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作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。
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十二月六日(月)。
再び月曜日が来て、月曜非常勤メンバーは定時間後にかくし芸の打ち合わせに入った。
人数は八人。男性二人、女性六人。
八人の踊る戦士である。
まず私のビデオを見ながらザッと皆で踊ってみた。
凄い。私は呆れた。伊豆さんはサンバステップこそ踏めないものの、フリは大体マスターしていた。そしてナースの榊原さんもかなり覚えていた。
他は私と同じくバラバラでついて行けない。ある女性が早くも「みんな、すご~い。そんなに覚えているのね。私だめだあ」と弱音を吐きリタイヤすると言い始めた。
完璧を求めているわけではない。
楽しくやれればという主旨なのだからと私や伊豆さんが女性を慰める。しかし伊豆さんの完璧ぶりにすっかり自信をなくしてしまったようだ。それほど伊豆さんは凄いのである。
女性は椅子に座ってしまい傍観の体制に入ってしまった。この人は運転をやるという予定で入ったが、余りに狭い道を走るので恐れをなして時給が下がってもいいから添乗だけの役にしてもらった人である。割と早めに自分に対して見切りをつける人なのかも知れない。
その女性とほぼ同期の女性が「私も全然出来ないよウ、でも後ろのほうで踊ろうよ」と誘う。同じく同期の別の女性が「年寄りグループは後ろで踊ればいいじゃん。前の人のフリをまねして」と言う。
「年寄り?じゃあ何?自分は若いグループだって言うの?」
「あら、だって」
「ひどーい。そんな違わないでしょう」と軽口を叩き合う。
やがて気を取り直して女性は踊り始めた。
確かにマツケンサンバによって新人たちの間にある結束が生じて来ていることを感じる。伊豆さんが願ったような世界が出来つつある。
フロアのテレビに向かってみんなで踊る。
テレビの背後にはサッシの大きな窓が広がり、そこに皆の姿が映る。夜なので、まるで鏡に向かっているような按配である。それぞれが自分のフリを確認しつつ踊る。
まるでミュージカル「コーラスライン」だ。
(31) 月曜以外にマツケンをやるのか? に続く。
十二月九日(木)。
前にも書いたが、このかくし芸は月曜のメンバーだけの企画である。
非常勤職員であるため一週間を通して全員が出勤するわけではないという事情により、とりあえず月曜だけの企画ということになる。
でも当然せっかく覚えるのだから一日だけでは勿体ないという気持ちがみんなの中に芽生え始めた。月曜日のメンバーは他の曜日もパラパラと出ている。だから週五日出ている私がいる限り、もう少しバックダンサーをプラスすればショーは可能なのであるが、問題は他の曜日の非常勤職員がやる気になるかである。
ということで伊豆さんは他の曜日の人にも声をかけ始め、私も新人女性に殆ど無理やりビデオを渡し始めた。「え~~~!」と殆どの人が迷惑そうな顔をする。
古株非常勤職員の中でも「ヤダ」という人もいる。まあ、恥ずかしい事である。気持ちは分かる。
でも最古参の馬飼野さんは全面的にあなたの意向に従いますと言ってくれた。有り難い。
そのように、それぞれの戸惑いをみせながらも多くの人がやりましょうかという動きになってきた。
ただ女性で伊豆さんに次ぐ古株である宮口さんには伊豆さんから話が少し行っただけでまだ確たる返事は来ていなかった。「一応ビデオ見てみるけど」との事で話は止まっていた。消極的な印象を私は受けた。
勿論宮口さんとて利用者さんを楽しませることが出来るなら労は惜しまない人ではあるが、私は少しその消極的態度に何か裏があるのではないかと勘繰った。
つまり一応このようなことをやり始めた主催者は伊豆さんだが、マツケンサンバを発案したのは私である。そして週五日出ている私は全員に会う機会がもっとも多いこともあり、伊豆さんではなく私を中心にかくし芸企画は進んでいると言ってよい状態になっている。
