山田太一的世界は何故継承されないのか。
山田太一的世界は何故継承されないのか。
「五年目のひとり」(2016年)以後山田ドラマは発表されていません。
小説、エッセイもです。かろうじてインタビューがNHKラジオで放送されたのみ。
山田さんの「声」はもう聞けないのか、八千草薫さんが亡くなった時もなんのコメントもなく、どうしたんだろう?と疑問が世の中に広がりました。
2020年10月19日現在、渇望が山田ファンの間に広がっています。
山田作品はテレビ創成期から長年にわたって放送されてきました。多くの人が魅了され、その山田世界は層となって、世の中に堆積していると思います。
山田太一にあこがれてライターを目指した若者もたくさんいたことでしょう。プロの作家にも尊敬していると公言している人々が一杯いるほどです。
なのに、何故か山田太一的世界は他のライターによって再現されるということはありませんでした。もちろん山田さんほどの才能があればの話ですから、簡単なことではありません。でも、至らずとも「狙ってるんだなあ」と思える作品があってもおかしくないと思うのですが、それもありませんでした。流行があれば亜流が発生するのは常識ですが、ありません。つまり亜流も作れないほど力量が問われたということなのでしょうか。
まあ、当然作家というのは、基本的に本人の資質と、本人の関わった業界との関係で、別の花を開かせていきますから、再現なんて視点で見ても無駄なことだし失礼なことでしょう。
そういう諸事情から、山田太一的世界は結果的に継承されないままの現在があるのではないかと思っています。
そもそも山田太一的世界とは一体なんでしょう?
魅了されている方でも言葉にするのは結構難しいことではないでしょうか。
「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」というエッセイ集というか、語りおろし集で山田さんはこんなことを語っています。
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テレビドラマを書きはじめたとき、犯罪を通して現代を書くということを封じ手にして行こうと思いました。
社会の歪みが犯罪ではくっきりと現れますから、たしかにドラマを書きやすい。でも、犯罪を犯さない人の喜びや悲しみとか、平凡の持っているやりきれなさがうずもれてしまわないか。
同じような境遇にいても犯罪を犯す人と犯さない人がいます。誰でも条件が整えば起こしてしまう、といようなものではない。だったらぼくは犯罪を封じ手にしてしまって、犯罪を犯そうと思っても犯せない人を書こうと思ったのです。
それと同じように、たとえば子供のドラマを書こうとすると、子供の悩み、登校拒否とか、死病にかかった子とか、家庭内暴力とかを描きがちです。そしてたしかに現代の子供の問題がくっきりと出ることは出ます。しかし、実はそういう病理は数からいったら、少ないわけです。
でも、そうではない多くの家庭が問題を抱えていないかといったら、そんなことはない。ただくっきりと表に出ないだけかもしれない。
しかし、ドラマではくっきり表に出ないのでは困る、というところがある。
あまりはっきりしない、ひそかな心の悩みではドラマにならないというようになってしまう。
でも、くっきりしないからといって、切実ではないかというと、そうではない。
平凡だけれど、昼になればお腹がすく。失恋すれば悲しい。そういう人たちに目を向けるには、病理現象で現代を見たり、社会を見たり、子供を見たり、親を見たりということを、一度やめなければいけないのではないかという気がしたのです。
もちろん、病理現象を抱えている親御さんの悩みを軽んずるつもりはありません。しかし特別そういう症状もないのに『このごろは家庭内暴力が多い』とか『親は怯えている』といった情報が流れますと、過剰に反応して子供がちょっとでも偉そうなことをいうと、『さあ、家でもはじまった』となって、腫れ物に触るように子供に対してしまう。すると子供のほうも『お、強気に出ればひるむんだ』という感じになって態度が大きくなったりするのは、情けないことだと思うのです。
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これが山田太一世界の根幹だと、私には思えます。
山田ドラマは特別派手な事件は起きないのに、ぐいぐい引き込まれて行くとよく言われますが、それはこういう視点があってのことだと思います。
多くのドラマは事件が起きます。たとえばサスペンスドラマは、殺人という事件がおき、さあ、犯人は誰?何故殺されたと興味を惹いて行きます。それが王道です。でも山田ドラマは、事件は殺人だけではないという視点で描かれています。やり方はサスペンスドラマと一緒です。王道なんです。でも事件の内容が違い、尚且つはらはらどきどきする展開の仕方も着眼点が違っている。
テレビ界ではこういう山田さんの視点、主張は、継承されなかったように思えます。
継承したい人はいたでしょう。
でも「ドラマではくっきり表に出ないのでは困る、というところがある。あまりはっきりしない、ひそかな心の悩みではドラマにならないというようになってしまう」というところは、テレビ局の望む分かりやすいストーリー主義、耳目をひく事件主義、スター主義の前に企画会議ではどんどんマイナス点をつけられていったことでしょう。
山田さんクラスの大物が書くというなら企画が通ったかも知れないけど、実績のない新人ライターやディレクターが主張しても、通らなかったのではないかと思えます。山田さん本人ですら、大御所として神棚に祭り上げられ、結局どんどん第一線から疎んじられていったのですから。
山田太一という大御所が、日常のドラマ制作現場にいられるのは迷惑だと局が思っていたことは間違いないように私には思えます。脚本家の時代は前時代の遺物で、山田太一は一人でいいと思っていたことでしょうし、まして山田太一を目指す新人なんてとんでもないと思っていたことでしょう。それは山田太一を尊敬するという気持ちがあっても、別のベクトルでドラマ制作の現場は動いていたからです。
つまり脚本家ではなくプロデューサー的立場の人が継承していく必要があったのだと思います。そしてそのプロデューサーが経済的にも成功すればよかったのです。でもなかなかそうはいかないという歴史が繰り返されてきたのでしょう。
少し山田太一的視点で、ドキュメントの世界からドラマや映画に入ってきた、是枝裕和なんて人は、そういう難しい業界で一応成功をおさめたと思います。でも、まあ、映画の世界ですし、当然山田さんではなく、是枝裕和の世界です。
そして現在。
事件らしい事件を起こさないストーリー運び、スター中心ではなく地味な庶民を演じられる役者中心で、日常にひそむ思いがけないドラマが展開する。そこに時代が浮かび上がる。そんな山田太一世界は継承されないままになっています。
今のところ山田太一の世界は層となって堆積していますが、やがて新しい時代の層が積み重なり、忘れられていくことでしょう。