夜からの声(前編)
「夜からの声」
(前編)
地人会第95回公演 紀伊国屋ホール 2004.9.21~10.2
作 山田太一
演出 木村光一
これは、メモと記憶をもとにした「再現」です。
独断、勝手な要約が多々あります。
ご了承の上お読みください。
ある日曜日の朝。
マンションの居間でくつろぐ本宮真司(風間杜夫)に中年女性が訪ねて来ます。
女性は最初タウン誌の編集者と言いますが、取材が始まってもメモもとらず、編集者にしては挙動がおかしいと真司は思います。
しかも真司が「話し相手コール」というボランティアをしていることを知っているので更に妙に思います。
そのボランティアは孤独な老若男女のために二十四時間対応で電話の話し相手になってあげるというサービスですが、当然守秘義務があるし自分がそのようなことをやっていることも口外してはならないと定められているのです。
なのに何故この女性は知っているのか。
まあスタッフの入れ替わりもあるし、口の軽い者もいるかも知れない、そのような流れの中から漏れたのであろうかとも推測するのですが、女が「三月十九日にあなたは誰と話しましたか?」と実に詳細なことを聞き始めた時に単なる取材ではないことに気付きます。
女は編集者でもなんでもなく、その三月十九日に真司が電話で話をした相手(男)の妻なのだと言います。
戸惑う真司に、女はヒステリックに何を夫と話したのかと追求します。
真司はそんな事実はないとしらをきりますが、女は「夫の日記に書かれていたから間違いない」と追及の手を緩めません。
真司は「もし旦那さんが『話し相手コール』に電話されていたにせよ、その相手が私であるとは限らないでしょう」と反論しますが何故か女は確信を持っており、更に真司にとって驚愕すべき事実を語ります。
三月十九日。つまり「春分の日」の前日に、夫はその電話をしたあと飛び降り自殺を図ったというのです。
飛び降りたのはもう翌日の「春分の日」になっていたほど深夜だったそうですが、その時妻もたまたま起きていてすぐに気付きました。
その時の飛び降りた音。
どすん。
その鈍い音を女は今も鮮明に覚えており、女は「夫の自殺」という耐え難い事実の淵から、真司に向かって懸命に叫びをあげているのでした。
「何を話したのか。夫と最後に向き合った人の話を聞きたい。夫は生きたいと思っていたに決まっている。なのに何故死んだのか。あなたが何か言ったんだ」
そう言って女は食い下がり、真司へ疑惑をぶつけますが、真司は懸命にしらをきり通します。
明らかに常軌を逸したと思われる女性は、真司の狼狽ぶりから、やっぱり電話の相手だと確信すると、何故かその日は帰ります。
真司はホッとしつつも、胸の中にある事実が重く残ります。
自殺をした人間と最後に話をした自分という重い事実が真司の胸に残ります。
こうして、夫に自殺された女と、死の直前に、偶然言葉を聞いた男の物語が双方の家族を巻き込んで展開します。
かなり暗く厳しい内容です。
が、それにも関わらず展開はまったくコミカルで、終始平凡な家庭の日常性を逸脱することはありません。
真司の奥さんは居酒屋のパートタイマーの境遇から研修のリーダーに出世し、夫の給料より高くなりそうだと活気に満ち溢れ、その日の朝も、社長がポルシェでお迎えにわざわざ来るところなのでうるさい位にハイテンションです。
それが面白くないので「社長に下心があるに決まっている」と真司がくさすと、「あら三十代で若い子にもてもての社長さんよ、そんなわけないでしょう」と妻に言い返され「年上好みもいるさ」などと真司は強弁し、女房をくさそうとしながら女房の魅力を賛美しているような滑稽な状態。
もう一人の家族である年頃のひとり娘は、独身貴族を謳歌していると言うと聞こえはいいけど、恋人のいない境遇をちょっぴり淋しく、いやかなり淋しく?享受しており、でもまあ基本的には呑気な青春を楽しんでいる状態。
そんな家庭で真司は女性たちほどの活気も精彩もなく、会社の仕事を自宅に持ち込み休日だというのにノートパソコンをぼつぼつやっている。
家族は真司に聞きます。自殺した男から何を聞いたのか。自殺の理由を知っているのかと。
しかし真司は守秘義務を盾にして喋りません。
女房は業を煮やして
「だからボランティアなんてしなきゃいいのよ、人の世話してる場合じゃないでしょう。結婚して二十七年にもなるのに、私の父には心を開かないで、他人にはぺらぺら喋って妻にも娘にも大事なことは言わない。なによそれ」
などとぞんざいに言われ真司は形無しです。
真司は何か真相を知っているのでしょうか?
