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作家山田太一さんの作品群は、私たちに開かれた扉ではないでしょうか。
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「娘の結婚」1976年
ライオン奥様劇場連続45回。
室生犀星の「杏っ子」を脚色した連続ドラマでした。
私は深夜の再放送枠で観たのですが、寝てる場合じゃないというくらい面白いものでした。
岡本克巳氏の脚本で昼の帯ドラマとして放送されていたのだと思います。
それがおそらく評判になったんでしょうねえ、深夜枠で再編集されて登場となったわけです。
池部良演ずる作家の父と、佐野厚子演ずる娘の交流がとても暖かく描かれていました。
池部良
佐野厚子
このドラマはストーリーを要約しても魅力が伝わるとは思えません。
初めて結婚して行く娘を気遣う、父と家族の話です。
その気持ちのひとつひとつ、病弱な母の思い、弟(赤塚真人)のノー天気などこか憎めないとんちんかんな思いやりを、帯ドラマだからこそ許される長い時間をかけて丹念に描いていきます。
それが魅力です。
観ている者はもう家族の一員であるかのごとき錯覚のなかに入ってゆき、そのことに違和感を感じません。
作家志望の青年(浜田光夫)と娘の結婚は苦労の甲斐なく破局し、悲しみの中で娘が戻ってきた時には自分の身内の不幸としか思えないほどになっています。
「自分より大切な人を見つけた時、結婚したいと思ったの。でも結婚してしばらくしたら、お互いにまた自分の方が大切になっちゃったのね」
と破局の内実を語り泣き濡れる娘の後姿を、ただ見守るしかない家族です。
生まれも育ちも違うふたりが結婚するんだ、
綱渡りをするようなもんだ、
綱から落ちて当たり前、
並大抵じゃないさと、
父、池部良は慰めますが、
さて。
岡本克巳という人は私が見た範囲では、お見事という完成度の脚本は書いていません。
どこかほころびがあるんですね。
このドラマでも長丁場なんで、あちこち乱れてるところがあるんですけど、でもなんと言うのかこの人の温かい視点が全体に行き渡っていて、ちょこちょこブラウン管に突っ込みを入れながらも毎回楽しく観ちゃってるんですね。
娘がとまどって否定するところなんか必ず
「え?・・ううん、そんなことないわ」
なんですね。
10分まえにもそのリアクション書いたじゃないかって突っ込んだって、しばらくするとまた出てくるんですね、もう仕様がないなあ岡本くーんなんて気持ちになるんだけど、でも全体の流れが魅力的だから観ちゃうんですね。
もうだらしない亭主なんだけど、魅力があるところはあるからと諦めている古女房のような気持ちになっちゃうんです。
娘の結婚後のトラブルのせいで、心臓の悪い母は発作をおこして死に、温かい家庭がぎすぎすした世界に変貌しはじめてからドラマは息詰まる展開となります。
「私はめし炊き女になるために結婚したんじゃない」
という、その頃には結婚している弟(赤塚真人)の妻の発言と、離婚なども重なり、結婚というもの、男と女が寄り添う姿というものが問われて行きます。
赤塚真人夫婦の離婚届に捺印する切なさが丁寧に描かれます。
浜田光夫が行方不明の為、別居はしたけどまだ離婚届けを出していない娘は涙を溢れさせ反対します。
原稿が書けないと妻に当り散らした浜田光夫。
生活力もなくコンプレックスの渦の中に埋没した浜田光夫。
別れる理由は山ほどあります。
父に「あんな奴」と言われても仕方ない男だと娘は思います。
しかし今、弟夫婦の離婚届という事態を目の前にして「ことの大きさ」が胸にこたえる娘です。
涙が溢れます。
父は
芝居を観ろ、
映画を観ろ、
お洒落をしろ、
買い物を楽しめと、
不遇な結婚から離れられた楽しさを満喫させようとします。
大作家の娘としての裕福な人生がお前にはあるのだと出来る限りのサポートをします。
しかし、一度結婚を通過した娘はもう無邪気な娘には戻れません。
結婚というものはどんな人にとっても大きな出来事だからです。
死んでしまった母親が、結婚してしばらくした娘にこんなことを言ったことがあります。
「変わったわね、あなた。そんなに簡単に『ごめんなさい』と言う子じゃなかったわ」
結婚は人を変える。
いえ、それは不遇な結婚という意味だけではなく人を変える。
