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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

娘の結婚

 

「娘の結婚」1976

ライオン奥様劇場連続45回。

 

 

室生犀星の「杏っ子」を脚色した連続ドラマでした。

私は深夜の再放送枠で観たのですが、寝てる場合じゃないというくらい面白いものでした。

 

 

岡本克巳氏の脚本で昼の帯ドラマとして放送されていたのだと思います。

それがおそらく評判になったんでしょうねえ、深夜枠で再編集されて登場となったわけです。

 

池部良演ずる作家の父と、佐野厚子演ずる娘の交流がとても暖かく描かれていました。

 

池部良

 

佐野厚子

 

 

 

 

 

 

 

このドラマはストーリーを要約しても魅力が伝わるとは思えません。

 

 

 

初めて結婚して行く娘を気遣う、父と家族の話です。

 

 

その気持ちのひとつひとつ、病弱な母の思い、弟(赤塚真人)のノー天気などこか憎めないとんちんかんな思いやりを、帯ドラマだからこそ許される長い時間をかけて丹念に描いていきます。

 

それが魅力です。

 

 

観ている者はもう家族の一員であるかのごとき錯覚のなかに入ってゆき、そのことに違和感を感じません。

 

 

作家志望の青年(浜田光夫)と娘の結婚は苦労の甲斐なく破局し、悲しみの中で娘が戻ってきた時には自分の身内の不幸としか思えないほどになっています。

 

「自分より大切な人を見つけた時、結婚したいと思ったの。でも結婚してしばらくしたら、お互いにまた自分の方が大切になっちゃったのね」

と破局の内実を語り泣き濡れる娘の後姿を、ただ見守るしかない家族です。

 

 

 

生まれも育ちも違うふたりが結婚するんだ、

綱渡りをするようなもんだ、

綱から落ちて当たり前、

並大抵じゃないさと、

父、池部良は慰めますが、

 

 

 

 

さて。

 

 

岡本克巳という人は私が見た範囲では、お見事という完成度の脚本は書いていません。

どこかほころびがあるんですね。

 

 

このドラマでも長丁場なんで、あちこち乱れてるところがあるんですけど、でもなんと言うのかこの人の温かい視点が全体に行き渡っていて、ちょこちょこブラウン管に突っ込みを入れながらも毎回楽しく観ちゃってるんですね。

 

 

 

娘がとまどって否定するところなんか必ず

「え?・・ううん、そんなことないわ」

なんですね。

 

 

 

10分まえにもそのリアクション書いたじゃないかって突っ込んだって、しばらくするとまた出てくるんですね、もう仕様がないなあ岡本くーんなんて気持ちになるんだけど、でも全体の流れが魅力的だから観ちゃうんですね。

 

 

もうだらしない亭主なんだけど、魅力があるところはあるからと諦めている古女房のような気持ちになっちゃうんです。

 

 

 

娘の結婚後のトラブルのせいで、心臓の悪い母は発作をおこして死に、温かい家庭がぎすぎすした世界に変貌しはじめてからドラマは息詰まる展開となります。

 

 

 

「私はめし炊き女になるために結婚したんじゃない」

という、その頃には結婚している弟(赤塚真人)の妻の発言と、離婚なども重なり、結婚というもの、男と女が寄り添う姿というものが問われて行きます。

 

 

 

赤塚真人夫婦の離婚届に捺印する切なさが丁寧に描かれます。

 

 

 

浜田光夫が行方不明の為、別居はしたけどまだ離婚届けを出していない娘は涙を溢れさせ反対します。

 

 

原稿が書けないと妻に当り散らした浜田光夫。

生活力もなくコンプレックスの渦の中に埋没した浜田光夫。

別れる理由は山ほどあります。

父に「あんな奴」と言われても仕方ない男だと娘は思います。

 

 

 

 

しかし今、弟夫婦の離婚届という事態を目の前にして「ことの大きさ」が胸にこたえる娘です。

涙が溢れます。

 

 

 

父は

芝居を観ろ、

映画を観ろ、

お洒落をしろ、

買い物を楽しめと、

不遇な結婚から離れられた楽しさを満喫させようとします。

 

大作家の娘としての裕福な人生がお前にはあるのだと出来る限りのサポートをします。

 

 

 

 

しかし、一度結婚を通過した娘はもう無邪気な娘には戻れません。

 

結婚というものはどんな人にとっても大きな出来事だからです。

 

 

死んでしまった母親が、結婚してしばらくした娘にこんなことを言ったことがあります。

「変わったわね、あなた。そんなに簡単に『ごめんなさい』と言う子じゃなかったわ」

 

 

 

結婚は人を変える。

 

いえ、それは不遇な結婚という意味だけではなく人を変える。

 

人と人がふれあうということはそういうことです。

 

娘はもう昔の娘には戻れないのです。

 

 

 

 

それでも悔やんでばかりはいられず、正式離婚手続きは済まされぬまま、懸命の「リハビリ」が続きます。

そして、やっと以前の明るさを取り戻し始めた頃、皮肉なことが生じます。

 