古株の方から見れば、ほんのこの前入ったような人間が、先輩たちを差し置いてなにを騒いでいると思われはしないかと気になっていたのである。
ちゃんと根回しをしていればよかったが、結果として新人たちを扇動し企画進行させ既成事実を作ってから先輩に話が行くというマズイ状態になっているのである。ある種の先輩としてのプライドを傷つけることになってはいないか、そういう懸念があった。
そんな時に管理者の富士見さんが声をかけて来た。
「ねえ、マツケンは他の曜日もやってくれるのかなあ?」と。
クリスマスのイベントは勿論センターとしても企画しており、その中のかくし芸コーナーという一コーナーを埋めるためのものとして我々は動いている。
しかしマツケンをやるということはセンター中の話題となっていて、練習風景を事務所のケアマネなどが覗きに来るほどの過剰な人気を呼び始めている。一コーナーどころではなく、すでに今回のクリスマスの目玉企画として成長してしまったのだ。
管理者としても期待しているという富士見さんの問いに私はこう答えた。
「多分出来ると思います。伊豆さんは出勤日でなくともショーにだけは出て来ると言ってますし、ナースの榊原さんも毎日出勤しています。だから最低二三人はバックダンサーがいる事になります。出来るのではないかと思います」と。
富士見さんは笑って「ありがとう。楽しみ」と言った。
私はここでもある中心的立場に立たされていることを感じた。
つまり何故かくし芸のことを富士見さんは伊豆さんにではなく私に聞くのか。伊豆さんは富士見さんらを批判している勢力である。それ故に気軽にこういうことを聞く雰囲気にないのだと思った。
私はそういう新管理体制と古株非常勤の対立構図の中で、どちらにも通じた人間としてのポジションを獲得しつつあるのだ。
それはイソップ物語のコウモリのように、ひょっとするとどっちつかずの卑怯な人間として指弾されるかも知れない危険性を孕んではいるが、また、ひょっとすると和平が可能な道筋を私が作れるかも知れないということでもあるのだ。
マツケンサンバを企画し、それをあっと言う間に新人たちに浸透させた私は誰よりも人心を掌握したフィクサー的立場を固めつつあるのである。
だからこの前入って来たような新人がそのような立場になってしまったことを、古株の方々は面白く思っていないのではないかと私は心配になった。
事実「ヤダ」と言った古株女性から「マツケンは誰がやるの?」と聞かれ「今のところ私がやるのではないかなあという感じですよ」と返事したら「ほう。のってるねえ」と妙に皮肉っぽく言われたのである。
まあ、この人はもともとズケズケと物を言うタイプの人で特別ウラはないと思えるのだが、宮口さんの消極性とも重ね合わせると、心配な思いが広がっている。
(32) 忘年会 に続く。
十二月十一日(土)。
忘年会の前日五十嵐氏は「出られない」と忘年会幹事の黒岩氏に言っていた。
おやまあという感じで私は聞いた。
まったく職場の人間関係に溶け込めない五十嵐氏である。忘年会に出ても、ういてしまうことは充分予想出来た。仕事中の対応はどうであれ、伊豆さんに言わせると女性職員はとても五十嵐氏のことを嫌っているそうである。
それを五十嵐氏も感じるのか、仕事前や後の職員の雑談にもまったく入って来ない。ポツンと遠くにいる。
伊豆さんの話では「辞める」ということも口にしているそうであるが、正直私も辞めたほうがいいと思う。でもかなり意固地だと思えるので辞めないだろうなと私は思っている。
さて忘年会に向けてマツケン組は燃えていた。
二次会でカラオケに行き、マツケンサンバを踊ろうと盛り上がっていたのである。
でも忘年会そのものへの新人の参加が意外と少なかった。
旦那さんが夜の外出を許さないとか、子どものこととか、いろいろ用事があるそうで思ったほど参加者はなかった。
私は、それぞれの理由を聞きながらも、ひょっとしてマツケンサンバが新人たちに負担を与えているのではないかと心配になった。
表面上は職場の流れとして受け入れているが、本当は嫌で嫌で仕様がなく、まして二次会でカラオケなんて付き合わされたらたまらないと参加しないのではないかと勘繰った。勿論あくまでも単なる勘繰りである。私の心の反映に過ぎない。