人と人がふれあうということはそういうことです。
娘はもう昔の娘には戻れないのです。
それでも悔やんでばかりはいられず、正式離婚手続きは済まされぬまま、懸命の「リハビリ」が続きます。
そして、やっと以前の明るさを取り戻し始めた頃、皮肉なことが生じます。
夫婦の破局という試練を呑みこむことにより、浜田光夫が本物の作家として成長するのです。
娘と同じく失意の中で浜田光夫は人生を彷徨して飯場に流れ着いています。
肉体労働をし、くたくたになって眠る日々。
生きることの根源のような暮らしの中で浜田光夫は何ごとかを掴みます。
自分が書いたものを認めない世の中が悪いと荒れ、妻や妻の家族を憎んでいた心境から、今自分に何がしか語れるものがあるだろうかという、しずくのような思いで、ある作品をひとつ書き上げるのです。
その作品を最初に見た編集長はすぐに池部良に電話します。
大変な傑作である。
出版したいと。
池部良は面白くありません。
やっと娘が、そいつとのひどい生活から立ち直り、その後遺症を克服しようとしているのに、なんだという気持ちが湧いてきます。
「よし、読んでやる。私が読んでやる。そして完膚なきまでに叩きのめしてやる。原稿を持って来い」と言います。
しかし読んでみるとまぎれもない傑作です。
口惜しいけど編集長に「是非とも出版して欲しい」と言わざるを得ない羽目になってしまいます。
作家の娘との結婚にあがき苦しみ、コンプレックスのどん底にいた時には掴めなかったものが、一人になって全てに見捨てられて初めて一筋の光明を見つけたのだと池部良には分かります。
自分たちといた頃は駄目だったということは、私らは厄病神みたいなものだったんだと苦笑します。
そして浜田光夫は娘の家に現れます。
以前から再三催促されていた離婚届に捺印しに。
けじめをつけようというのです。
離婚届を挟んで対峙する三人。
しかし浜田光夫には印鑑が押せません。
浜田光夫は床に跪き
「お願いします。もう一度やり直させて下さい」
と言います。
池部良は「思い上がるな!!」と怒鳴ります。当然の怒りです。
しかし娘の気持ちは大きく揺れます。
娘はこの少し前、飯場を訪ね浜田光夫と話をしているのです。
久方ぶりの再会に言葉もあまり出てこなかった二人ですが、浜田光夫は「最近ごはんが美味しいんだ」と嬉しそうに語り、「太陽の陽射しを感じるんだ」としみじみと言います。
娘は浜田光夫の「回復」
いえ
「あらたな誕生」を感じます。
クライマックスはあれだけの苦労があったのに、再びその男と結婚を決意する娘と、反対する父の相克になります。
荷物をまとめて出て行こうとする娘の前に父は立ちふさがります。
父は言います。
「たった一本傑作を書いて駄目になった奴がいくらでもいるんだぞ。また苦労するぞ」
「行かせて下さい」
「次に傑作を書ける保証は何もないんだぞ」
「行かせて下さい」
「出ていくなら私を踏みつけて出て行け」
そんな父の前で娘は言葉もなく、泣くだけです。
そして再び、願うように「行かせて下さい」と言います。
池部良も、もう言葉が出せません。
父の反対を押し切ってでも出て行く、これまた大きく成長した娘を池部良も最終的には優しく送り出します。
「体に気をつけてな」というありきたりな言葉に精一杯の気持ちをこめて送り出します。
最後に毎回毎回流れていたエンディング曲が流れます。
うろ覚えですが、次のような詞です。
「坂の上の家」
(岡本おさみ作詞 佐藤健作曲 大橋純子 歌)
なだらかな坂道を
子どもらが駈けていく
あんなにも無邪気な頃があったような気がする
遠い昔 笑い転げ 泣きじゃくり
会ったり別れたりの
夕暮れに
生きたぶんだけ魂が
病んでいくのを見てきた
としつきは
忘れてゆくためにあるのだろうか
だからわたし
もう愛してしまうだろう
だからわたし
この坂をのぼっていくだろう
この歌詞通りの坂道を歩き去って終わりです。
「たそがれマイラブ」同様、大橋純子の声量のある歌声が今も耳に残っています。
「襟裳岬」を書いた岡本おさみの詞も飛躍が多くて文字だけ読んでもなんだか分からないと思いますが、メロディがからむと説得されてしまう名曲でした。
特に「生きたぶんだけ魂が病んでいく」という部分の歌声が切実で、後半突然出てくる「だからわたし、もう愛してしまうだろう」という詞が自然にはいりこんできました。
ドラマはもう見られないのでしょうか?