分からぬままに、家族はその女が今後も関わってくるのではないかという不安を広げます。
一同の不安を吹き払うかのように、女の息子が数日後に現れます。
息子は、母が鬱病で入院したことを告げ、既に抗鬱剤の効き目で快方に向かっていると言い、母の失礼を丁寧に詫びて去ります。
そのあまりに礼儀正しい青年の一件落着の強調ぶりに、真司やたまたま居合わせた真司の義父はかえって不信感を持ちます。
夫の自殺という重い出来事をそんな数日間で克服できるのか?
いくら抗鬱剤のいいものが開発されたにせよそんなに簡単に治るのか?
真司の義父は妻に先立たれた淋しい気持ちも手伝ってこう言います。
「鬱は薬で治るみたいなことを言い過ぎる。そんなバカな話はないよ。薬で離れて行った恋人が戻ってくるかい?死んだ女房が生き返るかい?そんなバカな話はない。薬で治るなんて、人の悩みをバカにした話はない」
女性は本当に快方に向かっているのでしょうか?
自殺の真相はつかめたのでしょうか?
そして電話で男は何を言ったのでしょう?
数日後女性は病院を脱走し再び闖入して来ます。
そして叫びます。
「私が祖父を殺したの。お父さんが殺したんじゃない」と。
飛び降り自殺の前に祖父が心不全で亡くなっているのですが、それを私が殺したんだと女は言っているのです。
一体何が起こったのか。
そこへ女性の息子も現れ「そんなことはない」と母の言う事を強く否定します。
祖父は心不全で死んでおり、警察の検死結果でも証明されている、なのに何故その様なことを言うのかと息子は女をなじります。
祖父の死というのはこういうことです。
女と自殺した夫は、少し前になけなしの蓄えをはたいて痴呆の祖父を老人ホームに預けたのです。
女は長年の介護疲れで体を壊したこともありホッとしていたのですが、不幸なことに老人ホームが火事になり祖父は焼け出されてしまいます。
その焼け出された祖父を車で迎えに行き、渋滞で長時間の行程でしかたなかったとはいえ、無理な体力を使わせた故か、その夜に心不全で亡くなっているのです。
火事のショックと、長時間車に乗って疲れてしまったこと。
それが心不全の理由であろうと息子は言います。
だから母や父がどんな罪悪感を持つにせよ、それは何の関係もないんだと。
父の自殺にしても、人が自殺する理由なんて本当のところは分かりはしない。遺書でもあればともかく分かるものではない。
そう息子は強調します。
「忘れよう」と息子は言います。「おじいちゃんもお父さんもいないんだ。お母さんは生きて行かなきゃいけないんだ、後ばかり見ていてはだめだよ」と。
その言葉に真司も同調します。
「そうですよ、忘れて元気にならなくちゃ、やなことは忘れて元気にならなくちゃ」
前向きを強調する一同の励ましの中で、薬を飲まされた女の意識の混濁とともに一幕目の幕がおります。
そして二幕目があがると・・・。
あ、こんなふうに書いていると、まるでサスペンスドラマのようですが、舞台そのものは笑いの連続です。
こんな深刻な事態なのに真司の女房は、息子のいい男ぶりに色めき立ち、自分の娘の結婚相手にどうだろうかなどとおせっかいをやいているし、娘はやめてよなどと拒否しながらも満更でもなく、真司の義父は娘家族に邪魔にされているのかなあという疎遠感のなかで遠慮がちに事件に関わってきて、真司との義理の関係がちょっとフランクになるような局面があると過剰に喜んだりするという按配で、なんとも賑やかにお話は進行していきます。
どんな深刻なことも庶民の日常という視点に立てば、このようなものとして出現するのが本当のリアリズムなのかも知れません。
さて二幕目の幕が開くと朝のリビングで、明るい雰囲気です。
でも決して明るい気持ちの真司ではありません。
あれから二ヶ月ほど経ち、女はすっかり回復し、快気祝いを持って何故か真司を訪ねて来ます。
でも、どう考えても快気祝いを持って来られる間柄ではありません。おかしいと思います。
義父は言います。