忘年会の日私は午後一時までの勤務だった。
利用者さんと一緒に昼食をとり、ひととき語らったあと帰るのである。
その時、宮口さんの近くの席になった。久し振りである。ここのところ宮口さんの出勤は極端に減っていた。管理側との対立で辞めるのではないかと懸念していたが、そうではなく年末調整の時期でパートの年収を超えそうなので制限しているとのことであった。
利用者さんとの語らいという範囲を逸脱せず私は宮口さんと会話をした。
その反応の中に宮口さんの私に対する気持ちを探った。
もちろん気に入らない奴だと思っておられても、そのような気持ちを出す人ではない。
お昼のメニューを糸口として料理の話題、家庭の味、食べ方のこだわりなどを私は話した。もちろん利用者さんが笑えるように。
宮口さんも絶妙に話を広げてくれた。私と宮口さんは利用者さんを挟んで和んだような気がした。これもまたあくまでも私の心の反映である。
そして帰る時宮口さんからビデオを今日受け取ったということを聞いた。笑顔だった。ホッとした。
サンバのステップの話になった。私は「ステップなんてとても踏めませんよ。フリをまねするだけです」とあくまでも完璧を求めず、楽しさを皆さんと共有できればいいなという姿勢を宮口さんに話した。
宮口さんが参加するかどうかは分からない。でも宮口さんは楽しそうにサンバのことを語った。
夜は忘年会なので再び会えると思って「ではまた」と辞したが、宮口さんが忘年会に参加しないと知ったのは会場に行ってからだった。
考えてみればそうである。出勤するたびに確実に「四時半上がりという策略」を受け続けているのである。ミーティングで余計なことを言われては困るという露骨な管理者側の意図であった。
そんな奴らの忘年会に参加出来ないと拒否するのは当たり前と言えるだろう。
不協和音を根底に秘めながらも忘年会は始まった。
幹事黒岩氏は、幹事というのは会場の段取りをして会費を集めたら終りとでも思っているらしく、体育会系の人間にしては随分気の効かない幹事ぶりでちっとも動かない。仕方なく富士見さんが小間使いのように動き回る。まるで職場の再現だ。
非常勤組と管理側は偶然ではあろうが、はっきりと席が分かれて座ることになり、私はその中間に座ることとなった。ここでも職場の再現だ。
私の向かいには伊豆さんとナースの榊原さんが座る。みんな職場よりおしゃれしていて一寸どきどき。
全部で十八名の参加者は、まるでうなぎの寝床のような長いテーブルにぎゅうぎゅうに座り、身動き出来ない状態で呑むしかない状態。昔の宴会のようにみんなのところに酌をしてまわるということも出来ず、それぞれが座ったところでだけ歓談が続いた。
私のすぐ近くに新人の中では一番フリを覚えている女性がいた。
やたらと「わっはっは!!」と豪傑笑いをする人で、一番ノリがよく明るい女性である。
伊豆さんが「明るいいいキャラクターだよねえ」と女性を誉めると、女性が「いえ、最近明るくなったんですよ」と言う。
それまで子育てが大変でとても暗かったという。でもやっと小学生中学生になりある程度手が離れ、明るくなったと言う。
でも皮肉なことに、そんな時に夫が失業してしまって家でごろごろしているという。
「一日家にいるのに、家事も何にもしないんですよ。うちの旦那。もうバッキャローですよ。わっはっは!!」と笑う。その話題にのって女性たちの配偶者の悪口が続く。もう笑って話すしかない世界。私はひたすら平身低頭。
二次会に向かう頃にはみんなすっかり上機嫌であった。
伊豆さんや新人だけではなく管理者側から富士見、久保田という女性陣も加わった。
カラオケボックスに入ると、当然だが踊るようなスペースはない。たんなるカラオケ大会になってしまい、いきなり二曲目でマツケンサンバである。
当然のように私に歌えとみんなが言う。
「いえ私は、口パクでショーはやるつもりですから」などと言っても通じない。
歌わねばならない。
しかし歌い始めて驚いた。全員が歌っていた。大合唱であった。みんなビデオを毎日見て踊っているので、もうすでに完全な心の歌になってしまっているのだ。