このドラマはビデオではなくフィルム撮影でした。だから残っているはずなのです。どこかに、誰にも探されずに眠っているのではないでしょうか。
2020.9.20
「花の森台地」
1974年読売テレビ連続ドラマ。
「花の森台地」の中で三田佳子は夫(中野誠也)に訴えます。
「私のいいところは、みんなあなたの為に使ってるのよ。あなたと結婚して、家の中で、私のいいところは全部あなたの為に使ってるのよ」
地味な生活の中で特別なことなど何もなく、日常をこなし続ける主婦は、夫がちゃんと評価してくれなきゃどうしたらいいのと訴えるのです。
このドラマを語る人に会ったことはなく、山田ドラマの中でも単なる履歴としてしか出て来ません。
売れ行き不振の建売住宅を売るため、モデルハウスに社員夫婦が住みこみ、訪れたお客に、住み心地の良さを実感を交えてプレゼンしようという設定のドラマでした。
でも主線は細々とした夫婦生活を描いており、例えば、レコードを聴きながら、「結婚前は行ったのに結婚後はなんだかコンサートにも行ってない、文化的に貧しいわねえ私たち」なんてぼやいたりする夫婦が描かれます。まあ、恋愛時代とその後の落差はどの夫婦でも感じるものでしょうが、そういう今まで着目されなかった庶民の声というものが描かれました。その中で、私の心に一番残ったのは専業主婦の孤独でした。
主婦のむくわれなさについて、よく「世界一の主婦になればいいじゃないか。胸を張ってればいいんだ」なんて訳の分からぬことを言う人がいますが、そんな有りもしないランキングを心の支えに出来るはずもなく、主婦業という、本当にハンドメイドな世界は、その事を享受している人のちょっとした一言、評価で報われるのではないかと思います。
しかし労働者が今もって雇用者に「雇ってやってるんだぞ」という値踏みされた世界にいるように、主婦もまた「誰のおかげでメシが食えてると思ってんだ」という屈辱の中にいるのでしょう。
よく出来て当たり前、ミスすれば「まったく主婦は気楽でいいよな」というようなざらりとした差別的視点から批評されたりします。
また、一方で主婦業というものは完璧にやろうとすると結構な分量になるけど、手を抜こうと思えばこれまたかなり抜けるもので、だから「よくやってくれてる」という評価も「どうせラクしてんだろ」という評価も相手次第というとても悔しい世界なのだと思います。
このドラマは山田さんが初めて関西のテレビ局と組んだものでした。
当時の関西ドラマは関西独特の泥臭さがあり、それを山田さんは警戒していました。とにかく「その演出」だけはやめてくれという気持ちがあって、かなり細かな注文をデイレクターに出したそうです。
それが功を奏したのか、オンエアされた「花の森台地」はとても素晴らしいものでした。感服しました。
山田さんも「いいよねえ、ホント、こんないい三田佳子初めてだよ」と喜んでおられました。デイレクターは一世一代の覚悟で臨んでるという話でした。
残念ながら映像は残っていないようです。
でも脚本は三田佳子さんが脚本アーカイブスに提供したと聞いています。閲覧するのはちょっと難しい状態のようですが、早く対応してもらえればと思います。
「秋の駅」
1993年フジテレビ単発ドラマ。
このドラマの話をする人に会ったことがありません。人気ないのかな?
