレビ脚本家から大学教授になっていた。

新橋のガード下のような飲み屋で「何故やめたんですか?」と聞いたら、私の背中をパン!と叩き「虚しさだよ、虚しさ!」と更にパンパン叩いた。

再放送も何もない。何もかも一瞬にして消えていく虚しさ。江上氏はそう嘆いた。

 

 

連続ドラマなどのテレビの脚本は膨大な量で、自宅に置く場所がなくて、捨てたものも私にはあります。

 

所有そのものを問題視する無頼派作家が戦後流行りました。

極力家財道具を持たず、着の身着のままで生きる姿に若い人の人気が集まりました。

 

その無頼派坂口安吾が、過去なんてなんだ、法隆寺なんか燃やしていいんだなんて言っていましたが、それはギリギリに生きていたからそんなこと言えたのであって、食うだけで大変だからそう言えたのであって、でも、そうじゃなくなれば話も変ってくる。

 

EM・フォースターが、人間はしょっちゅう戦争をしているけど、時々ポッカリとそうじゃない時がある。そういう時に文化が意味をなす。と言っている。

こんなこと言っちゃいけないけど、ルノワールなんて、社会性のないのん気な絵を描いている。それは戦争がないからこそできたものなのかも知れない。それは大事にすべきこと。

 

そういう中で脚本アーカイブスは意味があると思っています。

 

            ―終―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この講演の後、いろんなパネリストから意見が出ました。

 

中でも一時的固定という問題が指摘されました。

初期のテレビドラマというものは一時的固定(一次的に固定したものは、政令で定める公的な記録保存所で保存を行う場合を除き、6ヶ月を超えて保存することはできません)という条件で作られており、ビデオテープが高価だという理由もあったけど一時的固定の問題でビデオを消さざるを得なかったという事情もあったということです。

 

 

 

TBSのディレクターから映画監督になった実相寺昭雄は、テレビの自分のデビュー作から全部フィルムにうつして遺した。キネコという手法です。

それをやるにはとても経費がかかった。それを実相寺はどうやってやったのか。

嘘の伝票を会社に書いた。

「地方局に配布するため」と書き、自分の全作品を保存した。

これが著作権法上どうなるのか分かりませんが、やがてこの全作品の公開を実相時は行った。そういう人もいる。遺すということを考えていた。

 

 

脚本がない形で始まるドラマがある。シチュエーションだけが決まっていて、現場のスタッフや役者にまかされる形で進む。

最後にドラマができて、採録台本が出来る。

そういう問題はどうなるのか。

 

一口に脚本と言っても、第一稿、第二稿、決定稿、撮影台本とある。

一体どれを脚本とするのか。研究という意味なら全てをそろえないとプロセスが分からない。

 

また今回のシンポジウムの主旨ではないが、ディレクターの著作権というのはまだ取り上げられていない。

 

 

法的な整備やシステムの構築、たくさんの問題がある中で、最終的には国会図書館がやる、アーカイブ活動担当者がやる、といった考えではなく、YouTubeなどを見れば分かる通り、思いがけない映像は圧倒的に視聴者が持っており、そういう人たちが遺そうという気持ちを持つことが必要。

                                2013214

 


                                                    2020.11.20再録

 

 

 

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