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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

家へおいでよ

 

「家へおいでよ」

1996NHK水曜ドラマシリーズ連続6

 

      

これも孤独が大きな問題として浮上しています。

主人公杉浦直樹は、奥さんにも見放され、子供も巣立って行き、大きな館で一人暮らしという、家族を無くした男です。

そのうえ職場(大学)であらぬ濡れ衣を着せられ人間不信に陥っている。

 

 

 

この時代、大学の教授が、教え子の女子大生にセクハラで訴えられるなんて事件が結構あり、それが事実なのか、女子大生のトラップなのか不分明だけど、訴えられたら、結局スキャンダルという認識しか世間はせず、真偽の追及以前に失脚してしまう教授なんて事例があった頃です。

そう言う背景を抱えた一人として杉浦直樹は登場しています。

 

        

姉の岸田今日子には、「お前はエゴイスト」と言われ、何より一人が好きな杉浦直樹ですが、「一族シリーズ」同様、おせっかいの世界に入って行きます。

 

たまたまお蕎麦屋さんで相席になった縁で、若い娘鈴木砂羽と小橋めぐみらと交流が始まり、やがて二人共、杉浦直樹の屋敷で暮らすことになります。

更に、筒井道隆、マルティン・ラミレスなど貧乏な人々が集まりはじめ、共同生活への道筋が描かれます。

杉浦直樹は、孤独にこりたのか、世話焼きの喜びに目覚めています。

 

          

富裕層の老人と、社会からはじき出された弱者集団が肩寄せ合って生きていくという「いい話」になるかと思えば、残念ながら、そういう話にはなりません。

 

若者たちも、杉浦直樹同様、世間から苦い思いをさせられていて、身構えて生きており、だんだんと悪い奴らでもあることが明らかになって行きます。

それぞれが、弱者ではあるが無謬ではない。

 

そのリアルな人間像が、ドラマに複雑な陰影を与えていて、庶民善良説を覆していきます。

山田ドラマに影響を受けたと思われる作家さんがいて、善良な片隅の人々が、小さなシェアハウスで不器用に暮らしているなんてドラマをこの前も書いていましたが、そういうのとは全然違うんですね。一見表面は似ているんだけど、人間を見つめる冷たさがまるでちがう。それは深度の違いです。

 

 

このドラマは最終的にあったかく終わっています。でもそれはひとときの温もりかも知れないという留保がついています。

多くの山田ファンが、山田さんのあたたかいメッセージに酔っているけど、山田ドラマのパースペクティブは信じられないほど遠くに「中心」があって、とても冷たい(冷静)と認識すべきだと私は思っています。

 

 

人は一人では生きていけない。そうは言っても人間関係の煩雑さ。

微妙な距離感で描かれたドラマだと思います。

 

2020.9.17 

 

 

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