歌いながら上半身だけでも手振り身振りをする新人たち。マツケンサンバの明るさは、ある意味様々な問題を含んだ、職場と日常を打破する宗教とでも言うべきスタンスを獲得しているようであった。
さあこのエネルギーはどう花開くか。
そしてどういう波紋を広げるか。
(33) ふたたび月曜日のレッスン に続く。
十二月十四日(火)。
土曜日の忘年会から一日挟んだ月曜日。
再びレッスンの日が来た。ミ-ティングが終り早速踊りの準備に入る。五十嵐氏はそそくさと帰り支度。
その五十嵐氏に伊豆さんが「五十嵐さんもどうですか?」と誘いをかける。当然五十嵐氏は軽く否定のジェスチャーをして帰ってしまう。そうだと思う。参加するわけがない。私ならとっくに諦めているが、それでも誘いをかける伊豆さんの「気さくな執念」も凄いと思う。そういうマメさがグループを補強拡大させていくのだと思う。
しばらくして黒岩氏がフロアを通りかかったので伊豆さんは黒岩氏にも「黒岩さんも参加されるんでしょう?」などと誘いをかけている。
凄いぞ伊豆さん。
黒岩氏は「え?それほん決まりですか?」なんて笑ってさっさと行ってしまう。
あとで聞いた話だが、富士見さんから伊豆さんの方に「黒岩くんも誘ってあげて」と言われたそうである。五十嵐氏とはまた別の意味で非常勤の人と上手く行っていない黒岩氏に、交流の機会を与えたいという富士見さんなりの配慮であった。でも無駄。
レッスンを開始すると、凄い。
みんな格段の進歩である。
ところどころつまづきはあるが、実になめらかに動けるようになっている。
私はマツケンなので、私が登場してからは全部私の背後の踊りになってしまい、女性たちの動きは確認出来ないが、最後の「マツケンサンバァ~、オーレイ!!」で全員ポーズを決めると一斉に「ワー!」と歓声があがった。それほどうまくいったのだ。
もう一回踊ってみる。
やはり最後の決めが終ると「ワー!」と歓声があがる。どうやら本当に「決まって」いるらしい。
あとはコスチュ-ムのこと、マツケンのソロダンスシーンをどう演出するかということ、そして全ての経費は自腹なので、それぞれの支出はあとで折半しようなどということを話し合う。
私はマツケン役の白塗りをどうすれば再現出来るかということで考え込んでしまった。
「ヒャッキンの化粧品に何かないかな?」
「小麦粉つければ」
「でもそれだと眉毛と目張り描けなくなるんじゃ」
「黒のビニールテープを切って眉毛やまぶたに貼れば結構効果でるけど、小麦粉つけたら貼れない」
「絵の具を塗れば?」
「乾くまで大変だな。そんな時間あるの?」
「アクリルだったら私時々顔に描いたりするよ。でも顔全体に塗るとバリバリ?」
諸々意見は出たが宿題になった。
翌日の夜伊豆さんから電話があった。
伊豆さんは興奮していた。皆がこんなにまとまったことと、ひとつの目標が出来た充実感に喜びふるえていた。
そして、こんな目標を思いついてくれてありがとう、あの素晴らしい時代がまた来そうだと語り、こんな雰囲気になったのもあなたの人柄だと思うし、とてもあなたの存在は貴重ですと言う。
面映い賛辞をうけながら私はあることを伊豆さんに聞いた。それは前々から疑問に思っていたことであった。
何故以前の理想ともいえる介護をやっていた常勤と非常勤は一斉に辞めてしまったのか。
一体何事が起きたのか。
それがもしセンターの仕事の構造的なものに対する抗議として行われたものなら、いずれ成熟する私ら新人にも立ちはだかって来る問題ではないのか。その懸念が私には去らなかったのである。
私の問いに伊豆さんはこう言った。
前の責任者Kさんと、センターの所長の確執であって構造的なものではないと。
ある時K氏が所長を影で批判したのだそうだが、それを所長とツーカーの女子事務員に知られてしまい、それがそのまま所長に伝わったのが端緒であったという。
その後ギクシャクした関係は悪化の一途をたどり、結局あのような事態になったのだと言う。
私は解せなかった。
そんなことでK氏にたくさんの非常勤職員がついて行くものなのだろうか?