プロデューサーは「早春スケッチブック」や「マニゴン・バゴン・タオン」などの演出をした河村雄太郎ともう一人、多分福島テレビのスタッフと思われる人。
演出は今や大御所となった河毛俊作。おそらく初めて山田さんと組んだのでは。
会津柳津駅という田舎の小さな駅を中心に展開する24時間の物語です。
それに惚れている三人の男(布施博、益岡徹、村田雄浩)。
それぞれ引っ込み思案な男たちが、うじうじうじうじしていたのに、突然プロポーズしようと決心したところから話はスタートします。
どうして決心したかというと、こういう経緯です。
JR職員布施博が、会津柳津駅から別の駅に転勤することになり、田中好子とは今日でお別れという局面。そこで、どうしても言わないと切ないという気持ちでプロポーズしようと思います。
そして何故か布施博は益岡徹に電話をします。前日の夜のことです。
益岡徹が同じく田中好子に気があることは布施博にも分かっていました。そんなに親しい間柄ではないけど感じていました。もし自分の知らないところで交際が進んでいたらという疑いが布施博にはぬぐえないのでした。
布施博は「ぶしつけに聞かしてもらうけんど、そちらはKIOSKの美代子(田中好子)さんとは何かありますか?」と聞きます。
益岡徹は「は?」と言います。
「KIOSKの美代子さんと関係あるかどうか・・」と布施博は更に聞きます。
益岡徹は呆れて「関係あるわけねえべ」と答えます。
「そうか」と布施博は安堵します。
「なんだべ、急に、こんな夜に」
「いや、こだわりあっかなと思って」
「こだわりっておめえ・・」
「ねえですか」
「ねえですかって、俺が彼女と何があるって言うだべ」
「はは、だったらいいんです。なんかあ、後味悪いことになってもいけないと思って」
「後味ってなんだ?美代子に何するって言うだ?」
「なんにもしませんよ。はは」
布施博は「どうなるかわかんないが明日プロポーズしようと思っている」と伝えます。そして電話を切ります。
これが良くなかった。あ、良くなかったというのは布施博にとって良くなかったということです。黙っていればいいものを、引っ込み思案で、いじいじしてて、妙に真面目なところがあるもんだから、そんな電話をして墓穴を掘ってしまった。
当然こんなことを言われて、益岡徹も心おだやかではいられない。何もないって言ったって、何もないわけじゃない。現実は田中好子と何もないけど、全然、まったく、気持ちとしては、何もないどころじゃない。ありすぎるほどあるんだ。そう思います。
そしてもう一人。町の駐在さん村田雄浩も話を聞いて、遅れをとるわけにはいかないとアプローチに向けて動き始めます。
「夏の故郷」(1976年NHK銀河テレビ小説)で取り上げた農村の嫁不足問題は今も根強く残っており、というかもっとひどくなっており、結婚は面倒というイメージが若者に浸透していることもあって、結婚を夢みる人々は益々不利という事情があります。
この三人の他にも、女性に恵まれない若者たちが数人登場します。
観光で訪れた女性二人と出会い「チャンスだ!!」と有頂天になりちやほやする姿が、名所旧跡を背景にして展開します。男女の出会いって、なんと興奮することでしょうか。でも、うまくいきません。最後は仲間内の足の引っ張り合いとなってしまい喧嘩に。
このドラマのBGMは「優歌団」です。
独特のブルースがそれぞれのシーンに、滑稽味や、けだるさや、美しさを、与えます。
こういうことも起きています。
レストランで働くブラジル人女性に会うために、恋人のバングラデシュ人が警察から脱走してきます。
手配の顔写真が、駐在所の村田雄浩にファックスされて来て、村田雄浩はプロポーズどころではなくなり、更に旅館の主人からこんなことを言われます。
「勘だけど、死ぬんじゃないかって感じの老夫婦が、旅館を出て帰って来ない。心配だから探してくれ」と。
