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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

新 夢千代日記

「新 夢千代日記」

早坂暁脚本 1984NHK

 

           


早坂暁の「新 夢千代日記」で、せんだみつおが中国残留孤児の役を演じたのは忘れられません。

 

 

         

随分むかしですが、友だちで倉本、山田、向田はわかるけど早坂暁はいまひとつ良さが分らないんだよなあと言ってるやつがいて、それは明らかに当たるべき作品に当たってないせいだと思えたので、「新 夢千代日記」の話をしました。

 

    

せんだみつおが来日し、やっと母親と会うシーンです。

もちろん本当の親子なのかは、お互いに会話をして記憶を探らなければ分らない状態です。

 

 

その場面の前提は残酷です。

 

 

母親は

子供は死んだものと思っていたのです。

いえ、死んだも何も、母親は我が子を殺していたのです。

 

だから生きているわけがないのです。

 

 

満州で関東軍にも見放され、取り残された女子供300人は集団自決をするしか道はなかったのです。

ソ連軍はすぐそこまで来ていました、ひどい目にあわされて死ぬよりいさぎよく自決しよう、あちらでもこちらでも親が子を、兄が妹を殺していました。

 

母親も4歳の長男を「ごめんね、ごめんね」と言いながら喉をナイフで斬って殺しました。

次に2歳の赤ん坊を殺そうとしましたが、あまりに泣くので殺せません。

 

 

すると同じように赤ん坊だけは殺せないという女性がいて「逃げよう」と言います。

歩けるだけ歩いて、砲弾にあたれば一緒に赤ん坊も死ぬというので母親たちは歩き始めます。

しかし途中で二人とも赤ん坊を衰弱死させてしまいます。

乳もでず致し方ないことでした。

 

 

そのような経緯で結局からくも母親だけは生き残ったのでした。

罪悪感だけのかたまりとなって。

 

だから関係者が母親を探り出し、面会を求めてきたときも半信半疑でした。

長男が生きているわけがないのです。

 

 

ところが関係者の話によると集団自決の場所で、まだ息をしている長男を中国人がみつけ助けられたらしいことが分かります。

 

 

 

 

その二人が歳月を経て会うシーンです。  

母を求めるせんだみつおは、「ママ、私はマー坊です」と中国語で言います。

マー坊、確かに息子の愛称です。

でも母親は罪の意識でまともに見る事が出来ません。

 

 

せんだみつおは、じれて、突然シャツのボタンをはずし、喉のあたりをさらけ出します。

刃物の傷跡、そのむごい喉を見せます。

      

「見てください、これが傷です」とせんだみつおは言います。

       

母親はびっくりして顔をそむけます。

見られるわけがありません。

 

「すみません、すみませんでした」と謝るのみです。

 

せんだみつおはにじり寄り、「どうか見てください、おねがいです」と言います。

 

見られない母親。

見てくれと涙をあふれさせるせんだみつお。

 

      

せんだみつおは母親を責めている訳ではないのです。

親子である事を証明する決定的な事が「喉の傷」なのです。

 

見せたがるせんだみつお、見るに見られない母親。

 

 

 

母親にとっては原罪のような出来事が、親子の絆というあまりにせつない現実。

このような凄絶な場面を作った、早坂暁という人に私はうちのめされました。

 

 

       

その話を友人にしました。

すると「うーん、早坂暁よさそうだね。見てみる」と、私の「人たらし」また成功したようでした。

 

私は「倉本、山田、向田シナリオライター御三家」という言い方に腹を立てています。

早坂暁はどうなるのか?なんで御三家なのか?四天王と言うべきではないのか?一体誰が言い始めたんだ?責任者出てこ~~い!!!!

 


2020.9.11

 

 

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