 

 

夫婦の破局という試練を呑みこむことにより、浜田光夫が本物の作家として成長するのです。

 

 

 

娘と同じく失意の中で浜田光夫は人生を彷徨して飯場に流れ着いています。

肉体労働をし、くたくたになって眠る日々。

生きることの根源のような暮らしの中で浜田光夫は何ごとかを掴みます。

 

自分が書いたものを認めない世の中が悪いと荒れ、妻や妻の家族を憎んでいた心境から、今自分に何がしか語れるものがあるだろうかという、しずくのような思いで、ある作品をひとつ書き上げるのです。

 

 

 

 

 

 

その作品を最初に見た編集長はすぐに池部良に電話します。

大変な傑作である。

出版したいと。

 

 

 

 

池部良は面白くありません。

 

やっと娘が、そいつとのひどい生活から立ち直り、その後遺症を克服しようとしているのに、なんだという気持ちが湧いてきます。

 

 

 

「よし、読んでやる。私が読んでやる。そして完膚なきまでに叩きのめしてやる。原稿を持って来い」と言います。

 

 

 

しかし読んでみるとまぎれもない傑作です。

口惜しいけど編集長に「是非とも出版して欲しい」と言わざるを得ない羽目になってしまいます。

 

 

 

 

作家の娘との結婚にあがき苦しみ、コンプレックスのどん底にいた時には掴めなかったものが、一人になって全てに見捨てられて初めて一筋の光明を見つけたのだと池部良には分かります。

 

自分たちといた頃は駄目だったということは、私らは厄病神みたいなものだったんだと苦笑します。

 

 

 

そして浜田光夫は娘の家に現れます。

以前から再三催促されていた離婚届に捺印しに。

 

けじめをつけようというのです。

 

 

 

 

離婚届を挟んで対峙する三人。

 

しかし浜田光夫には印鑑が押せません。

 

浜田光夫は床に跪き

 

「お願いします。もう一度やり直させて下さい」

と言います。

 

池部良は「思い上がるな!!」と怒鳴ります。当然の怒りです。

 

しかし娘の気持ちは大きく揺れます。

 

 

 

 

娘はこの少し前、飯場を訪ね浜田光夫と話をしているのです。

 

久方ぶりの再会に言葉もあまり出てこなかった二人ですが、浜田光夫は「最近ごはんが美味しいんだ」と嬉しそうに語り、「太陽の陽射しを感じるんだ」としみじみと言います。

 

 

 

娘は浜田光夫の「回復」

 

いえ

 

「あらたな誕生」を感じます。

 

 

 

クライマックスはあれだけの苦労があったのに、再びその男と結婚を決意する娘と、反対する父の相克になります。

 

荷物をまとめて出て行こうとする娘の前に父は立ちふさがります。

 

父は言います。

「たった一本傑作を書いて駄目になった奴がいくらでもいるんだぞ。また苦労するぞ」

「行かせて下さい」

「次に傑作を書ける保証は何もないんだぞ」

「行かせて下さい」

「出ていくなら私を踏みつけて出て行け」

 

 

そんな父の前で娘は言葉もなく、泣くだけです。

 

そして再び、願うように「行かせて下さい」と言います。

池部良も、もう言葉が出せません。

 

 

 

父の反対を押し切ってでも出て行く、これまた大きく成長した娘を池部良も最終的には優しく送り出します。

 

「体に気をつけてな」というありきたりな言葉に精一杯の気持ちをこめて送り出します。

 

 

 

 

 

 

 

最後に毎回毎回流れていたエンディング曲が流れます。

うろ覚えですが、次のような詞です。

 

「坂の上の家」

(岡本おさみ作詞 佐藤健作曲 大橋純子 歌)

 

 

 

なだらかな坂道を

子どもらが駈けていく

あんなにも無邪気な頃があったような気がする

 

遠い昔 笑い転げ 泣きじゃくり

会ったり別れたりの

夕暮れに

 

 

生きたぶんだけ魂が

病んでいくのを見てきた

としつきは

忘れてゆくためにあるのだろうか

 

 

だからわたし

 

もう愛してしまうだろう

 

だからわたし

 

この坂をのぼっていくだろう

 

 

 

 

 

 

この歌詞通りの坂道を歩き去って終わりです。

 

 

「たそがれマイラブ」同様、大橋純子の声量のある歌声が今も耳に残っています。

「襟裳岬」を書いた岡本おさみの詞も飛躍が多くて文字だけ読んでもなんだか分からないと思いますが、メロディがからむと説得されてしまう名曲でした。

 

特に「生きたぶんだけ魂が病んでいく」という部分の歌声が切実で、後半突然出てくる「だからわたし、もう愛してしまうだろう」という詞が自然にはいりこんできました。

 

ドラマはもう見られないのでしょうか?

このドラマはビデオではなくフィルム撮影でした。だから残っているはずなのです。どこかに、誰にも探されずに眠っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.9.20

 

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