花を一輪持った少女
「会場の隅っこに花を一輪持った少女がいるんです」
と白井佳夫氏(映画評論家)は話を始めます。
第1回徳島テレビ祭(1986年)が行われた時のインタビューで、山田太一、倉本聰、ジェームス三木の脚本家を中心に、各局プロデューサー、ディレクターを招いてシンポジウムが行われた時の話です。
昼のシンポジウムが終わると、夜は屋外で一般の視聴者と親睦会が開かれました。
飲み、且つ食べて、俳優も交わり大変な賑わいです。
でも、その賑わいの陰に、ポツンと一人、花を一輪持った少女が立っていたと言うのです。
白井氏は「そのお花どうすんの?」と少女に聞きました。
すると少女は「わたくしはこの世の中ってのはね、生きる価値がないんじゃないかって思ってたんです」と真面目な顔で言います。
「それでね・・。でも、山田太一さんのあるドラマを見たら、生きていてもいいんだな、生きていけるんだなと思えるようになったの。そのことのお礼を言いたくてね、この花を山田さんにあげたいんです」と言います。
白井氏は驚き、実行委員に「山田さんすぐ呼んどいで」と声をかけます。
そうやって少女は、山田さんと会うことが出来たという話を白井氏はしていました。
後で山田さんに「山田さん、今ホームドラマっていうのは素晴らしいことやってますね、昔だったら文学書や哲学書がやったであろうようなことをね、果たしてるんじゃありませんか」と言ったそうです。
「ほんと、良いホームドラマを書いてる人たちというのは、自信を持っていいっていうような気がしますねえ」とインタビューを結んでいました。
山田太一論というと、家族の崩壊を描いた「岸辺のアルバム」、大衆批判をした「早春スケッチブック」などジャーナリスティックな視点ばかりが論じられますが、一輪の花を持った少女の感銘した世界というのはあまり語られません。もちろん何に感銘したのかわかりませんが、家族の崩壊や大衆批判に「生きてていいんだ」という気持ちを持ったとは思えません。
筋の通った理屈のみが大手を振って罷り通っていて、「そういう名作」として山田ドラマを認識しているようですが、実はそのストーリーを生きる人物描写の豊かさが、多くの山田ファンを魅了していると私には思えます。
NHK演出家の和田勉さんが、あるパーティーで山田さんにこういう話をしたそうです。
「あなたのね、あなたの作品で、なにがいいかというと、みんな『岸辺のアルバム』とか『男たちの旅路』とかいうけれど、私は全くそうじゃないと思っています。あなたの本領は、あんなところにはない。『獅子の時代』でも『想い出づくり』でも『ふぞろいの林檎たち』でもない。しかし、批評家は、ああいう仕事をほめる。世間の多くも、あの種のものを受け入れる。するとライターも人の子でね、どうしても世評にひきずられる。視聴率も影響を受け、その方向で自分を作っていく。しかし、あなたの最高傑作はああしたものじゃないと思っています」
そう言って和田勉さんはこう断言します。
「いいですか。あなたの最高傑作は『緑の夢を見ませんか?』です」
(シナリオ「緑の夢を見ませんか?」あとがき 大和書房所収)
作品のタイトルこそ違え、こういう推しの気持ちを共有される方は一杯いらっしゃるのではないでしょうか?
さあ、少女は一体何に感銘をうけたのか? もう一度考えてみたいものです。
2020.9.9