念を押しに来るんじゃないか。ご亭主があんたに何を言ったか気にしているんだ。あんたがいる限り不安が残る。治るもんも治らない。舅を殺したことは忘れてくれと言いにくるんじゃないかと。
真司は怖いこと言わないで下さいよ、殺人じゃないって警察の検死でもはっきりしてるじゃないですかと言いますが、そんなことあてになるもんかと義父は身も蓋もないことを言います。
それにつられるように真司は「ご主人も似たようなことを言ってたんです。父親を殺したって」と語り始めます。「酷く酔っていてはっきりしないけど、父親のベッドに行ったような気がするって。父親のベッドを見おろしていたって・・・」と言います。
守秘義務を破りそうになる真司に、義父は聞くことを拒みます。
真司は語るのをやめますが一体真司はどんな言葉を聞いたというのでしょう。
夜の向こうから、声は何を語ったのでしょう。
ひとり重い荷物を背負ったまま、真司は、女とその息子の訪問を受けます。
人が変わったという言葉があるけど、これほど変わるのかと言うほど明るくなった女は薬の効用を説き元気を強調します。
一同は戸惑いながらもその元気を喜びます。
女は最近太極拳を始めたそうで、あるポーズをすると不安な悩みはポイ、ポイ、ポイと捨てられると明るく語り、嫌なことは全部忘れましたと楽しそうに言います。
その余りに見事な元気ぶりに真司は引っ掛かるものがあります。
忘れていいのか!
嫌な事は忘れていいのか!
それで元気になったってそれは本当の元気じゃない!
真司は、突然目の前にいる女や息子や家族の明るさを壊すように語り始めます。
自殺した男の言ったことを。
皆は驚き、女は「やめて!」と叫びますが真司は止まりません。
自殺した男は一体夜の淵から何を真司に語りかけてきたのか。
真司は何を感じ取ったのか。
まず真司は、自殺した男の立場から見ると、女が舅を介護するなかで老人虐待があったことを語ります。
しかしそれはすぐに女が否定します。
それはある意味虐待よりもっと面倒で複雑な出来事だったからです。
細かな細かな経緯があったのです。
女が懸命に忘れようとしている出来事。
「言ったところで誰が分かってくれるというの」
という投げやり気味の女に、義父が促します。
「細かなことを聞こうじゃないですか。細かなことで私たちは生きてるんだ」
女は言います。
「舅が好きだったの」と。
「だからと言って何もありゃしないけど、大柄で男っぽくて余計な口をきかない舅が主人よりいいくらいだった」と続けます。
息子は「そんなこと聞きたくない」と叫びます。
しかし義父が言います。
「聞かなくちゃいけない!こういうことこそ聞かなくちゃいけない」
女は苦渋の表情で、それでいて何処かうっとりするように語ります。
「ボケても人柄は残っていたわ。一緒に町を歩いても河原を散歩しても、徘徊して交番に引き取りに行ったりした時も嫌じゃなかった、楽しかった」とまるで介護の内実を恋愛物語のように語ります。
夫は仕事に追われていたため自分の苦労を察することも出来ず、濃密な関係がそこに否応なく築かれて行き、家庭は舅と嫁の二人だけの世界となったと女は語ります。
しかしやがて舅の老化は進み、人柄の匂いも消えて女は情けなくなります。
ある時女のことも分からなくなり、頑固に家から出ようとする舅を女は思いっきり引っ叩きます。
すると奇跡が起こります。
ほんの短い間ですが舅の目に力がよぎったのです。
女を誰だか分かっている目。
以前の男っぽい舅の目。
女は思います。
何か強い刺激があれば舅が元に戻るのではないかと。
女は叩きます。もっと強く叩きます。もっともっと強く叩きます。
でもやめます。
愚かなことです。
ところがある日舅が叩いてくれと訴えてくる。
叩くと目が生き返ります。
あの目が。
それから舅はせがむようになります。
女はもうためらいませんでした。
掃除機の柄でもブラシの柄でも殴りました。
叩くと舅が喜ぶと思えるのでやめられなくなり、私も喜んでいたのかもしれないと女は自己の心の奥底を述懐します。
それが、虐待と夫が思ったものの内実です。
女の介護の、ある姿です。