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山田太一の扉

作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。

今は港にいる二人

                                      
「山田太一未発表シナリオ集」(国書刊行会)にサスペンス枠を想定して書かれた2時間ドラマ「今は港にいる二人」があります。



                           
                                
恨みのあるサラ金に殴り込むかどうかで逡巡する、気の小さい庶民の話です。
登場人物たちは復讐という暴力を行使するかどうか長々と煩悶します。
        
      小島隆平  (加藤健一 山田さんの想定していたキャスティング)



          
        小島千恵子  (田中裕子 山田さんの想定していたキャスティング)







山田さんは「広告批評」(1982年4月号)でこう語っていると「山田太一未発表シナリオ集」編者が記しています。
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「ヒロイズムが力をふるっている。直接戦争映画でなくても、犯罪ものなりヤクザものなりの中で、ずーっと長いこと培われてきて、それはあまり変わってないんですね」
「かなわない。しかし人間の尊厳として言いなりにはならない、抵抗だけはする、というヒロイズム。それはそれなりに人間の尊厳を守るだろうし、かつては確かにそうだった」
「もっといじましく、地に這いつくばってペコペコして生きていく『男らしさ』を作らないといけないんじゃないか」


「生き残ろうとすることが新しいヒロイズム、尊厳にならなきゃいけないと思う」


「だから反戦映画という形をとらなくても、なにかいままでのヒロイズムでは主人公になりそうもない人たちの見苦しさ、素敵さというのかな、そういうものをもっと書くべきではないのかと僕は思うのね」





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「ドッキリGP」というTVバラエティで、こんなことをやっています。
仮面ライダーのような、ヒーロー戦士役をやった役者の目の前で、暴力団風の男に若い女性が絡まれるというシーンを用意します。
その時はたして、ヒーロー役者は女性を救出するかというドッキリ番組。
やらせかも知れないけど、ヒーロー役者は必ず女性を救出します。
逃げたということはありません。
中にはドラマさながらにやっつけてしまう役者もいます。まあ悪人役はあくまでも悪人役に過ぎず、役者を怪我させてはならないと早めにやられてくれるのでしょう。
この状態をモニタリングしているスタジオのMCタレント陣は、ヒーロー役者の行動を素晴らしい、勇気がある、優しいと大絶賛します。
ドラマだけではなくバラエティでも、子供たちに男のひな型を刷り込んでいるということです。
ヒロイズムは大抵の場合男の課題です。
女性が女性らしさを背負わされるように男は男らしさを背負わされます。
フェミニズムの台頭で女性の問題は、解決には至らぬまでもかなり認知されるようになったけど、男に関しては未だ手つかずといってもいい状況だと思います。
男社会ですから、優遇されている男の問題など二の次にされているのかも知れません。
男は勝て、舐められるな、家族を養え、大黒柱になれと言われて育ちます。
小さい頃から人を攻撃する力を獲得せよ、舐められるなと言われる人生が男の人生です。
民主主義の世の中で、人を殴るなんて体験をほとんどの人がしなくなった平和日本でも、何故か今なおヒロイズムは浸透しているのです。
攻撃性が人間にあることは間違いないことですが、だからと言って攻撃力を必ず獲得せよ、実践せよと強制される人生がどうしてあるのでしょうか。
それが男らしさのマストになっているから事態は深刻です。
人を攻撃できない一生をおくる人だってたくさんいるのに意気地なしと言われ続けている不条理。
勝つということの中には、自分に勝つという問題が往々にして絡み合っています。それがヒロイズムの魅力ともなっています。
でもそれは巧妙な作為であって、他者に勝つということと自己に勝つということは、本来別々の問題です。
原始時代さながらに、敵から自分を守ってくれたたくましい男性を女性は好もしく思うでしょう。でもそれは、「トラブルを暴力で解決した」という実績であり、今はいいけど、もし女性との間にトラブルが発生したら、同じ方法をとるかも知れない可能性を秘めているのです。その時になってDVに悩んでも後の祭りと言ったら、うがちすぎでしょうか。
民主化された現代において、暴力を選択肢として持っている人間ということは、ヒロイズムに酔っている場合ではないと私には思えます。
日本は長い間戦争がなかった国です。それは先進的なことだと思います。
徴兵制があるような国なら、敵を殺さなくてはならないというヒロイズムが必要でしょうが、戦争を否定した日本でどうしてヒロイズムが必要なのでしょう。
だから日本人こそがヒロイズムの強いる暴力性に疑問符を突き付けることが出来るのではないかと思います。
日本のドラマはこういう問題に手を付けようとしません。
それはそうです、ヒロイズム抜きにドラマを作るということは大変難しいからです。でもそれは古いヒロイズムに縛られているからです。
「早春スケッチブック」で大衆向けのテレビで、大衆批判というとんでもないウルトラCをやった山田さんならではの新しいヒロイズム提言、皆さんはどう思われるでしょうか。
                                                                                                     2023.11.18
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