そもそもK氏の影での批判とはなんであろうか。
それこそが構造的なものではないのか。
伊豆さんは言う。
いわゆる「福祉法人『草のちから』の理念」というものがあり、所長はそれをあまり尊重していないと。つまり「『草のちから』の理念」を実践していたK氏と所長の確執なのだという。
そして最近入った富士見さんも特養の経験はあるかもしれないが、「『草のちから』の理念」に添わない考え方なのだと。そのあと入った黒岩氏に至ってはキャリアもなければ、考え方も酷すぎると斬り捨てる。
もう一人の常勤久保田さんに関しては伊豆さんの評価は高かった。
別の施設(「草のちから」所有)で障害者の介護に従事していたのだが、所長に引き抜かれ勤務に至ったということもあり、安定した力を持っていた。伊豆さんに言わせると、生粋の「草のちから」育ちでちゃんとしているとの評価であった。
「『草のちから』の理念」というものを私はあまり了解していないのだが、所長や富士見さんに共通する思考は分かると私は思った。
二人に共通しているのは「介護、介護って、いつまでも博愛精神でやってられないよ」といった「介護ヅレ」した思考であった。
もちろん懸命にやっているのであるが、限界も当然認めようよというところを結構ペロッと言うところが似ていた。介護という「ビジネス」が様々な矛盾を孕みながら動いていく中で、割り切らなきゃいけない局面も多々あるのは事実だと私も思う。
それに対して伊豆さんは博愛の限界という言い方を許さないというところがあった。それが伊豆さん流の「草のちから」に対する理解のようであった。それが正しい理解なのかどうか私には今のところ分からない。
(34) かくし芸は十五分間のみ! に続く。
十二月十七日(金)。
朝のフロアで馬飼野さんが話しかけてきた。
昨日の終業ミーティングで、富士見さんに非常勤のかくし芸にどれ位の時間がいただけるのか聞いたそうである。
すると「十五分間」という返事が返ってきて驚いたとのこと。
それは私も驚きである。
かくし芸はマツケンだけではない。紙芝居もやるし、「冬のソナタ」のぺ・ヨンジュンの格好をして利用者さんとデートするという企画もあるのである。全部で三四十分は確実にかかる。
以前の黒岩氏の話ではいくらでも時間は使っていいと言われていたのでどういうことなのかまったく分からない。その話をしたころはセンターそのものがやるクリスマス企画は決まっていなかったのだが、それが一応決まったそうである。ビンゴをやるそうである。で、プレゼントをひとり一人渡して行くという。その時間を考えるとかくし芸の時間は十五分ということになったそうである。
伊豆さんが憮然として言う。
「ビンゴを早めに始めればいい話しじゃないの」
その通りである。
それとも、かくし芸をなるべくやらせたくない事情が発生したのか?
あまり非常勤職員の連帯が強くなることに警戒心をもっているのか?
富士見さんは「お金かけちゃってます?それだと申し訳ないんだけど。とりあえず『冬ソナ』はカットということで」と言ったという。
お金は大してかけてはいないけど、「気持ち」と「労力」が掛かっている。
「冬ソナ」を思いついた奥さんは今懸命にぺ・ヨンジュンのかつらを作っているのである。
お金の問題ではない。もちろん職員の労力が問題ではなく、利用者さんにどれくらい喜んでもらえるかということが基準なのであるが、そういう意味で却下されるなら納得が行くものの、富士見さんの言うような理由ではみんな納得いかない。
富士見さんに至急真意を問わねばならない。
(35) 十五分間の意味 に続く。