バングラデシュ人は林の中を逃げています。
その林に老夫婦(千秋実、丹阿弥谷津子)がいます。
勘は当たっていて、二人は心中しようと思っています。
お爺さんは言います。
「何がおこるって言うんだ、この先の俺たちに何がある、結婚して52年で、今が一番仲がいい」
「ほんとね」とお婆さんが答えます。
「仲がいいまま、楽しく二人で極楽行っちまおうじゃないか」
そう言うお爺ちゃんですが、やはりいざとなるとふんぎりがつきません。
差し迫った病気になっているのはお婆さんのほうだけで、お爺さんは老化以外に問題はなく、お婆さんは私に付き合わなくていいのよという気持ちがあります。でもお爺さんには妻に先立たれて生きていく希望は持てません。
熊か?と怯える老夫婦。死のうと思っていたけど熊に殺されるのは怖い。凍り付く二人の前に出て来たのはバングラデシュ人。突然の遭遇にどちらも驚きます。
この思わぬ出会いが事態を大きく変えて行きます。
老夫婦はバングラデシュ人に同情し、ブラジルの女性との仲立ちをしようと、彼女の職場のレストランに向かいます。
林に残ったバングラデシュ人は身を潜めていますが、あの二人の女性にふられた若者たちに見つかります。若者たちは面白くない心情を「外国人狩り」にぶつけます。必死に逃げるバングラデシュ人。
そのチェイスが行われているころ、いよいよ布施博、益岡徹、村田雄浩のプロポーズが始まります。
まるで「ねるとん紅鯨団」(ドラマ公開時は、このバラエティが人気だった)のように、三人同時のプロポーズです。
田中好子は驚いて「嫁不足も深刻ね。子連れの、出戻りの、KIOSKのおばさんに、三人も言ってくれるなんて」と言い「ありがとう、自慢になるわ。いいえ、人に言いふらしたりしない、心の中で反芻するわ」と言い「結婚する気はないの、ごめんなさい」とはっきり言います。
見事に撃沈する三人。
秋の駅(後編)に続く。
「秋の駅」
1993年フジテレビ単発ドラマ。
福島テレビ開局三十周年記念番組。
このドラマには中原ひとみが出演しています。
古くは「女と刀」「真夜中の匂い」、最近では「時は立ち止まらない」など山田ドラマでは印象深い女優。
でもこのドラマではほとんど端役です。朝の駅に現れて、田中好子の子供と一言二言会話して、列車に乗って行ってしまう役です。綺麗な老婦人で、どんな裕福な暮らしかと思いきや、夫といるのに耐えられなくて、毎日のように外出しているという悲しい人物。
そんな女性の話を田中好子はして、結婚には夢が持てないと言います。田中好子の夫は麻薬と傷害で刑務所に入っています。やっと離婚できたけど、苦労が身に染みているのです。
のどかな田舎だが、中原ひとみのような暗部を抱えている人がいる。
田中好子も同様、再婚を決意するほどの希望は見出せずにいる。
嫁不足の男たち。
死のうとしている老夫婦。
そういう人々を結びつけるのは、何故か逃亡中のバングラデシュ人。
逃げるバングラデシュ人を追う男たち。
不法滞在の外国人を捕まえるという「正義」を手に入れた興奮。ここぞとばかりにエネルギーを発散し、バングラデシュ人を追い詰めリンチを始めてしまう。
ブラジル人の彼女を連れて戻ってきた老夫婦はリンチの惨状に驚きます。
お爺さんは叫びます。
「この人が何をした!この人が何をしたか!!」とつかみかかっていきます。
若者たちはハッと我に返り暴行の手を止めます。
個人的なむしゃくしゃを「正義」に重ねていたことに気づきます。これ以上暴力をふるっていたら犯罪者になるところだった。
老夫婦はこういう騒動の中で、希死念慮なんてふっ飛んでしまいます。
行き詰まった若者たちと、失意の老夫婦と、逃亡者が関わる事により、化学反応(?)が起き、お互いが救済されることになります。
そんな姿が田中好子はじめ、駅の人々にある感銘をあたえます。
マイナスは貴重な体験だと常々言っている、山田さん。それぞれのマイナスが絡み合って、ある希望を見出すのです。
「この旅行が、こんな風になるなんて思ってもみなかった、人生分からんねえ」と、感極まって泣くお爺さん。つられて泣くお婆さん。
そうやって会津柳津駅の一日は暮れて行きます。
布施博の勤務は朝までです。朝になればこの駅の勤務は終わりです。だから一世一代の決心で求婚したのに見事に撃沈。
それでも布施博は田中好子にもう一度アプローチします。「絶対に幸せにする」と。
田中好子は「前の亭主も同じこと言ったよ」と言います。
「おれは裏切んねえ、いつまでも幸せにしてみせる」
「早い話、子供が生まれたらどうすんの?」
「子供?」
「二人とも公平に大事にできる?」
「そんなこと、出来るにきまってる」
「口ではどうでも・・」
「口ではねえ。ほんとにそうする」
「人間、言った通りにはいかネエのよ。そういうもんじゃネエの」
「だって・・これからずっと一人で、あきらめたように、一生終わっていいんだべか。一度失敗したからってなんだべ」布施博は食い下がります。
田中好子は突然「浮気しよ」と言います。
「あンたはいい人だもん、浮気ならしたい。本気は困ンだ、人の心は変わっから。今度郡山さ行こう。ラブホテルさ、見当つけといて。浮気しよ。結婚はごめんだわ」
布施博は怒ります。
「美代さんは、そだ人でねえ」
「そういう人なのよ」
「嘘だ!」
「勝手にイメージ作んネエで」
「あんたは捨て鉢になってる。その歳で人生見切りつけてどうする」
「見切りなんかつけネエよ。私はただ結婚にこりごりしてるだけ」
二人の話は平行線です。
最終便が出て行き、独りで夜の業務をこなす布施博。
もう特別なことがない限り会津柳津駅に来ることはない。
KIOSKの閉められたシャッターを見つめます。もう遠くから田中好子の姿を見ることもできないのです。
長い夜を布施博は過ごします。
やがて朝靄が駅を包むころ、一番電車を迎える準備を始めます。
そこへ一台の小さな車がやって来ます。
田中好子の車です。KIOSKを開けるには早すぎる時間。
忘れ物しちゃってと田中好子は言いますが、それは言い訳です。田中好子は揺れているのです。布施博にもそれが分かります。
「私なんか、しょいこんでいいの?」と聞く田中好子。
「ええよ」
「子供が一緒だよ」
「あたり前だ」
「前の亭主が出て来て、なんか言ってくるかもしんないし」
「未練・・あっか?」
「ねえ」
「だら、問題ねえ」
「なして、簡単に言えンの?」
「美代さんが好きだから」
ストレートな言葉に黙ってしまう田中好子。
「実は、俺も懲りてる。おなごじゃ痛い目にあってる。4年ばっか前になっけど、ずっとどいつもこいつもおなごは怖いような気がして・・」
「私も怖いよ」
「ああ。そだこと言ったら、俺も怖い。みんな、どっかおかしいとこ持ってんだ。だからって独りのほうがええか?俺は、そだに強くねえ。美代さんと一緒にいてえ」
揺れる田中好子。
強く見つめて「ええな」と布施博は言います。
田中好子は頷きます。
一緒になろうと思います。不安はもちろんある。でも、田中好子は二人の道を歩もうと決心します。二人は抱き合います。
窓の外がどんどん明るくなっていきます。
小さな駅が朝の光に包まれ、柳津の一日が始まります。
農作業にいそしむ益岡徹。
巡回する村田雄浩。
だんご屋、家具店、家業を手伝う若者たち。
2020年10月1日の朝日新聞夕刊に、元フジテレビプロデューサー山田良明さんのインタビューが掲載されました。
そこに山田さんとの出会いが語られています。
「高視聴率に高揚する一方、心の中では満たされないものがあった。そんな中、出会ったのが脚本家の山田太一さんだった。『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎(りんご)たち』など日本を代表するストーリーテラーであこがれの存在。その太一さんに脚本をお願いして企画したのが『秋の駅』(93年放送)だった。
92年夏ごろ、東京都内の喫茶店で打ち合わせのため初めて会った。あいさつを交わしたあと、太一さんはいきなり『ドラマって『how to live』(いかに生きるか)ですよね』と語りかけた。
一瞬で山田太一さんに引き込まれました。私はトレンディードラマをプロデュースしながら、視聴者の心に深く届くドラマを作りたいと模索してきたので、『山田さんもそう思って書いているんだ、それでいいんだ』と、ドラマ作りの姿勢を再確認できました」
と言っておられます。
2020.10.5
「脚本・台本とは―」山田太一2013年2月14日講演
「脚本アーカイブス・シンポジウム」
脚本アーカイブスは「誰のため」「何のため」?
―『記録』を『記憶』し、構想する
文部科学省3階講堂
本の魅力はみんな知っている。死んだ人(本を書いた人)の知恵というものはありがたい。そういう蓄積を踏み台にして私たちは生きている。
ところがテレビ。
それを残すという発想が私も含めてなかった。
とにかく同時刻に全国に伝わっていることだけでも驚きだった。
遺すなんてことは考えていなかった。ビデオテープが高価で貴重で、使いまわすことしかできず、そのことも遺さないと言うことを助長した。
ある時テレビのカラー化が始まり、テレビ局から、白黒ドラマの再放送機会はないので「消します」と連絡が来た。そのとき脚本が欲しければあげますと言われた。
フィルムで撮影したドラマは残っているが、ビデオテープで撮ったドラマは30年分くらいごそっと無くなっている。
それは文化的には珍しいことである。
そこで市川森一氏らが動いた。映像が残っていなければ脚本はどうか。
でも、脚本を集めると言ったって何処に置くんだということになった。
現在、集まった半分は国会図書館に所蔵することになり、あと半分もなんとか目処がつきはじめたところ。
テクノロジーの問題で遺せなかった映像が、80年代からは不完全だけど残り始めた。遺そうと言う機運が出てきた。
でも連続ドラマ全話を遺すわけではなく、「1回目を遺しますか、最終回を遺しますか?」という選択肢だった。それは切ない。
脚本アーカイブスと言っても、各スタッフの総合的な力で作られるテレビ作品の中で脚本だけを特化して遺そうということではない。
先日「マダムと女房」(昭和6年)が放送された。日本初の本格的トーキー映画で、外国だとトーキーを生かしたミュージカルなんてのを作るのに、そうじゃない普通のホームドラマを作ったところがいい。
勿論ギャグもテンポも古いのだけど、それはこの映画を踏み台にして更に新しいものが出てきており、それに我々が慣れているからである。
この中で、トーキーを生かした、ちょっと過剰なほど音声を生かした、現在ではまったく想像のつかないシーンがある。
天井をネズミが走り回って眠れないというシーンで、これは当時よくあったこと。そういう生活だった。
そういうところが、今見ると、とても面白い。
だから遺すと言っても、遺そうとした時の価値観で遺したら問題がある。何が後世になると貴重になるか分からない。
「マダムと女房」が作られて80年以上ですか、大分経ちますが、結構今と変わらない感じがします。でも、この長い時間には戦争を経験しています。それは考えなければならない。
スタジオジブリが「熱風」という小冊子を出していて落合博満監督の連載がある。
これがいい文章で、元スポーツマンの余技ではない。
選手、監督として数々の功績を残した落合氏は、特に監督になってからの斬新なやり方を実践したと評される自分のことをこう言っている。
今の人達は1から作ろうとしている。過去を見ないでいる。私は、過去やった人の中から、自分に合うものをやっているだけだと。
勿論ただ過去にあったものを単純に持ち出しているだけではなく、そのチョイスであったり、再構成といったものが必要でしょうが、過去にいろんなものを生み出してくれた先人がいたからこそ私たちは新しくなれるということを言っておられる。だから、その財産を楽に参照できるシステムを作る必要がある。
やはり先人が何をしたかということを知らずしては何もできないと思う。
米のテレビ脚本家バディチャイエフスキーの脚本集の序文に、王様の苦悩を描くのではなく、隣の肉屋さんはどうしてあの奥さんと結婚したんだろうということを描くのがテレビ向きだと書いている。
私はこの言葉に大いに感銘し影響を受けた。
チャイエフスキーに会いたかったけど、英語が出来ないので脚本集の翻訳者江上照彦氏に会った。
その頃、江上照彦氏はテレビ脚本家から大学教授になっていた。
新橋のガード下のような飲み屋で「何故やめたんですか?」と聞いたら、私の背中をパン!と叩き「虚しさだよ、虚しさ!」と更にパンパン叩いた。
再放送も何もない。何もかも一瞬にして消えていく虚しさ。江上氏はそう嘆いた。
連続ドラマなどのテレビの脚本は膨大な量で、自宅に置く場所がなくて、捨てたものも私にはあります。
所有そのものを問題視する無頼派作家が戦後流行りました。
極力家財道具を持たず、着の身着のままで生きる姿に若い人の人気が集まりました。
その無頼派坂口安吾が、過去なんてなんだ、法隆寺なんか燃やしていいんだなんて言っていましたが、それはギリギリに生きていたからそんなこと言えたのであって、食うだけで大変だからそう言えたのであって、でも、そうじゃなくなれば話も変ってくる。
E・M・フォースターが、人間はしょっちゅう戦争をしているけど、時々ポッカリとそうじゃない時がある。そういう時に文化が意味をなす。と言っている。
こんなこと言っちゃいけないけど、ルノワールなんて、社会性のないのん気な絵を描いている。それは戦争がないからこそできたものなのかも知れない。それは大事にすべきこと。
そういう中で脚本アーカイブスは意味があると思っています。
―終―
この講演の後、いろんなパネリストから意見が出ました。
中でも一時的固定という問題が指摘されました。
初期のテレビドラマというものは一時的固定(一次的に固定したものは、政令で定める公的な記録保存所で保存を行う場合を除き、6ヶ月を超えて保存することはできません)という条件で作られており、ビデオテープが高価だという理由もあったけど一時的固定の問題でビデオを消さざるを得なかったという事情もあったということです。
TBSのディレクターから映画監督になった実相寺昭雄は、テレビの自分のデビュー作から全部フィルムにうつして遺した。キネコという手法です。
それをやるにはとても経費がかかった。それを実相寺はどうやってやったのか。
嘘の伝票を会社に書いた。
「地方局に配布するため」と書き、自分の全作品を保存した。
これが著作権法上どうなるのか分かりませんが、やがてこの全作品の公開を実相時は行った。そういう人もいる。遺すということを考えていた。
脚本がない形で始まるドラマがある。シチュエーションだけが決まっていて、現場のスタッフや役者にまかされる形で進む。
最後にドラマができて、採録台本が出来る。
そういう問題はどうなるのか。
一口に脚本と言っても、第一稿、第二稿、決定稿、撮影台本とある。
一体どれを脚本とするのか。研究という意味なら全てをそろえないとプロセスが分からない。
また今回のシンポジウムの主旨ではないが、ディレクターの著作権というのはまだ取り上げられていない。
法的な整備やシステムの構築、たくさんの問題がある中で、最終的には国会図書館がやる、アーカイブ活動担当者がやる、といった考えではなく、YouTubeなどを見れば分かる通り、思いがけない映像は圧倒的に視聴者が持っており、そういう人たちが遺そうという気持ちを持つことが必要。
2020.11.20再録